竜、名乗る
「腹と背中に裂傷。左腕の骨に異常。その他細かな切り傷打撲が体中に多数」
店の二階廊下、小さな金ダライ(ペンティ印)に数枚の手ぬぐいを浸して抱えたヴァレリーが、使われていない部屋から出てきてディオに報告する。水で満たしていたはずのタライは真っ赤に染まり、その中の人物――自称居直り強盗、実質行き倒れ――の現状を言葉よりもありありと伝えてくる。
突然店先に上がりこんでディオの言葉も待たずにぶっ倒れた不審人物を、とりあえずヴァレリーと二人がかりで運び込んだのがついさっき。一通り手当ての心得のあるヴァレリーが様子を見立てるのをディオはじっと待っていた。
「一応重症だが、医者に連れて行くほどではない」
「わりぃな」
「気にするな。仕事だ」
礼金をくれるというなら遠慮はしないがな、と嘯く国家公務員にじっとりとした低所得者眼光線をあびせる。そんな金があるならもう少しましな商品を入れてるよ、いや、その前にペンティ印シリーズを充実、あ、違う、二階の雨漏りが先。そうだ運び込んだ時垂れた血の始末もしないと。モップと、バケツと、しみになったり腐ったりする前に済ませないとなー、しんどいなー、一日バカみたいに眠り倒したいなー。こんなとき無性にお手伝いが欲しくなる、いや、もういいや、取り繕わない、カミさんが欲しい。
「……どうした、台所隅のカビパンみたいな目をしてるかと思ったら突然涙ぐんで」
「なんか、哀しみが不意打ちしてきた……」
持ち込んでいた椅子に座り込んでカツカツカツ、とつま先を床で鳴らす。畜生、こんな、戦略的な襲い方しなくても常々打ちのめされてるって言うのに……。
「出会いが、出会いが欲しい。クソ、ジェフリの野郎……」
「落ち着けディオ! 深呼吸だ! 一時の感情に飲まれるな!」
「ああ、そうだったな。式だ、結婚式の時にこそこの気持ちは発露するべきだったな」
「わかってくれたならいいんだ」
「覚えてろあのスケコマシ、これ見よがしに俺とヴァレリーで連名の招待状なんて送りつけてきやがって」
アマリモンズで揃ってやって来い、おこぼれくらいはくれてやるよぉあっはっはっはぁ! と高笑いする女の敵ジェフリの邪悪な顔が目に浮かぶ。こんな奴だったかどうかは定かではないというかもっと気弱な奴だったというか多分他の友人連中が首謀者だろうとかそういうのは無視だ。
「夫婦に送る形式だろうがあれはよぉ! 何だ何の嫌味だよ死ねよジェフリっ!」
「……いや、私としてはそれは別に怒るところでないというか、悪い気分でないというか」
「日和るなヴァレリー! 心を強くもつんだ!」
「うん、まぁお前はそういう奴だよな」
「……? おうよ!」
「……だから私はお前が嫌いだ」
「なんで!?」
いまいち腑に落ちないが、とりあえずといった感じにため息をつかれた。理不尽だ。一応発足したばかりの「ジェフリに裸エプロンを許さない会」の二人きりの会員で有る以上もう少し待遇の改善を要求したいのだが。
まぁいいや、披露宴のときに見境なく料理をむさぼり倒すのに協力してくれれば。とそこまで考えて、先ほどまで部屋の中の人間を思っていたときの緊張感がないことに気がついた。
「……つまり、無視してこんな話できる程度って事なんだな」
「わかってるじゃないか」
「よかったよ。死に目を見たりとか、そういう厄介なことにならなくてさ」
旅人は多い。一応王都に近いこの町は、一生に一度の王城詣でなんて酔狂をやらかす連中の通り道にもなっている。大抵の連中はわき目も振らずに通り抜け、たまに変に力尽きて、ここでダラダラと旅塵を落とそうと酒びたりになって金欠になったりする。
山賊や狼に襲われて、ぼろぼろの布切れみたいになった”生きた死体”が片足引きずってやってくる事だってある。
そんな剥製にしたいくらい絵に描いたような親不孝者の盛大な自爆行為の終焉を見ることになるよりかは、まぁずいぶんと上々な結末だ。素直にそう思ってディオは肩の力を改めて抜く。
我ながらわかりやすいと思っているとあからさまにヴァレリーがほほえましげな目で見てきたので、あわてて意地汚い話を探してつくろった。
「救民法の適用もあるかな」
行き倒れた旅人や浮浪人への施しに対して一定の報奨金が支払われる法律だ。小銭を恵んだ程度では審査どころか窓口で説教されるのがオチだが、この分なら。
「あるだろうな。旅の身だろうし、怪我の手当てもしたし、この分なら飯の一つも食わせることになるだろ」
「食えるの?」
「多分な。一筆書いてやるから、一段落したら本人連れて役場まで持って来い」
「……食うの?」
飯を? つまり、金を?
自慢ではないが、金物屋に落ちぶれた武具屋に満足な金があるはずもない。
そんなに切実に貧乏なわけではないが、食い扶持が増えたりしたら、したら。
「今月、お前は嗜好品一切なしだ」
という、ヴァレリーの一言で心が決まる。
「よし、捨てよう」
「そこまで!?」
「考えろ!」
目を剥くヴァレリーの肩をつかんで、ディオは力強く訴える。
「今月、通販、禁止、だとしたら……」
「ぐっ!?」
ディオは知っている。今町の女衆の間では首都との通販カタログを皆してキャーキャー言いながらめくるのが大流行なのだ。そして目の前の女丈夫が毎月末の「自分へのごほうび」と称するささやかな買い物を心待ちにしていることを。
「な、ヴァレリー? 宿屋の前においていこう。手当てもしたんだ恨まれる筋合いはないさ」
「う、だが、しかし……」
「大丈夫さ、官憲のお前が少し目をつぶってくれるだけで、俺は台所を食い荒らされずにすむんだ。な?」
ぐぐぐぐ、と顔を寄せて熱弁。
「だがな、その……」
「なんだよ歯切れ悪ぃな顔の近いのが気になるわけでもあるまいし!」
ひょっとしたらつばでも飛んでたか? と懸念する中、ふるふるとヴァレリーの手が挙がり、ディオの背後を指差した。
「当人に見られちゃ、っぷ、くっ……見逃せないなぁ」
ドアの影から、人影がこちらを伺っているのを見て。
ディオは決まりの悪さだけで人は死ねると学んだ。
***
「……どうぞ、遠慮せずに食べてください」
「いや、その、あはは……」
「あは、あはは、ははははは、はぁ……」
と、食卓に着いた【自称居直り強盗氏】が引きつった笑いを浮かべるのを見て、そりゃそうだとディオもまた笑うしかなかった。あんな会話を聞いた後に「じゃ遠慮なく!」とがつがつ食えるやつが居たらそいつはきっとどこに行っても死なない。いざとなれば犬の小便のかかった雑草だろうともりもり食ってしまうだろう。
自分の父親がいくらでもそうできるタイプの人間なのを思い出してげんなりしながら、食卓に食材を並べていく。いためたベーコンの大皿とオムレツ、自家製の木苺ジャムはペレーネという細長いパンのそばにおく。今朝包丁研ぎに行った家のいくつかから料金代わりにもらった野菜をとにかくぶち込んだおざっぱなスープに井戸水で冷やしたサラダまで付いて、こんなに豪勢な食事はディオ一人の昼間では絶対に料されるはずのないものだった。
「なんだディオ、あれはないのか、果物は。今ならスモモが旬だろう」
「なぜお前は席についてますか」
当たり前のようにナイフとフォークを前にしたヴァレリーにじっとりした視線を向ける。
「診察代および日々の迷惑料だ。たまにはもてなせ幼馴染」
「お前の面の皮を素材にくれたら考えてやる」
さぞかし硬く分厚いクレイモアが作れそうだ。
と、そこまで軽口をたたいたところで、くつくつ、と二人のものではない笑い声が忍び漏れて、注意を引く。
「……それに」
そちらを見ながら、ヴァレリーが言う。
「――お前が不正に旅人をほうりださないか監視しなくては」
旅人、とヴァレリーが称したのを聞いて、忍び笑いしていた人間の視線が不意にディオに向かう。
居直り強盗、と言ったことに関してはヴァレリーには言っていない。
軽くうなずいてみせる。
「……いや、不正だなんてとんでもない。ディオヘルさんと憲兵様には礼を尽くしても尽くしきれません」
まるでなにかの合図だったかのように席を切り出して、その人間はしゃべりだした。
「女だてらに旅の身の上、路傍に転がることになれば一体どうなっていたか。不躾にあがりこみその上看病まで受けたのです。これ以上を望めば罰が当たるというもの」
と、そこで声を区切って、旅人は立ち上がって左胸に握った右こぶしを当てる。
「このスレッダ村のイザドラ、出来る限りのお礼はさせていただきたいと、そう思っています」
ここらの地方では珍しい、透けるような色の肌と、光の粒が飛んでいるような金髪がゆれる。
イザドラ、と名乗ったその旅人の敬礼は、いかにもこの地方の挨拶を勉強してきました、という危なっかしさがいまだに抜けていなかった。
スレッダなんていう村もついぞ聞いたことがない、特徴からして北方の出身だろうか。とはいえ山脈を越えた向こう側でもないとここまで白い肌にはならないだろうし、そうなるとこの国の人間ではないことになってしまう。――王都からはるか北の大山脈は、その余りの険しさから自然の防壁となって自然と国境線の扱いを受けているのだ。つまり、ひょっとするとコイツはただの旅人でなく、密入国者である可能性さえある。
しかし、ディオには他の事が気にかかってしかたなかった。
「……女?」
「何だと思ってたんだ」
なぜかヴァレリーに睨まれてあわてて取り繕う。
「いや、だってさ」
旅人――イザドラが暗い店内でぶっ倒れたとき、体には分厚くごつい板金鎧が纏われていたのだ。その上運び込んだ後の手当てがヴァレリーに丸投げだったので、鎧をはずしている姿を見るのはこの食卓が初めてなのである。傷の具合を聞く限りどうも傭兵か用心棒くずれかと思われたので、相手が女性、という状況はまったく想定外だった。
「道理で……男のくせに綺麗な顔してると思った」
「うれしいな、ありがとう」
「――っ」
「どうかしましたか?」
「いや……。なんでもないよ」
言えない。
にこり、と微笑まれて、柄になくドギマギしてしまった、なんてのは、22の男が言っても気持ち悪いだけだ。
「んん! んっんん! んんんん!」
「……どしたヴァレリー、咽た?」
唐突に口に手を当ててせきをし始めたヴァレリーに言うと、座ったままギロリ、とか音のしそうな目で睨まれる。
さっきよりはるかに強度が上がっている。
「なんだよ、まだ通販禁止の想像引きずってんのか? ほらスマイルスマイル」
「……いいから座ったらどうだ。立ちっぱなしってのもなんだろ」
そう言われてまだ自分が給仕の格好のままなのを思い出す。さりげなく椅子をひかれたのにつられて、ヴァレリーの隣に座った。
……なんだろうか。
並んで座った二人の前に、イザドラが肩身の狭そうな顔で座っている、この構図。
食事、というよりかは、尋問のような。
その感想が間違っていなかったことを、次のヴァレリーの一言で悟る。
「スレッダ村のイザドラ」
「はい」
「私は憲兵だ。憲兵である以上、いくつか君に質問しなくてはならない」
思わず口を挟む。
「……おい、ヴァレリー、病み上がりなんだから」
「お前はだまってろリトルパープリン」
「りとっ……!」
「喧嘩は後だ。――お前の言うとおり、彼女は病み上がりだ。腹と背中に裂傷。左腕の骨に異常。その他細かな切り傷打撲が体中に多数。一応重症だが、医者に連れて行くほどではない。そういう傷を抱えた怪我人だ」
「だったらさ、ほら、いまは飯食って、体力つけて、それから」
「気づけ、察しの悪いやつめ。だから私はお前が嫌いだ」
あきれた顔で言われる。
もうディオに説明する気もないのか、ヴァレリーはさっさとイザドラに向き直って話を続ける。
「イザドラ、スレッダ村のイザドラ。君は怪我人だった。重症だが医者に連れて行くほどではない怪我人だった」
「はい」
「医者に連れて行くほどではないが――重傷だったんだ」
「……はい」
「それが何で、こんな風に食卓につける」
ようやく気づいたディオが息を呑むより早く、ヴァレリーが言葉を続ける。
「君は何で、そんなに早く《治っている》」
その言葉に、詰問に。
イザドラは一度目を閉じて、ゆっくりと開いた。
何か切ないものから目をそらすための、そういう動きで。
「それを説明するには、私の生まれたその瞬間から、説明しなくてはいけません」
そういうとイザドラは両手のこぶしを握り、胸の前で押し当てて頭を下げた。
「私はスレッダ村のイザドラ」
「竜殺しの村に生まれた、竜の子、イザドラです」