竜、語らう
ひとしきり笑ってディオの首筋から手を離したイザドラには、すでにその愉快そうな声音を隠すつもりもないようだった。どうにもこの女が五、六回転分はひねくれた性格の持ち主のようだ、ということをディオは嫌でも認識する。いまだに手の感触が残る素直な首筋を撫でながら振り返ると、イザドラは幽鬼もかくやといった薄ら笑いでこちらを見ていた。すらっとした腕を組んで、ディオの対面の壁に背中を預けている。
「……うん、大丈夫みたいで安心したぞ。初めてのことで手加減を間違えるかもしれないと思っていた」
「人の命を迂闊に扱うな……」
「イメージトレーニングはしたぞ?」
「人の命を適当に扱うな! もっと丁寧にことを進めろよ!」
「十分丁寧だと思わないか、強盗にしては。――こんな前提で話をする機会があるとは思わなかったな、ワクワクしてしまう」
「そりゃ重畳だよ……」
「そう景気の悪いカオをするな。美男子が台無しだぞ」
「お世辞だろ」
「お世辞だがな。で、仕事場はどこだ。剣を運ぼう」
「要らないよ」
そういうとディオはゆっくりと息を吐いて、足元の鉄塊――イザドラのクレイモアの柄と思しき場所を握り締めた。
「……おいおい、見栄を張るなよ。いいから仕事場を」
「仕事場に他人は入れない」
「それこそ見栄だろう。つべこべ言わずに――」
イザドラの文句はそこでピタリと止まった。
「なんか言ったか?」
「……つべこべ言うのは悪癖だ、と自己をかえりみていた」
片眉を吊り上げて、イザドラはようやく笑みを収めていた。
目の前の優男が、軽々とはいえないまでも自分のクレイモアを持ち上げて見せる。
そういう光景に少なからず驚いているんだろうと思うと、ディオの心中にすがすがしいものがあった。
ディオが峰を当てるように肩に担ぐと、イザドラが喋りだす。
「君も、ひょっとして悪魔憑きの類なのか。殺めの業を売る武器屋には多い、と聞いたことが……」
「坊主の説教を聞きすぎだ。それなら軍人の子にゃみんな猫耳が生える」
広いとはとてもいえない廊下ではこの剣は取り回し辛く、少しの難儀をしながらディおは答える。
「物事には骨があるんだよ。肉屋は解体のコツを、革靴屋は革細工のコツを、武器屋は刃物沙汰のコツを知ってる」
「そんなものでどうにかなるのか」
「どうにかなる。爺さん婆さんが寝物語代わりに聞かせてくれた」
ほかにもそれからの生活のうちで体感し、体得していった武器屋のコツは数知れない。重たい武器類を確実に支える方法や、得物と持ち主の体格から有効に武器が働く範囲を見抜く方法。単純な鍛冶技能も父親よりも祖父から受け継いだもののほうが多いといっていい。今もディオは尋常でないクレイモアの重量を、体全体を通過して地面に支えてもらう。
「ひどい剣だ。どれだけ手入れしてねぇのか見当も付かねぇ」
「……どこで頼んでも目が飛び出るような値段をとられてな。ぼったくられるのが馬鹿馬鹿しくていつからかやめてしまった」
「バカ、ぼったくりじゃないよ。適正な値段だ」
武器というものには型式がある。刀身の形、製法、使用する鉱物。剣といってもシャムシュルやフランヴェルジュといった変り種があり、さらには刃渡りの長さなどでも細かく規定され、さらに各商店で受け継がれる、それぞれに対応したマニュアルが存在するのだ。勿論武器それぞれで個々人に合わせた微調整はされるが、操るのは結局人間なのだから、根本的に大きな違いはないものになる。
その点このクレイモアはひどいものだった。ディオの知る限りマッケンジィ武具商店にこのような形式の武器を扱った事例はないし、多分店中のどの文献をひっくり返しても同じパターンの仕事についてはかかれていないだろう。なんせ御伽噺の英雄の得物だ。それを仕上げようと思うなら時間と手間が湯水のように必要になる。
ここで重要なことは、手間も時間も商人にとっては金と同意義、ということだ。
「まともな商人でもコイツは扱いに困る。ましてやウチみたいな弱小ならいうまでもなく、だ」
利を優先する、という最低原理を忘れることは商人にはできない。それを怠たるということは今までに蹴落とした競争相手に唾を吐く行為となる。
しかし、時に金子より優先される取引がある。
「だが、命を盾にとられちゃしかたねぇ。渋々、嫌々、やってやる」
「……やりたくて仕方なかった、という顔で言われてもな」
「言ってやがれ」
そういってディオは地下室へ向かうが、本当はわかっている。
暗い暗い階段を下っていく間。ディオは自分のにやけた口元を、必死に抑えようとしていた。
***
武器屋というものは違いなく刃物狂いになるとまことしやかにささやかれる。それは命を殺める道具を売るたびに、悪魔がその売った刃を使って魂を少しずつ削っていくかららしい。先細りになった魂は均衡をかいて、刀身の輝きに魅入られる異常な性質を備えていくそうだ。
いつごろからそんな迷信が広がったのかしらないが、ディオの爺さんの爺さんが洟垂れだった頃には、とっくに武器商人は金物を造る鍛冶工房からつまはじきにされて、全く独立したコミュニティを築くにいたっていたらしい。それとほぼ同じ頃に絶えず国からの監視が付くようになり、現在の衛兵付きの営業体制が整ったと聞いている。
もちろんそんな商売の肩身が広いわけもなく、マッケンジィ武具商店のような近所の包丁研ぎだけが仕事の店ばかりでもない。時代によっては国からの迫害をうけることもある武器屋たちはそれぞれに連絡を取り合って巨大な職業組合を形成しているのだが――いまのディオにはどれもこれも些事だった。
自分は刃物狂いではなかったはずなのだが、と言い訳をしながら仕事場へクレイモアを運び込み、再び一階へ戻ってきたディオにイザドラが突きつけた「要求その三」
「結局そんなに食えてない。飯をくれ」
「……仕事場には鍵かけたからな。テメェの得物が惜しかったらもうちょっと神妙にしろ」
「その鍵は暴れ牛より手ごわいのか?」
ンなわきゃない。
保存食と貨幣が羽を生やして飛んでいく姿を幻視しながら、ディオは再び台所にたつ羽目になった。
「さっきみたいに豪勢じゃなくてもいいぞー」
「あたりまえだ!」
食卓に着いたまま生意気なことを言うイザドラにディオは干し肉を千切りながら言い返す。適当に塩を振って味付けしてから数本の黒パンと一緒に運んでいくと、待ちに待っていたという顔でイザドラが手をすり合わせていた。
「っふふ……ああいう豪勢なのもいいが、こういう粗食のほうが私はそそるな」
「あれは普通晩飯の品数だ」
「というかあんなに豪勢な代物を怪我人の前に出して君はどうするつもりだったんだ。普通はもっと病人食みたいなものを出すだろう」
よっぽど動転していたんだな。と苦笑されてむっとした顔を作る。
「ん? 気にしてるのか?」
「うるせぇ、つか普通に話しかけてくんなよ。強盗と被害者だぞ」
「さっき仲良くなったじゃないか。なぁもう一回言ってくれよ。おっぴょっ」
「黙って食って寝ろ怪我人。これは友情にのっとった気遣いだ」
「――わかったわかった。君は意外と可愛いな」
クツクツとひとしきり笑ったあと、意外に丁寧に「いただきます」と礼を言ってイザドラは干し肉にかぶりつく。黙々と粗食する音が、しばらくの間食堂に響く。
手持ち無沙汰になったディオはとりあえず対面の椅子に座って、一心不乱に食を行うイザドラを見ていた。
相変わらず顔は綺麗で、金髪も自ら光を放っているかの様に美しい。だがよくよく見れば顔の目立たないところにうっすらと傷跡のようなものが見て取れた。「竜の子」とやらの体質で傷の治りが早いからこそ目立たないのだろうか、と考えて打ち消す。今まで正面から見て築かなかったということは、さりげなく目立たないような髪形になっているのではないだろうか。
髪が伸びるたび鏡とにらめっこして苦心するイザドラの姿を想像し、それ以上考えると引き消せない深みにはまるような気がして、ディオは即座に頭に浮かんだ景色を振り払った。
どれほどそうした沈黙が続いただろうか、消えた黒パンの重量についてディオがそろそろ考えたくなくなった頃に、イザドラがつぶやいた。
「――君は」大皿に盛られた黒パンをまた一本手にとって、言う。「君はもう少し私に恐れおののくか、憎悪を向けるべきだと思う」
「……そうだな」
「そのくせに余裕だ」
視線をじっと手元に固定したままのイザドラの表情はディオには読めない。
「その余裕は、さっきの【コツ】があればどうとでもできる、という自信か?」
「……ああ、多分そうだと思う」
密着されているならともかく、一対一で落ち着いていれば一目散に逃げるくらいのことはできるだろうとは思っている。そして憲兵の詰め所に飛び込めばそれでいいのだ。
「それにヴァレリーも得物さえあれば何とかできると思う。あいつが長柄物をもったら力なんて関係ないよ。脳天ぶち抜かれて一発だ」
「だが、さっきは素手だった」
そう言われてディオは黙り込む。確かに食堂にも台所にも、リーチを無視できるほどの長い棒は置いていない。
黙りこんでいるとイザドラが顔を上げて、見慣れつつある薄笑みを向けてくる。
「なんだ、いざというときに備えて女を逃がした、ということか。存外と気立てのいい男だったんだな、君は」
「……飯食ったとたんに評価が甘くなってないか」
さっきまでは連れ込んで乱暴するつもりだったんだろうとか言ってきたくせに。
現金なやつめ。とディオがあきれて見せると、したり顔でイザドラがうなずく。「まぁ、その可能性もぬぐいきれない」
「とはいえ君がそういう卑劣漢に見えなくなってきたのもたしかだ」
「案外簡単な人間だな、お前」
「そういうな、惚れっぽいんだ」
咽た。誰がって、ディオがである。
人は唾だけでこれほど危機を感じられるのかというほどに咳き込むディオを尻目に、イザドラが続ける。
「可愛い反応をするな君は。そう照れるな」
「びっくりしてるんだ!」
「君は優しくて良い奴だ」
「なぁそれは何がきっかけの方向転換なんだ!? 頼むから何をたくらんでるのかはっきりしてくれ! 心臓に悪いんだよ!」
「たくらんでいるなんてそんな疑り深い。傷ついてしまうぞ。私は、私は……」
イザドラは心苦しそうに胸に手を当ててしなを作る。
「私は、ただ……」
「……」
「ただの愉快犯だというのに」
「最悪だ!?」
「ちょっとバカな童貞をからかってみたいという幼げな乙女心……」
「そんな残虐心が全女性に標準装備されているというのか!?」
「え、あれ、ひょっとして本当に童貞……?」
「申し訳なさそうな顔をするな!」
ここまで一切厚顔不遜だったイザドラが、初めて反省の色を見せた瞬間だった。
「……いいよ、もういいよ、殺せよ。俺を殺せよ……」
「何もそこまで……」
「お前にわかるかよっ! 二十三にもなって経験のない男の悲哀が!」
「あー、私も同い年だが経験はないぞ」
「んなことぶっちゃけて慰められると思うなよ……」
ディオを慰める同世代の常套文句がそれだ。「処女はもてはやされるんだからさ、童貞だって恥ずかしいことじゃねぇよ」「純潔って男にしろ女にしろ大事なものだと思うわ」「そうやって大事にしておいて、いつか好きな人にささげられるって素敵なことじゃないかな」
そんなもの詭弁に過ぎない、とディオはいつでも叫ぶ。
「誰も貫いたことのない槍と、誰も通したことの無い砦、どっちに価値がある?」
「……砦」
「つまりはそういうことだ」
「…………ごめん」
謝られてもうれしくなかった。
むしろこの大胆不敵なイザドラが謝罪した事実が止めになった。
「……しかし、なんだ、君は私の目から見ればなかなか良い男だぞ」
フォローまで入った。
「顔立ちも悪くは無いし、鍛冶仕事で体はできているし、口も回るしさっき言ったみたいに気立てが良いし。それに、ほら、えっと、料理もできるじゃないか。うまいぞ、君の料理は」
「……お前が善意で言ってるんなら感謝するけどな」
そう言うイザドラは多分、途中から言えば言うほどディオが惨めになるのが面白くなっているに違いない。なぜなら顔が晴れやかだからだ。
「地獄に落ちろ愉快犯……強盗よりその罪は重いぞ畜生……」
「何を言う、友情にのっとった気遣いだ」
なぜディオの周りにはこう面の皮の分厚い女しかいないのだろうか。
神がいるとしたらその横っ面を張り倒してやりたいとディオは心底思った。
「まったく君は可愛い奴だ。好意的に思うぞ」
「絞めるぞ。キュッて」
「本当だって」
「……さっさと食え」
「それだから可愛いというのだ」
言うだけ言ったイザドラが再び食事に取り掛かって、程なく皿は空になった。ディオにして見れば悪夢がようやくさめた心持ちだ。
そんなディオの心中を見抜いたわけでもないだろうが、イザドラが笑う。
「ようやっと、という顔をしているところ悪いが、最後に一つ話がある」
「なんだよ」
「要求、その四だ」
干し肉をつまんだ手をぬぐいながら、イザドラは続ける。
「これが本命だ。これさえかなえば、私は出て行く」