竜、哂う
店先のよろい戸を閉め、本格的な店じまいの準備をしながら、ディオはヴァレリーに話しかけた。結局一通り飯をかきこんだ幼馴染は再び憲兵の制服に袖を通して、いまはディオが店舗側の扉にしっかり施錠するのを見張っている。
こうしてよろい戸とディオのジィさんの代から使っている巨大な南京錠でマッケンジィ武具商店が封され、店の裏側の小さな勝手口にディオが消えるまでが、ヴァレリーにとっての「武具店監視」の仕事の時間だ。
背中にヴァレリーの視線を感じながら、背を丸めて鍵を落とす感覚。そこに、不意に声がかかる。
「……一週間待つ」
「いいのかよ」
「お前の拾い物だ。お前で管理しろ」
拾い物、というみもふたもない言い方に言い返そうとして、とどのつまりそういうものか、と納得する。憲兵にして唯一の【共犯】であるヴァレリーが黙っていてくれるというのなら、この問題はディオのものになるのだ。
鍵のかかった大きな建物を見上げながら、あの行き倒れのイザドラが語ったことを思い出す。
それは拳と拳をあわせる、北方式の挨拶から始まった。
「私の村には、一本の巨大な剣が碑文とともに祭られていました」
と、イザドラは語りだした。口を挟めないまま、ディオもヴァレリーも結局最後まで聞いたのだが。内容は荒唐無稽というよりかは、疑問の隙間を一つ一つ埋めていくような、妙に隙のないものだった。
「スレッダは何の変哲もない農村です。リュクレーフという英雄が竜殺しをなした、とされるその大剣と、リュクレーフの遺言といわれる碑文だけが他所と違うところで、それは村のみんなの自慢でした。わかるでしょう?」
そういって、イザドラはわかりやすい苦笑を浮かべる。
「お祭りのたびにリュクレ-フの御伽噺を延々聞かせるおじいさんが居るような、そういう何の変哲もない村です。毎年近くの町に麦を卸して、そのお金で嗜好品を買って。若者は町に出たいと考えて、何人かが行商人の方を追いかけて消えてしまうような、それでも村が回っていくくらい子供の多い、当たり前の村でした」
「ああ、想像できるよ。碑と剣は丘の上に立ってるんだろう?」
「その通りです。そして誰かが花をそなえていました。いつもいつでも」
それはまるでありきたりな、目に浮かぶような農村の話だった。
イザドラが言ったような伝説のある村は珍しくもない。というより、ないところを探すほうが難しい。店柄旅の用心棒なんかとも話す機会のあるディオだが、誰でも必ず自分の出身地を自慢するし、その内容は特産品とご先祖様と決まっている。そしてご先祖様のお墓か記念碑は村の一等見晴らしのいいところに作られるものなのだ。ディオの暮らすこの町にも弓と毒草で人食い熊を倒した猟師の話が残っている。最後が一緒だとわかっていても、季節の節目に必ず目を輝かせてしまうそういう話だ。
男の子がリュクレーフの話を身を乗り出して聞いているあいだ、イザドラはほかのおませな女の子達と一緒に彼らをちょっと馬鹿にしながら、それでもいっしょに聞き入ってしまっていたのかもしれない。
そんな想像を先走らせながらディオはイザドラを促した。こくりとうなずいて女は続ける。
「スレッダはいい村でした。小麦の質がとてもよく、他所の町からも買い付けに来るほどで、おかげで町商人にいじめられることもない適度な取引を行っていました。私も当たり前のように、スレッダで大きくなって、スレッダで恋をして、スレッダで子供を生むんだと、思っていました。十二になった年、それが思い込みだったことに気が付きました」
「――それが」
「はい」
懐に手を入れてイザドラは財布を取り出した。真っ黒に痛んだ――一目でどこのものかもわからないほど痛んだ銅貨をつまみ出して、こちらに示す。
「? それは――」
ディオの言葉をさえぎって、クシュ、と。音がした。
「――神よ、お許しを賜りください」
「……嘘だろ」
「憲兵様もどうかお見逃し下さい。硬いものが見当たらなかったので」
いっそ白々しいほどの口調でわびたのは、それが重罪だからだ。
硬貨を故意に傷つける。
それも、指と指でひねりつぶしてしまうなんて。
律儀に神にまで許しを乞うたイザドラの前に、出来損ないの銅細工になってしまった汚い銅貨が一つ転がった。
「十二の夏、私は暴れ牛を殴り殺しました」
「……………」
「素手でした」
「それが……」
竜の子、の意味か。
口に出して確認するまでもなく、イザドラはうなずいた。
見ているディオまで悲しくなってしまいそうな、綺麗な笑顔で。
例えそれが何者であっても、あんな表情は二度と見たくないと、素直にディオはそう思う。なにが嫌かって、そういう顔をした相手を前にして、ディオには何もできないことがだ。そこでヴァレリーがイザドラの体調を理由に話の終わりを促さなければ、笑顔のイザドラを前にして、ずっと固まってしまっていたかもしれない。
イザドラのその後の話は、こうして施錠を行う片手間でもたやすく想像できる。
スレッダ村の光景よりたやすく。
「なぁ男勝り」
「なんだ童貞」
ディオが背中越しに話しかけると、打てば響く返事が返ってくる。
「あれ、あのさ、悪魔憑き、だよな?」
「………………」
時折思い出したように、人々が忘れた頃に生まれてくる、犬の耳が生えたり指が一本多い子供のことをそういうらしい。
ディオも話に聞くだけで、実物を見たことはない。
ただそれに対する、世間の風当たりは知っている。
「言い方が違っても、似たようなもんだよな?」
「………ああ」
「じゃあ、周りの反応も、さ」
「そうだろうな。きっと、そうなんだろう」
「そう、だよな」
「ディオ」
「言うなよ」
ディオはすくと立ちあがった。まだ日も高いうちに店じまいしなくてはならない損害を計算し、たいした損にもならない普段の営業成績に落ち込みかけて、図太く頭から追い出した。そのくらいの神経の強さは、ここしばらくで身についたものだ。
背中に物いいたげな視線を感じても、自分の言いたいことをいえるくらいの図太さ。
「なぁヴァレリー、言うなよ。俺の幼馴染がそんなこと、言ってくれるな」
悪魔憑きだから、追い出せとか考え直せだとか、そういう台詞を。たとえ言い出したそうな雰囲気だけでも、出してほしくなかった。
「……一週間だからな」
「うん」
「狭い町なんだから、それくらいも隠せるかどうかわからないぞ」
「わかってる」
「大体ばれたら私が危ないんだからな! 職務規定違反とかそういう――」
「わかってるよ、ヴァレリー。――あー、その。えっとな、」
言葉を強引にさえぎる。
「お前がいい奴でよかった」
振り向かなかったのは、陳腐な照れ隠しだと自分でも思う。
「ジェフリの結婚式、どうせだから一緒に出ようぜ。一人ずつで行くよりいくらかましだろ」
「ふん」
いつの間にかヴァレリーはずいぶん近くに立っていたらしい。ぽす、と拳が背中に当てられた。
「ディオのバカ、ばーか、あほー」
「……なんでこのタイミングで罵声ですか」
「わかってないのがお前だよな」
最後にぐりぐりとひときわ強く押し付けて、気配が離れていく。
「だから私はお前が嫌いだっ」
***
店先でヴァレリーと別れて――あの後感情の読めない妙な挙動で憲兵詰め所へと帰っていった。――勝手口から店に入る。店舗部分を素通りして地下の鍛冶場に通じる階段脇まで歩いていくと、一本の鉄塊が転がっていた。
柱のような、棍棒のような。しかしよく見るとそれが、自分にとって見慣れた形であることに気が付く。
大剣。
単純にほかより大きい剣、というだけでなく、そのふざけた重量で金属の鎧でも断ち切ってしまう一種の兵器。
もしもディオの背丈ほどもあるこのクレイモアが戦場で振り回されたなら、まさにそう表現すべき戦果と不幸を撒き散らすだろう、そういう異様だった。そういえばイザドラが最初に倒れたとき抱えていたこれを、そのまま適当に放り出してそのままだったのだ。手にとってみると想像通りに重く、冷たかった。刃こぼれがすさまじく、一目で手入れされていないのがわかる。同時に納得する。
それもそうだろう。
正直、こんなもの武器屋でも手に余る。
ましてや今の自分では。
「つか、これじゃホントにただの鉄屑だよ……」
「そういうな」
背後から首筋に当てられた手は冷たかった。
「リュクレーフの頃は業物だった。時間には名刀だって勝てないさ」
「……村の碑物で物盗り家業かよ、いい趣味だな」
「村を出る時押し付けられたんだよ。それに居直り強盗は今度だけだ」
物音どころか、気配さえ髪一筋も感じさせずに、イザドラがディオの首に手を当てていた。
その手が首筋を這うように、つかむ。
「傭兵家業で殺しは慣れたが、――素手は、なかなかない経験だ」
「、――!」
恐れるほどの力はこもっていないが、手元のクレイモアの様につややかで冷たい感触のこの手がどれほどの膂力を潜めているのか、ディオには痛いほど想像できる。
硬貨を故意に傷つける。
それも、指と指でひねりつぶしてしまう。
なら、手のひら全てで人間の首なんて。
「そう力むなよ。仲良くしよう、ディオヘル・マッケンジィ」
「この状況で友情を育めるのは聖者か神か図抜けた馬鹿だ!」
「なら今から馬鹿になれ。そうだな、要求その一だ」
同時に、ぐ、と力が込められる。「1足す1は?」
「……2」
ぐっ。
「おっぴょっぴょー!」
「よろしい。大変馬鹿だ」
この上ない屈辱だった。
今なら憤死という死に方の機構を解明できる、とディオは確信した。
「ど、どれだけ猫をかぶっていやがったんだ。別人じゃねぇか、まるっきり別人じゃねぇか」
「憲兵を向こうに回して大立ち回りする器量はないからな。君も話をあわせてくれたから実に助かった」
「あわせ、って」
「言わなかったんだろ? 居直り強盗と。宿屋の前に放り出すふりだけして、あとからそこの地下室にでも連れ込むつもりだったのか?」
鍛冶場への階段を、顎で指す雰囲気だけが伝わる。
「とんだ悪党もいたもんだ。まったく私なんて可愛いものだ、まだ何も盗っちゃあいないんだから」
もっとも、今から君の命をかすめ盗るかもしれないんだが。と冗談めかした口調で言われても、まったく笑えやしない。
「まぁ欲をかいて失敗するのも商人の勉強だろう、そう落ち込むなよ武器屋の店主――
。私の話を聞いてくれれば丸く収まる」
「要求、その二ってわけか……」
「そうだ、まずはそのクレイモアを手入れして欲しい」
「高いぞ、行き倒れに払えんのかよ」
「文無しだから君の命で支払おう。ちょうど手持ちがあるんだ」
「……冗談が下手だな、さっきから一つも笑えないぜ」
「無骨物なのさ、手加減だとか、華奢なものを扱うのも苦手さ。だからあんまり挑発はするな」
「俺も同じだよ、特に女が苦手で触られたりするともうドギマギだ。首に手を這わされたりしたらゾクゾクしちまう」
「気が合うな?」
「仲良くしようぜ」
「この状況で友情を育めるのは、聖者か神か図抜けた馬鹿だ」
「おっぴょっぴょー!」
「よろしい、大変なバカだ」
イザドラがケタケタと哂った。
なにが嫌かって、そういう顔をした相手を後ろにして、ディオには何もできないことだった。