5-20:「迎撃」
5-20:「迎撃」
とうとう、高原稲荷神社の境内を守る結界を作り出していた鳥居が、完全に水没した。
祟り神は、川を流れる水が増水すればするほど、その力を増す。
祟り神によって支配される異界における水位は、祟り神の力の大きさをあらわすものであり、今や、神社の守りは祟り神によって無力化されていた。
水没した鳥居の上をゆっくりと乗り越え、祟り神が境内へと迫って来る。
「させません! 」
悠然と、すでに勝利を確信しているように余裕ぶった態度で迫って来る祟り神に向かって、神楽殿の上から満月が弓で矢を放って迎撃した。
ヒュン、と飛んだ矢は祟り神へと命中し、バン、という破裂音と共に、青白い燐光をまき散らしながら祟り神へと突き刺さった。
だが、祟り神は何事もなかったかのように自身のいくつもある手でそれを引き抜くと、矢を真っ二つにへし折ってしまう。
(やはり、通用しませんか! )
満月は奥歯を噛みしめながら、2本目の矢を弓につがえ、引き絞り、放つ。
たとえ、その攻撃が祟り神に対して有効でないのだとしても、今の満月にできることはそれしかない。
今も強く降り続ける雨粒を蹴散らしながら飛翔した矢は、しかし、今度は祟り神がのばした手によって空中で受け止められてしまった。
そして、祟り神はその矢も真っ二つにへし折ると、その虚ろな眼窩から、視線を満月へと向ける。
(嗤ったッ! )
満月はその祟り神の姿に背筋に悪寒を感じながら、3本目の矢を弓につがえた。
「満月先輩! 私がアイツを引きつけます! その間に、どんどん射こんでください! 」
その時、木製の薙刀を手に、そう言いながら祟り神へ向かって行ったのは、ゆかりだった。
すでに満月の放つ矢が通用しないのはわかりきってしまったことだったが、「数で攻めれば通用する」と信じて戦うしかない状況だった。
「たあああああっ! 」
ゆかりは雄叫びと共に薙刀を振りかぶり、すでに境内へと続く石段をすべてのぼり終えていた祟り神に斬りかかる。
ゆかりの薙刀は練習用の木製のものに過ぎなかったが、びっしりと隙間なく張りつけられたお札によって霊的な存在に対して一定の攻撃力を得ている。
その切っ先が祟り神の身体に触れるたび、電撃が走るような音と共に青白い燐光が舞い散り、祟り神がゆかりに向かけてくるその手を払いのけた。
満月は、ゆかりが戦っている間に、祟り神の上から次々と矢を放った。
もはや、祟り神との距離は数メートルしかない。
満月の腕であれば、時間をかけて狙いをつけずとも外しようのない距離だった。
だが、満月が放った矢は、祟り神の幾本もある手によって、すべてつかみ取られ、真っ二つにへし折られてしまう。
祟り神は、無数の水死体がからみ合ったような姿をしているが、そのために目も腕も数えきれないほどたくさんあって、ゆかりと戦いながらでも満月の攻撃に対処できるようだった。
「ぅわっ、わわわわっ!? 」
ゆかりが、祟り神に反撃され、薙刀で自身に向かってのびてくる手を振り払いながら悲鳴をあげる。
祟り神の攻撃によって薙刀にはりつけられていたお札がズタボロに引き裂かれ、ゆかりの武器が徐々に役に立たないものへと変わって行っているからだ。
矢の攻撃も通じず、ゆかりと連携した攻撃をしても効果がない。
「ゆかりちゃん! 拝殿まで退却、立てこもります! 」
このままでは勝ち目がないことを理解した満月は、そう叫んでいた。
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拝殿までは、どうにか逃げ込むことができた。
逃げるゆかりを満月が上から弓で援護した、というのもあるが、祟り神があまり熱心に2人を追撃しなかったおかげだ。
もう、自分からは逃げられない。
祟り神はそう考えているのだろう。
鳥居を超えた水位は、それからさらに急上昇し、すでに拝殿などがある境内の高さまで至っていた。
建物の柱の土台がすでに水につかり、石畳の上は数センチほどの水で覆われている。
満月とゆかりが逃げ込んだ拝殿に向かって祟り神はその手をのばしたが、その攻撃は空中で不可視のなにかに阻まれ、弾かれた。
それは、拝殿の奥に祭られたご神体の力と、拝殿の建物の中にありったけ張られたお札の効力によるものだった。
祟り神は数回、のばした腕をしならせ、拝殿を強く叩いたが、拝殿の守りはその攻撃に耐え、簡単には崩れそうになかった。
すると、祟り神は再び攻撃を停止し、拝殿から少し離れた場所に移動した。
祟り神を構成する無数の水死体の眼窩が、拝殿の窓や扉の隙間から祟り神の様子をうかがっている満月とゆかりを見つめ返す。
眼窩に眼球がない以上、そう思うのは満月やゆかりの一方的な思い込みに過ぎなかったが、追い詰められたことを自覚せざるを得ない2人にとっては、怖気がする光景だった。
残された唯一の希望は、治正がこの事態に気づき、駆けつけて来てくれることだけだった。
だが、時間はあまり残されていない。
雨はなおも降り続き、水かさは増し続けている。
本殿と拝殿に施された霊的な守りがいつまで有効かはわからなかったが、建物が完全に水没するまで何とかなるのだとしても、その時は全員、溺死してしまうことになるだろう。
(お父さん……、ハク! 早く! 早く、来て! )
満月は口には出さなかったが、必死になってそう祈っていた。




