ある男が死んで
その男は檻の中で怯えていた。彼は外の世界で人を殺し、死刑判決を受けたのだ。
復讐めいた事情があり相手を殺したことを悪いとは思っていなかったが、信心深いせいで死後地獄に行くことを恐れていたのだ。
「ああ、死にたくない、死にたくないなぁ。閻魔様になんと言い訳しよう?
あの男がどれほどひどい奴だったかをちゃんと説明すれば同情して罪を軽くしてくれるだろうか?
もっと口が上手い人間でありたかったよ。そもそも頭が良ければあいつを殺すこともなかっただろうに」
男は今までの人生を不幸に耐えて過ごしてきた。
何度も苦しい目にあいながらもそれに負けずに生きてきたのに、たった一度の過ちでそれより辛い目にあう世界に落とされるなんてたまったもんじゃない。
男は悪いとは思っていなかったが、ものすごく後悔していた。
でももう遅い。ある日彼は震えながら外へ連れていかれ,絞首台で死んだ。
心配していた通り、彼は恐ろしい大男の前につれて行かれた。
「おお、あなたはもしや閻魔様か?」
大男は「いかにも。今から貴様の裁判を行う。そして死後の行き先を決めるのだ!!!」と、辺りを揺らすような大声で答えた。
「恐れながら申し上げます、わたくしは…」
「黙れぃ!!貴様の発言はここでは許さぬ。口を閉じておれぃ!!」と閻魔。どうやら言い訳の機会をこちらには与えてくれぬらしい。
男は冷や汗と涙をじわりと吹き出した。
裁判が進んでいくが、閻魔の言うことには殺人はどんな理由があろうとも許されることでは無いようで、極刑は免れぬようだ。彼は心の中で地獄行きを覚悟した。
「それでは判決を言い渡す!!」
ああ、いよいよか。
「貴様には….」何千年炎に焼かれるんだろう。恐ろしいなぁ。
「再度人間としての転生を命ずる!!」それとも延々と鬼に…...
ん?
「おい、聞いておるのか?」
「あ、失礼いたしました閻魔様。1つお聞きしてもよろしいですか?」
「なぜ自分が地獄行きでないかを知りたいのだろう。」閻魔は少し声を落とした。
「は、はい。お話からわたくしは確実に地獄に落ちるものだと覚悟いたしておりました。」
「それについては度々聞かれる。まず、貴様らの考える地獄というものは存在しない。」
なんだと!?地獄が存在しないだって?
「ですが、わたくしはこうして閻魔様に裁かれているではありませんか?」
男がそういうと閻魔は憐れむような表情を作った・
「フン、貴様らの生きる世界よりも下は無い。地獄とは貴様らの世界のことよ。」
......さんざん自分の地獄行きを恐れていた男は、驚きで頭の中を一瞬止めた。
「世界は確かにいくつにも分かれていて、死後別の世界に生まれ変わることもある。
しかし貴様らの世界ほど痛みや苦しみに溢れた所は他にはないわ!ましてや自らと同じ者の命を殺して裁かれる魂はそこからしか運ばれては来ぬ。」
閻魔が言うには私は今度はややましな境遇の人間に生まれ変わるそうだ。
今のもう一つ前の人生で私は大きな罪を犯し、その償いとして苦しい生を与えられたとのこと。
そこでもし復讐心を抑えられて殺しを行わなければ、一つ上の世界へと進めたのだそうだ。
「貴様の知らない幸福は、貴様の頭の上に限りなく広がっている。なのに自らの下の世界を勝手に想像し、それに怯えてしまう貴様らが哀れでならぬよ。
………しかし罪は罪。もう一度あの苦しみに満ちた世界を生きるがよい。」
男は裁判が終わり転生が行われる場所へ行く道すがら、自分について思っていた。人を殺したくなるほど憎み、死後の世界にあれほど怯えたことこそが地獄だったのだ。
それを知り安心し,そしてすぐに、元いた世界に戻ることを嫌だと感じた。いままで知らなかった幸福がある事を知ってしまえば、それまでの普通に満足できなくなる。
どうせ覚えていられないだろうけど、男は今度こそまっとうに生きて上へと昇ることを、心の中で決意した。