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竜、来る


 ACT1 Dragon’s order


挿絵(By みてみん)





 田舎の空はぬぼっと見上げるのにちょうどいい。


 王国の一隅、王都から少し離れた、そこそこに整備され、そこそこに繁栄した、そこそこ田舎の、そこそこの町。時たまそんなことを考えながら、マッケンジィ武具商店の軒先で、ディオヘル・マッケンジィは空を仰ぐ。都会の空は狭く、辺境の空は孤独だと言う。ならばこうして、住み育った町の親しみすぎるような空を見上げるのがちょうどいい。適度に狭くて、適度に孤独だ。


 この日の空はどんよりと曇っていて、それでいて雨も降りそうに無い。夏ごろによくある、シルクのカーテンをかぶせたようなうっすらとした雲だった。あの日もこんないやな空だった、と彼は回想する。


 ディオヘル――親しい者の呼び方に習うならディオ、がこの店を継いだのは18の時、とは言っても、継いだ、といえるのかどうかはちょっと定かではない。どっちかというと押し付けられた、に近かった。朝、いつも通りに起きて、テーブルの上にあったその置手紙を見たときは確かにそう感じたのだし。


『後は任せた!』


 コレが、仮にも三代続いた武器屋の店長の残す置手紙だろうか? 脳みそパープリンな父親は溺愛する自らの妻を半ば掻っ攫うようにして旅立った後だった。いや、少し前から「新婚旅行に行きたい」「おまえを産んだせいで行きそびれた」などと愚痴り倒してはお袋にしばかれていたけれど。まさかこんな。一抹の疑いも困惑もなくあのクルクルパープリンめチクショウ、と納得できる親子関係にげんなりしながら見上げた空も、こんな風にいやな空だった。ようやく十八になって改名権を得、この大仰な貴族風の名前をピエールとかジャックとかにしようと思っていたのに。親の署名がないと三十まで改名できないと知って、ディオはこの上なく落ち込んだ。


 そしてひとしきり落ち込んだ後は、厄介ごとが追いかけてくるのが世の常だ。せいぜい数週で帰ってくると思っていた両親は、一月、二月、半年待っても帰ってこず。今では一年に一度、はるか彼方の南国からの葉書が届くだけ。完全に隠居気分のラチガイパープリンに替わってディオは武器屋の営業に忙殺され、あっちに走りこっちに走り、碌な恋愛もせずに四年もたって、ああ畜生女の子の手を握ることもなく二十歳をこしちまった。あんだよ、やめろよ男友達連中、そのにやにやした顔をやめろよ! しかも何だよこの親父直筆の真っ赤な帳簿は!? お袋が管理してたんじゃないのか!? ひょっとして! その、イケナイ所に武器を流しておられた……?


 必死で後始末に奔走し、あちこちに頭を下げまくり、ちょっとうらぶれた取引相手の方に「けじめはウチの先代に取らせます。ええ、命でも何でも」と少し乗り気で約束して。


 紆余曲折、今は何とか食っていける経営をしている。なんだ、やるじゃないか自分。


「どうした、竜でも飛んでるか?」


 誰も褒めてくれない自分の半生を振り返っていると、横合いから嘲笑交じりに声をかけられた。声の主なら見なくてもわかる。きっとそいつは憲兵の制服を着て、長い髪をもっさり束ねている。


「早々飛ぶかよヴァレリー。神父様曰く、神は天に居まし」


 しかし何もなさらない。と結んで、振り向く。予想通りの、正式装備を生真面目に着こなした女憲兵が立っていた。


 武器屋は扱うモノがモノだ(人外パープリンは自覚に欠けていたが)国に登録した商店以外営業は許されず、そのうえ営業中は町役場の憲兵に監視される。ディオの営むマッケンジィ商店も例外ではなく、毎日この女憲兵、一応幼馴染のヴァレリー・クロケットが警備に立つ。ちなみにディオは幼馴染と思っていない、親父の帳簿を始末しようとしたときさんざ生真面目に見咎められたからだ。なんだよ俺がやったんじゃねぇよ、見逃せ、頼むから、お願い。と土下座までしたのに頭を踏まれ無碍に断られたのは記憶に新しい。一生根に持ってやる。


 そんな理由で今日もこの女憲兵はディオの店先に立って、何も起こらない田舎の商店を警備している。立ちっぱなしというわけにも行かないので休憩時間は店の二階の自宅部分を貸してやるし、たまに朝飯まで作ってやってるのに、暇に溺れていらつくのか、ディオが平穏に空を見ていると、さっきのように毒舌を吐いてくる。


「そうか、てっきり童貞をこじらせて妖精が見えるようになったのかと」


 訂正、いつでも毒を吐いてくる。


「うるせぇ、俺にはまだ八年ある。望みは消えてねぇ」

「……そうだな、あと八年”も”あるな」

「優しい目で見るんじゃねぇ!」


 ちなみにこの地方では純潔を保って三十になると魔法使いになるというまことしやかな伝説がある。


「知ってるか、最近近所の娘たちはお前をあがめている」

「な、なんでだ……」

「うむ」


 唾を飲むディオに、意味ありげにうなずいて、一言。


「”モテない感じ”はお前が全部吸ってくれる!」

「そいつらここに呼んで来い!」


 娘たちというワードに期待してしまった切ない純情も返せ!


「というかまだ22なのになんでそこまで言われなきゃならないんだ!」

「残りの八年が容易に想像できるからだ! お前は合わない殻をしょったヤドカリのように、この商店を転がすのに必死になって手も足も出ない!」

「若干詩的に表現できたからっていい気になるなよ! あ、やめろ! そのしたり顔をやめろ!」


 ディオに言わせれば向かいの酒場の柄の悪いのもいけないのだ。健全な酒場なら可愛い給仕の娘とか居て、ちょっと遅れた帰り際「お嬢さん、もう暗いから泊まっていきなさい」なんて言えたかもしれないのに。聞こえてくるのはもっさいオッサンの叫び声だけだし、働いてるのも似たような筋肉質のクリーチャーだけだし、今だって昼間だってのに中からけんか腰の大声が聞こえてくる。騒音で訴えてやろうかなんて恨みがましい視線を向けると、心中を察したらしいヴァレリーが微笑みながらこう言う。


「未使用は国家に対する反逆だ。国民には次世代をはぐくむ義務があるからな」

「お前は血も涙もねぇな!?」

「知ってるか、童貞は死にいたる病だ」

「ウソつけ! ……ウソだ! ウソだといってよヴァレリー!?」

「敵を貫いたことのない槍はなんて叫ぶ?」

「俺に戦う相手をくれ! もうやめてくれ泣きそうだよ昼間から!」

「知ってるか」


 天下の往来で何てこと言うんだこいつは、と慄くディオなど知ったこっちゃない、と毒を吐き続けた口が、いったん言いよどむ。


「……パン屋のジェフリは今週末が結婚式だ」

「……今週末なんだよなぁ」


 そう、今週末、ヴァレリーとも共通の友人の、言ってしまえばディオと同い年の、パン屋のジェフリが美人の嫁さんをとっ捕まえる。


「俺と夜通し裸エプロンについて語ったジェフリがなぁ……」

「させるんだろうな……」

「だろうな……泣いて頼んで着て貰うんだろうな……」


 あのジェフリがなあ……、と二人して遠い目をする。幼いころの思い出をたどっているのも多少あるが、何より自分の身を振り返ってだ。ディオの方は言わずもがな、こんな風にねちねち言い立てるヴァレリーだって女だてらに憲兵なんてやってるし、何より堂々と童貞だの未使用だの言っちゃう性格だから似たようなものだ。実際、それをディオが言わないのは、昔からコイツがいじめた相手に毛虫の大群をひっかぶせるような奴だからというだけで。


「焦る、な……」

「ああ、焦る……」


 どちらともなく口にする。ああ、どうしよう。あと何人だ同い年でろくに経験のないのは、自分たちを入れて、三人、いや、もうこの二人だけ……、ああそうか、もうこの二人しか余ってないのか……。


 そんなネガティブな思考を裏にして、気がつけば話はジェフリのよくない思い出羅列大会になっていた。あいつ八つの時風呂覗いて捕まったよな。そうそう、そのころ鬼ごっこの最中に肥溜めに落ちて暫くあだ名がミスター不潔になった。そうだよ、その間秘密基地に入れてもらえなくなったんだよな。んでもって悔しくて秘密基地の上から、木に登って小便を……。


 木で編んだちゃちな屋根をすり抜けて、暖かい液体が垂れてきた阿鼻叫喚に思いをはせたその時だ。向かいの店の喧騒がピークに達し。玄関先から二人の男がもつれるように転がり出てきた。続いて、一人、二人、あっという間に合計八人。


「仕事だぞ憲兵」

「わかってるよ。ったく、昼間ッから」


ヴァレリーが面倒臭そうに手を差し出す。


「武器」

「グレイブやらが未テスト」

「それでいい」


 店先のグレイブ――薙刀を引っつかんで放り投げると、それを受け取った女憲兵はあっという間に、八人の始まるか始まらないかという喧嘩の渦中に飛び込んでいく。


 まずは一閃。ニメートルほどもあるグレイブを軽々と振って一人の頭を捕らえる。峰打ちだろうが、鉄の塊をまともに頭にくらい、相手は地面に崩れ落ちる。


「しなりが悪い」

「男向けだな。今年のネンフェザはそういう戦略か」


 こちらにほうられた薙刀と批評をうけ取って、別の一本を投げる。


 暫く何がおきたのかわかっていなかったのだろう、ボケッと突っ立っていた酔客がようやく喧嘩相手が増えたことを認識し、息を振りまき拳を振り上げる。さらに、一閃、二閃、三閃。二人の足を打ちつけ、一人から小手を奪う。かがみこむ連中を尻目にディオの方へ振り向いて一言。


「こんどはしなりすぎる。頭も重い」

「女向け……じゃないな、玄人好み」


 ぺ、とポケットから出したメモを貼り付け、さらに一本、今度は片手剣を。背後から迫る男の鼻っ面に柄頭で一撃。鞘から抜かずに、一人の懐にもぐりこんで鳩尾に刺突。振り向きざまにもう一人の喉を一撃。駄目押しに、左拳を酒気で真っ赤な顔面に。


「鍔が広いな。取り回しづらい」

「調整するか」


 そして最後の一品を投げる。


 受け取ったそれをヴァレリーは正眼に構える。最後に残った暴漢は、やっとこさ相手が憲兵であることに気がついたらしい。右を向き、左を向き、やがて逃げられないことを悟り、口から泡を吹いて腕を振り回しながら飛び出してくる。ヴァレリーは大きく動かず、ただ一歩右に踏み出し、すれ違いざまに、


 一閃。


 どさり、と音を立てて崩れ落ちる人相の悪い男を見て、ディオは自分の商品の見立てにうなずく。


「うんやっぱりコイツでよかった」


 ヴァレリーの手中で銀色に輝くラストウェポンをみて、満足。



「ベンディおじさんとこのお玉は丈夫だ」



 パッカーン、といい音が店先に響いた


「いってぇ!?」

「アホかお前はっ! なんでこの流れで最後にお玉なんだ!」

「しょうがないだろ!? 一番の得意先から頼まれてるんだから!」


 最近ねー、旦那をポコポコポコポコやってたらお玉がへこんじゃってねー。という近所のおば様方の要望で入荷した新商品。隣町のペンディおじさん謹製の丈夫なお玉。


 その他売れ行き商品は、大型金ダライ、お鍋の修繕、包丁の研ぎなおし。


「お前にプライドはないのか武器屋の息子!?」

「んなもんとっくに食い扶持に取って代わったっつーの!」


 四年間、未熟者一人で回すには小さな個人商店でさえ難しく。


 気がつけば、マッケンジィ武具商店は金物屋に落ちぶれていた。


「情けないぞ私は! なにより高々包丁とぎしか仕事のないこんな店を見張る自分が情けない!」

「じゃあ盗賊相手に横流ししてやろうか! 大口だぜ大口あっという間に大金持ちだぜ!?」

「私の目が黒いうちはそんなことさせるか! 王国騎士団のお抱えになるくらい言ったらどうなんだ!」

「なれるモンならとっくに王都に越してるよバーカバーカ!」


 喧嘩の原因やその後の処理も忘れて、ぎゃあぎゃあと死屍累々の酔客どものど真ん中で低レベルな舌戦開始。「バカドバカ超バカ! だから私はお前が嫌いだパープリン二世!」「その名で俺を呼ぶなぁ!」「うっさいジュニア! やーいやーいお前もそのうち脳みそスポンジ男になるんだー!」「ならないね! 俺の血はお袋100%だね!」何事かと人も集まり始め、それが見慣れた二人だと気づくとやいのやいのとはやし始める。


「こりねーなーモヤシ店長と鋼鉄女」

「「うっせぇ!」」

「ほかの事に精出せアマリモンズー!」

「「今の誰だ! 殺すぞ!」」

「いっそくっつけー!」

「「御免だ! 死んでも! どけこら野次馬!」」


 息の合った動きで人ごみを掻き分け、外に出る。鼻息も荒く二手に別れ、ディオは再び

店番へ、ヴァレリーは事情を聞くため酒場の中へ。


「……うっせぇんだよ、どいつもこいつも」


 情けないなんて、言われなくても分かっているんだ。


 そんな苛立ちを抱えて、また空を見上げる。知らないうちに雲に一筋の切れ目が入り、暖かい光が差していた。



 なんだっけか、ああいう天気を呼ぶ、古い名前があったはずだ。



 そんな他愛もないことを無理に考えて、苛立ちにふたをしようとする。いまいちうまくコントロールできないまま、店のよろい戸を開ける――いつの間に閉めたっけ?――窓の無いせいで昼間でも暗い店の中に、座り込んだ人影がある。胡坐をかいて、柱のような、棍棒のような、奇妙な道具を抱えて。人影がこういう。



「こんにちは、居直り強盗なんだが」



 意味を理解するまでたっぷり十秒。


 危機を理解するまでその上十秒。


 その間に唐突に倒れた人影を助け起こすまでさらに十秒。


 疑問符にまみれた頭の中で一つ、間の抜けた考えがまとまった。



 そうだ、竜の駆けたような雲、と言うんだった。

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