竜、走る
翌日。店を開けようと裏口を出たディオは肩を叩かれて振り返った。
「ん」
「せめて主語をつけろ」
「鶏だ」
「みりゃわかるよ」
つまりは捌け、ということだろうが。
ヴァレリーが持ってきた鶏を、ディオは肉屋でもないのに四苦八苦して潰すことになった。
「こんなのばれたら肉屋の親父に殺されちまうよ」
昼時、思いがけず品の増えた昼食を前にしてディオは一人ごちる。ペロリとヴァレリーは唇を舐め、返す。
「気にするな。詰め所の敷地内は王都扱いだ」
「王都で取れたんだから町ギルドの管轄外って?」
「少なくともアンズィはその気で作ってるな」
「肉が出身地自慢してくれるんなら安心して潰せるけどな……」
こうもおいしそうになっては見分けがつかないのだ。そして年がら年中家畜の買い付けに飛び回る肉屋は、商人の中でも段違いに腕が立つ。
詰め所の脇で「食えるものを作る」なんて大雑把な趣味を掲げるヴァレリーの同僚の顔を思い浮かべれば、「なはー、気にせず召し上がれー」と能天気に笑いかけられた。出来たものをこうして分けてくれるのはいいのだが、時々こういう非常にダーティーな扱いになるものまで回ってきていらない冷や汗をかくこともある。とはいえ目下財政難のマッケンジィ家での非常に重要な栄養源であることにも違いなく、断るに断れずにこうした関係がだらだらと続いている。
「困ったもんだけど、助かってもいる……」
「後半だけ伝えておこう、アイツもきっと喜ぶだろ」
「頼むよ」
少なくとも悪意の無い贈り物だ。返礼で幸せになってもらえればやはりうれしい。
「鶏肉の焼いたやつ、包んどくからそれも持っていってやってくれ」
「これか」食卓の中央にすえられた鶏肉を切り分けながら、ヴァレリーが言う。「今度はどんな工夫をしたんだ?」
「塩コショウの前に蜂蜜を塗りこんでみた。これならコショウが少なくてもうまいって聞いてな」
「――そう甘やかすからアンズィが調子に乗るんだ。知ってるか? お前がこないだ香草焼きにしたせいで、詰め所はバジルとローズマリーに占拠されてるんだぞ」
「ああ、じゃあその場でつんで茶に出来るな」
「飽きるほどな。頭から芽が生えそうだ!」
「……そういや、キアズマにそういう話があるらしいな」
海を隔てた極東の島国のこっけい話だ。サクラという木の種を飲み込んだせいで頭からサクラの木が生えて来た、とかいう。
「妹さんの土産話か?」
「おう、またそのうち帰ってくるってさ。先月通った旅劇団が手紙持ってた」
そういうとキアズマで武芸者になるといって妹が家を出た朝のことが、まるで昨日のように思い出される。スットコパープリン親父より少し前に家を出た妹のことを家族の誰もが心配しなかった。それ程腕が立ったし、何よりその意思の硬さを知っていたのだ。
それからも思い立ってはこちらに帰ってきて、極東の風物について話をしてくれる。前に帰ってきてから半年ほどたっているが、届いた手紙にはそろそろ家のベットが恋しいといったことが書いてあった。あと誤字脱字がいっぱいあった。
「親父の血をアイツが全部引き受けてくれたような気がして、俺は、もうアイツのために出来ることなら何でもしてやりたい……」
「はいはい兄妹愛兄妹愛」
「その愛をサイズにするとだな、こう、親父への尊敬がアリンコほどだとして……」
「おーおー愛憎劇愛憎劇」
「お前唐突にめんどくさくなってきてねェ?」
「お前のその話が何度目だと思ってるんだ」
「一日一度は表明しておきたいこの愛」
「前から思ってたんだけどお前って気持ち悪いな」
「甘んじて受けよう」
世に言うシスコンというのに自分が当てはまるらしいのはうすうす感じているが、だからといって治すつもりはさらさらない。
「俺の妹はなぁ、唐竹をど真ん中から――」
「ど真ん中から割ったみたいな性格?」
「んにゃ、割ってその勢いで手が地面にめり込んで、かつ抜き方がわからないままその場で一晩野宿して、朝になったら何で手が埋まったのか思いだせずに不思議がって俺に超笑顔で報告しに来る、しかもその過程で地面から抜けてるのに気づいてない、そんな性格」
「……前より随分悪化してないか」
「ここ暫くでますます素直ないい子になりました」
「なぁ、ホントに、本当に外国なんかに行かせて大丈夫なのか!? 外交問題とか起こしてないよな!?」
「うちの子に限ってそんなそんな」
「その無関心が家庭を駄目にするんだ!」
ひとしきり噛みあったところで、いったんお互いが食事に戻る。租借する音を余り他人に聞かせたい人間ではないのと、どうしてもこの二人で会話していると大声を出してしまうので、ディオとヴァレリーが一緒に過ごす食事はこういった形になることが多い。ひとしきり鶏を堪能して、ディヲが重ねた皿を持って立ち上がるまで、ヴァレリーは口を開かなかった。
鍛冶家業なだけあって、マッケンシィ家は裏庭に相当深い井戸を引いている。そこまで桶に入れて洗いものを運ぶのに、いつもヴァレリーは布巾を持ってついてくる。釣瓶にかけたロープを手繰りながら、ディオから四方山話を持ちかけ、そうしてまた粗いものの間はバカ話だ。
いつものように話し出そうか、と、ディオは気軽苦切り出すことにする。
「さっきの話だけどさ」
「ん?」
「妹の、武者修行。実際そんなに心配してないんだよな」
「まぁ、確かにあの子は私から見てもずば抜けて腕が立つしな」
「いやさ、それだけじゃなくて。キアズマだから」
大体ここからだと一月ほどの旅になるのだろうか。その多くは海上移動になるが、キアズマからここまでの海は基本的に穏やかで、航路も良く知られてしっかりしている。旅人が旅をする分にはまず心配はない。
「あれだけ遠いと戦争する気にもならないみたいだしな」
とディオが付け足す。
「そうだな……、国王陛下も今のところ、キアズマとは友好的な貿易を続けていくつもりらしい。わざわざ攻め入る動機も必要もないからな」
「戦争がないってのはいいことだよ……。武器屋としちゃァ商売上がったりなンだけどさ」
「お前は一品物のほうが得意だろ。戦争向けの大量発注なんて向いてないじゃないか」
「別に俺が直接打たなくても、仲介とかメンテナンスとか商機は転がって来るんだよ」
さすがに何万人と死ぬドンパチを望むわけじゃあないが、大きな盗賊集団の討伐戦線でも募集されないだろうか、とはたまに考えてしまう。「これ、拭くぞ」「はいよ」と、大皿なんかをヴァレリーに手渡しながら、ディオは考えてしまう。
武器屋とはなんだろうか。
命を食い物にする、そのこと自体には随分若い頃に折り合いをつけた。結局打つことと売ることしか出来ない以上、あとは売る相手をとことん見極めることしかできはしないのだ。もしも自分以外の人間が売るのよりも、より悲劇の少なくなる商いをする。自分にならできる、という気概を持って、――あるいは使命感を持って――武器を売る。そういうことでしか、父が殺しその父が殺し、それに連なる祖霊が殺しと積み上げた死屍累々に責任をおうことは出来ない。
ただそう言う奇麗事を置いておいて、自分の欲望を、つまり明日は今日よりいいメシを、という向上
心を抱くことは、多くの場合「もっと殺そう」という発想に行き着く。
この思いが罪悪なのなら、自分は、ディオヘルは、この名で生まれて武器屋を継いで、そのせいで。
――あらゆる向上を望んではならなくなったのか?
「――ディオ、手」
「あ、ああ。悪い」
知らず知らずにとまっていた皿洗いをせっつかれて再開する。すっかり綺麗になった皿がつみあがるまでにそれ程時間はかからなかった。桶を抱えあげて、もう一度屋内へ。敷居をまたいだ途端に、また会話が始まる。
先を行くヴァレリーが言う。
「戦争、という話ならな。キアズマよりきな臭いところがある」
「どこだよ?」
「北方」
キシ、と桶の中で食器がこすれた。
「山脈向こうの土地はやせ細っていて、そのうえ山越えは春先でも死者がでる難業だ。国王に限らず、この国のものは誰もそこに攻め入ろうなんて思っちゃいない」
「知ってるよ。誰だって」
「そうだな。みんな、北方と戦争なんてないと思ってる。《こっちから攻めるつもりもないのに争いごとになるはずもない》、と」
「間違ってないだろ」
「そんな傲慢が通るか」
廊下の真ん中で、ヴァレリーはふと立ち止まった。
「こっちに襲う理由がなくても、向こうには大いにある。私たちが村と呼んでいる規模の土地で、向こうの人間はその二倍食っていける」
「だから襲ってこないんだろうが。つまり、俺達は向こうの二倍飯を食ってるんだから」
それは国民の平均体格の差であり、そしてそれ以上に単純な継戦能力の差だ。山脈をはさんでの持久戦になったとき、こちらは相手よりはるかに殴り合いを続けられる。北方と王国での戦争は起こらない。戦争なんてレベルにならないというのが、ちょっとでも祖国の外交を知る大人たちの共通見解だ。
「だが」と、ヴァレリーは足した。「だが、もしも、北方民族が」
「牛を素手でくびり殺せる兵隊を、千人用意したとしたら」
「――っ」
息を呑んだ。
ヴァレリーは振り向かない。仕事ではないこの時間、ヴァレリーがいつものように髪をまとめていない、それがやけにディオの目に付いた。――音さえもなくて、耳が澄んでいくかわりに、視覚が引き上げられていく、そう言う感覚。
ひりひりと空気が、冬の朝のように凍てついていく。どんよりとした曇りを思わせる。不吉な重さと、硬さ。
ディオの視線は行き場を失って、目前のヴァレリーの後頭部へ吸い込まれていく。
ひきつけられ、ひきよせられ。その、後頭部を、
ベンディ印のお玉で一閃。
二十二の女が後頭部を抑えて綺麗にのけぞる姿をディオは初めて見たが別段うれしくもなかった。
「痛ッだ、イ、イヅ、だぁっ!?」
「アホかヴァレリー」
「どこから!? 今どこからお玉が!?」
「洗い物していた桶の中から」
「そんな、仕込みを、態々ッ……!」
「いや、ただの偶然だけど」
ご大層に拭くまでもないだろうと思って適当に水を切って放り込んでいたのだった。まさかこんな伏線になるとは自分でも思ってなかった。
「やっぱりベンディおじさんとこのお玉は丈夫だ……」
「一回その職人に会わせろ! 未認可危険物販売でしょっ引いてやる!」
「ナニイウデスカ、モチロンムラヤクバコウニンネ。アンゼンアンゼン」
「国家の安全が脅かされている!?」
「別にちょっとさぁ、その気になれば石ぐらい砕けるその程度だって」
「そんなお玉がここいらの一般家庭に流布してのか!? 危険極まりない!」
「極まってんのはお前の頭だっつの」
何物騒なこと言ってやがる、と言うと、ヴァレリーが振り返り、何か言いたそうな顔でディオをにらみつける。
「なんだよ」
「…………」
「あ、アホー」
「……だってぇっ!」
「うお、やめろキモイ声出すな!」
特に言いたいことはなかっただった。というか、よっぽどお玉が利いたのか、随分昔の、憲兵になる前の口調と声色に戻っている。
憲兵になってからのヴァレリーにすっかりなれたディオには相当違和感が残って、「耳に引っかかる! 首筋がぞわぞわする! ヤバイキモイやーめーろー!」
「うっさい! キモイとか言うなアホって言ったほうがアホなんだアホーアホー!」
「例えそうだとしてもその論理はお前がアホでないことを証明していない! よってお前は俺をアホと罵倒することによって自分がアホであることを証明したばかりか繰り返しアホということでより自分がアホであることをひけらかしているのだ!」
「何言ってんのか分かんないんだよアホー!」
「お前はアホの王様だっつってんだドーアホー!」
「ディオがなんか接頭語つけたぁ!」
その後も――いつの間にか桶もお玉も地面に置いて――大声の罵りあいが続いたのだが、そういえば昨日もこんなことをやったんだったとどちらからともなく気がついて、なにか無闇な徒労感に襲われてへたり込んだ。
「止めよう、なんか、どうせあれだ、一週間後はジェフリが結婚して真・アマリモンズになるんだ、俺ら」
「……どこで人生間違ったんだろう」
「あれじゃね、洒落で憲兵の採用試験受けた辺りじゃね」
「……洒落じゃない」
「ノリ?」
「ノリでもない」
「……お前言ってたじゃん、あれ、酒の勢いで試験会場に突貫して、そのまま合格したって」
「そんなの方便だバカ。バカ、バーカ」
デイオが覗き込もうとした顔を、ヴァレリーは伏せて隠した。
「察せ、バカ」
「……」
「だから私はお前が嫌いだ」
こうなるともう、ディオにもため息くらいしか、つけない。
「……知ってるよ」
「フン」
「アイツ、イザドラなら、大丈夫だよ。《昨日も何事もなかったし》、いくつか頼み事されたけど、さすがに出来ないことがあるっていったら、《キチンと理解して》、今は体が鈍るからって、ランニングしてる」
「……上で寝てると思ってた」
「もうすっかりぴんぴんしてるよ」
さすが、と言っていいのかどうか、少し迷いはしたのだが。とにかく行って来いというとあの金髪のならず者は、意気揚々と、足取りも軽やかに走り出して行った。
その後姿を思い起こしながら、ディオは言う。
「あれなら、一週間もいらないって、大丈夫。万事心配する必要はないから」
「……………」
「お前が心配しなくても、俺が何とかする」
「………それらしいことばっかり言って。いつもおまえは、口だけなんだから」
「だな」
「武器屋も、いつになったら元に戻るんだ」
「さぁな」
「ちゃらんぽらんめ。だから私は」
「知ってるよ」
「フン」
「さっさと立て、店を空けっ放しにして、それでも商人か若旦那」
「生憎、憲兵の監視がないと店に立てない身分なんだ。残念だよ」
軽口を叩きながらディオは考えていた。
ヴァレリーについたいくつかの嘘と、それに重ねて、イザドラの「要求その四」
イザドラは要求のどれもこれも、あきらめるつもりは、ないようだった。