4-10:「ハク」
4-10:「ハク」
「旦那様は、お嬢様のことをご心配なさったのでしょう。お酒も入っておられましたし、少々冷静さを欠いていらっしゃったので、このような手法をとらせていただきました」
満月はハクの説明を聞きながら、眠ってしまった治正に近より、その顔をのぞき込む。
治正は、気持ちよさそうに眠っていて、起こそうとしても簡単には起きなさそうだった。
「ハク。お薬はどのくらいで効果が切れるの? 」
「一晩ほどはお目覚めになられないかと」
「無害、なんだよね? 」
「もちろんでございます。私がお仕えしている羽倉家秘伝の眠り薬でございますので。よく効き、後には何も残しません」
「そう、よかった。……けど、どうしよう? わたしじゃ、お父さんをお布団までは運べないよ」
ほっとしたような表情を浮かべた後、満月は困ったような顔をしたが、ハクは「すべて心得ています」とでも言うようにパタンと尻尾を振った。
「私にお任せくださいませ、お嬢様。式神の力を用いまして、旦那様を運ばせていただきます。……お嬢様は、どうか、ご心配なさらずに。お風呂の用意なども整えてございますので、今日は、ごゆっくり入浴され、安心してお休みくださいませ」
「うん。……そうするね、ハク。……ありがとう」
満月の言葉に、ハクは少しだけ嬉しそうに微笑むと、また尻尾をパタンと振った。
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結局、治正はハクが言っていた通り、その日の一晩中、目を覚まさなかった。
翌朝目を覚ました満月が様子を見に来ても目を覚まさず、満月が身支度を整え、朝食を食べ、「行ってきます! 」と元気に学校に向かって行っても、治正は眠りこけていた。
ようやく治正が目を覚ましたのは、もうすぐ10時にもなろうかという時刻だった。
「お目覚めになられましたか。旦那様」
布団で目を覚ました治正のことを優しげなまなざしで見つめながら、ハクの声でそう言ったのは、白いキツネではなく美しい女性だった。
長く、しなやかにまっすぐにのびる白亜の髪に、金色の瞳。
大人びて落ち着いた雰囲気の女性で、目元には紅い化粧がされていて、独特の妖艶な雰囲気がある。
巫女のような白衣に緋袴といういでたちの女性には、普通の人間にはない特徴があった。
その頭部にはキツネの耳のようなものがあり、そして、下半身からは、ふわふわしたキツネの尻尾が生えているのだ。
「よくお眠りでございましたね。ただ今の刻限は巳の正刻でございます。お嬢様は、元気な様子で学舎に参られました」
その女性は、不思議そうな顔をしている治正に問われる前に、現在の状況を簡潔に伝え、何がおかしいのか「うふふ」と口元を手で覆い隠しながら微笑んだ。
「……ハク。お前、一服盛ったな? 」
状況を理解した治正は、その女性をハクと呼び、軽く睨みつけた。
「はい。旦那様はご正気ではあられませんでしたし、少々、お疲れのご様子でもありましたので」
白いキツネから、女性の姿に化けたハクは、治正の言葉に少しも悪びれることなくそう答えた。
治正の方も、そんなハクのことをとがめたりせず、肩をすくめてみせる。
「どうなされますか、旦那様。朝げの支度も整えてございます。何か、お召しになりますか? 」
「いや、いい。昨日の酒はちぃっと効きすぎたようだ。……それより、ハク、膝を貸してくれ」
「……かしこまりました」
治正の言葉にうなずくと、ハクは正座し、治正は自身の後頭部を枕からハクの膝の上に移した。
そうして、治正は心地よさそうに息を吐くと、両目を閉じながら、リラックスした様子でハクにたずねる。
「それで? ハク、お前のことだから、すでにあの丈士と星凪という兄妹について調べて来たのだろう? どんな様子だったか、教えてもらえるか? 」
「はい。旦那様」
ハクはうなずくと、昨晩、治正が眠っている間に密かにタウンコート高原の201号室の近くまでおもむき、見聞きしてきたことを話す。
「お嬢様のお考えは、正しいかと存じます。かの兄妹、兄は生者であるものの、妹は霊となっており、霊はその者自身の未練によって現世に留まるにあらざるようでした。……遠目にではございましたが、兄にはすでに、かすかに死相が見えております」
「そうか。……満月の言っていたことが、正しいか」
ハクの報告に治正は小さくうなずいてみせると、それから、手足を大の字に広げて、「それにしても」と話題を変える。
「その兄妹のために知恵を絞るのは良いとして、だ。……娘の近くに、その兄の方がおるのが、やはり気に食わん」
何とか、見極める方法はないものか。
治正の言葉に、ハクは双眸を細めて少しだけ思案し、それから提案する。
「それほどお気になさるのでしたら、旦那様の目で、耳で、直接確かめる他はございませんでしょう」
「む。男の後をつけろとでも言うのか? 俺は、そういうコソコソとしたことはできんぞ? 」
「いえ。……その者の方から、こちらに参るようにすればよいのです」
ハクの提案に関心を持ったのか、治正は「ふむ」とうなずくと、「続けてくれ」と言う。
それにうなずくと、ハクは自身の考えを説明する。
「もう間もなくのことでございますが、[雨ごいの祭り]を行われますでしょう? 」
「ああ。俺も、そのために帰って来たのだしな」
「毎年、神事のご準備をなされますが、旦那様とお嬢様、そして私だけでは、少々忙しくもありますので、その丈士とかいう男を雇い入れてはいかがでしょう? 聞けば、世の大学生という者の多くは、自ら働くことで日々の糧を得るとのこと。良き条件で雇い入れれば、断られることもございませんでしょう」
「なるほど。……ハク、お前の言うとおりにするのが良さそうだ」
ハクの言葉に、治正は満足そうな様子だった。
そしてそのまま、ハクに膝枕をされたまま二度寝に入ろうとする治正に、「あの」と、ハクがひかえめに声をかける。
「ん? 何だ、ハク? 」
「その……。旦那様。私は、やはり、この姿ではお嬢様の前に出てはならぬのでしょうか? 」
遠慮がちなハクの言葉に、治正は「むぅ」とうなった後、「満月にその姿を見せたいのか」と問い返す。
「不便なのでございます。……旦那様とお嬢様のご身辺をお世話させていただくのに、こちらの人としての姿の方が、何かと容易でございますから」
「それは、そうだが……、すまん」
「ダメ、で、ございますか……」
治正の言葉に、ハクは残念そうな顔をし、キツネ耳をしゅん、とさせる。
そんなハクの表情を、目を開いてじっと見つめた後、治正はそっと手をのばすと、ハクの頬を優しく指でなぞった。
「不自由をかけて、すまないとは思っている。……しかし、満月に、お前の顔を見せてしまうと、俺の立場が無いのだ。……すべては、お前の顔、を我が妻の顔に似せて作り出した俺の、エゴだ」
治正は、後悔と、愛おしさと、寂しさと、複雑な感情の入り混じった表情を浮かべている。
「俺は、情けない男だ。……娘には母の死を乗り越えろと言い聞かせておきながら、自分はその影を今も忘れられずにいる。……ハク、お前と、我が妻は別の人であるのに、こうやって甘えさせてもらっている」
「……それでも、ハクは嬉しゅうございますよ、旦那様」
治正の言葉に、ハクはそう言って優しく微笑みかけると、自身の頬をなでる治正の指に自身の顔をすりよせた。
※ハクさんのイメージイラスト
https://www.pixiv.net/artworks/91712767
少し離れたところから満月をそっと見守る感じを出したかったんですが、どうでしょうか?
これからも、少しでも読者様にお楽しみいただけますよう、できるだけ頑張らせていただきます。
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