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 上手さんや山川、江草さんと例のオブジェを移動した翌日の放課後、美術部顧問の綿貫直三先生に呼び出された。

 職員室の一角にある、パーテションで仕切られた談話スペースに二人で座った。綿貫先生は五十代のベテラン美術教師で、かつては自作の油絵に定期の買い手がつくほどの才能がある画家だったらしい。今はおっとりとした雰囲気で、太鼓のような腹を理由に『タヌキ先生』と生徒たちから呼ばれている。本人もその呼び方が気に入っているようだった。


「美術部、やめるんか?」


 開口一番、ずっと先送りされてきたその問題について、綿貫先生は聞いてきた。

 高二になってから約一ヶ月半、美術部には一切顔を出していない。普通なら、やめたと思われても仕方ないのだ。


「…………やめます」


 僕は、あらかじめそう答えようと決めていた。

 遅かれ早かれ、決断する必要はあった。可能な限り問題を先送りしていただけだ。

 綿貫先生はコーヒーを一口飲み、しばらく時間を置いて、また話しはじめた。


「みんな、寂しがってるぞ。お前が美術部に顔出さないから。鷹野さんなんか、毎日美術室に来て、お前がいないことを確認して、肩落として帰ってる」

「きなこが……?」

「仲、良かったんだろ」

「別に。たまたまジャンルが一致していただけです」


 かつては彫刻というジャンルだったが、オブジェの制作は彫ることにとどまらず、様々な形があるので、今は立体という名前で呼ばれることが多い。

 ほとんどの生徒が油彩の絵などに取り組む中で、僕ときなこは立体ばかり製作していた。特にきなこは彫刻一筋だった。今どき彫刻なんて中々評価されず、僕のように自由なオブジェを作った方が、受けはいいのだが。

 そういう関係で、きなことは一緒に話すことが多かっただけだ。


「退部届もらってないから、今はまだ所属扱いにしとくが。退部するんだったら、他の部員にちゃんと、理由を説明してからにしな。今の状態のまま部員の皆と別れたら、きっとお前も、部員の皆も辛いぞ」

「……僕のことなんか、誰も気にしてないと思いますけど」

「何を言ってるんだ。お前が『天変地異』の製作にかかった時、みんな素材になりそうなものを持ち寄ってくれたじゃないか。みんなお前の才能を知ってて、お前に期待してたんだぞ」

「ゴミを集めただけですよ」

「立派な製作やろうが。そんなこと言うなや!」


 綿貫先生はもともと関西人らしく、感情的になると少し言葉遣いが変わる。

 どうにか先生の興味を引き離そうと、僕が適当に話したら、どうやら超えてはいけない一線だったらしく、一瞬火をつけてしまった。しかし、すぐに怒りは収まって、またコーヒーに口をつけた。


「二年の最初に配られた進路希望票、まだ出してないらしいな」

「……」

「一年の時は、美大だけ書いてすぐ出してただろ」

「美大はもう無理です」

「なんでだ?」

「……色々考えて決めたんです」

「ほおん。そうかあ」


 綿貫先生はそれ以上、何があったのか聞こうとしなかった。


「まあ、退部するんなら、ちゃんと退部届出せよ。顧問じゃなくて、部長や部員にな」


 そう言われて、面談は終わった。

 大人はずるいな、と僕は思う。

 僕は完全に心を閉ざしていて、誰にも本音を言おうとしない。大人はそれに気付くと、それ以上深入りしようとしない。ただ自分へ当たり障りのないように、軽くいなすのだ。


** *


職員室を出て、僕はさっさと帰ろうと、廊下を歩いていた。

途中で、不思議な組み合わせの女子二人を見かけた。

 上手さんと、鷹野きなこだった。

 青柳高校は理系と文系でクラスが分けられていて、僕と上手さんは理系、きなこは文系。だからこの二人は、自分たちから会おうとしない限り、偶然話すことはまずない。

 僕は二人から離れて、会話を聞いていた。


「どうして南條くん、美術部の活動に参加してないの?」

「わからん」

「部活に行ってないだけで、一人で何か作ってるとか?」

「しらん」

「誰か、鷹野さん以外の部員で、南條くんから何か聞いてる子はいないの」

「たぶんいない」

「そっか……ねえ、一つだけお願いがあって。南條くんが作ったあの『天変地異』っていうオブジェ、しばらく解体しないで、そのままにしてほしいんだ」

「かいたい? なんで?」

「それは、ね……いや、いいの、とにかくそのままにしておいて。どこかへ動かしたり、解体するようだったら私に教えて」

「ん!」


 ほとんど押し問答で、きなこは走って去っていった。

 僕はそのまま去ろうとしたが、廊下の途中で物陰もなく、ふとこちらを向いた上手さんに見つかってしまった。


「……聞いてたの?」

「うん。部員の誰にも説明してないから、誰に聞いても無駄だよ」

「私、美術部に一人友達がいるんだけど。南條くんと一番仲良かったのは鷹野さんだ、って聞いたんだよ」

「ふうん。まあ、誰に聞いても同じだよ」

「あの子、ちょっと独特な感じで、話すの苦手だな。よく仲良くなれたね?」

「あいつは彫刻一筋の製作バカだからなあ」


 僕と同じで。

 そう続けようとしたが、今はそうではないので、言葉にできなかった。


「あの……南條くん」

「何だ?」

「もしかして……鷹野さんと付き合ってたの?」

「は? んな訳ないだろ。僕、彼女なんかいたことないし」

「その美術部の友達に聞いたんだけど、南條くんと鷹野さん、美術部ではすごいラブラブだって言ってたよ」

「それ、女子が勝手に言ってるだけだ。あいつ、製作してるものをすごく近くで見る癖があって、僕が手に持ってる製作中の素材をものすごく近くで観察したり、距離感がバグってるんだよ。そのせいで女子が、僕ときなこをからかってる」

「名前で呼んでるのは? 私のことは上手さんって呼ぶのに」

「なんか呼びやすいし、美術部ではみんなそう呼ぶからな。他の女子はみんな名字で呼んでる」

「部活がある日以外も毎日一緒にいた、とか」

「週三の活動日以外も製作してるのは僕ときなこくらいしかいないんだよ。お互い自分の製作してるだけで、特に話すこともなかった」

「怪しい……」

「本当だよ。まあ、きなこの性格をもっと知ればわかると思うぞ。あいつ、頭の中本当に彫刻のことしか考えてないから。彼氏作るなんて、そんな発想があるとは思えない」

「女の子は誰でも、恋心くらい持ってるよ……」

「ん? よく聞こえなかった」

「とにかく、鷹野さんとは付き合ってないんだね?」

「そう言ってるだろ」

「そっか。そうだよね。はは、よっしゃ」

「よっしゃ?」

「うっ。なんでもないよ!」


 何故か背中をべちん、と上手さんに叩かれた。いてえ。


「私、友達やさっきの鷹野さんにあのオブジェ解体しないよう頼んだから、しばらくは問題ないと思うよ!」

「まあ、他人の製作を勝手に壊すやつはいないだろうな」

「そうだよね。だから南條くん、あのオブジェを美術室に持っていったんだよね?」

「他に思いつかなかっただけだよ」

「ゴミ捨て場に持っていったら、そのまま処分されたかもしれないよ?」

「そんな粗末な真似できるか」

「やっぱり、あのオブジェ気に入ってるんだ」


 僕は返す言葉がなかった。

 あのオブジェは現時点での最高傑作であり、ゴミ捨て場に置く、なんて粗末な事は考えたことがなかった。捨てるとしても、ちゃんと解体してからにしよう、とは思っていた。確かにほとんどがゴミで出来ているから、用務員さんが解体して勝手に捨てられるかもしれない。

 

「私はね。あきらめたんだよ、バドミントン」


 ふと窓の外へ視線を移した上手さんが、遠い過去のことを思い出しているような、儚い表情を見せた。

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