3-13:「特別な存在」
3-13:「特別な存在」
満月は確信があるようにそう言ったが、丈士にも星凪にも、彼女が言っている言葉の意味が理解できなかった。
丈士も星凪も、きょとんとして満月の方を見返すだけだ。
2人から視線を向けられて、満月は苦しそうだった。
2人がきょとんとしているのはまだ満月が何を言っているか理解できていないだけで、満月が言った言葉、そしてこれから伝える言葉は、丈士にも星凪にも、残酷な事実を突きつけるものとなるからだ。
満月は一度視線を伏せると、だが、やはり伝えなければならにと、顔をあげ、丈士と星凪をまっすぐに見つめた。
「霊は、生前に強い未練を残した人がなってしまうものです。しかし、話を聞いた限りでは、星凪ちゃんには幽霊になるような強い未練があるようには思えませんでした。星凪ちゃんが不幸な事故に遭い、亡くなったということは悲しむべきことですし、星凪ちゃん自身にとっても受け入れがたいことであっただろうと思います。……ですが、星凪ちゃん自身に思い当たるような未練がなさそうなのは、幽霊としては異様なことです」
「で、でも、それって、事故のショックで、記憶が薄れてるだけ、とかだろ? お、オレも、実は、よく思い出せないところがあるんだ」
満月の言葉に丈士はそう反論しようとしたが、満月は首を左右に振った。
「そうだとしても、星凪ちゃんは、霊としてはかなり異質なんです。……丈士さんもすでに数人の霊を見ているはずですから、霊というのはその未練にとらわれた存在だ、ということは、ご理解いただけると思います。……霊は、その未練ゆえに現世に留まり続け、その未練にとらわれ、その未練のことだけしか考えられない。多くの霊は自らのその未練を思い続け、その強い思いを糧に存在し続けるものです。年月が経ち、自らの記憶が薄れ、自我さえも失っても、その未練は消えません。そうして、自我さえ失って未練だけとなった霊が、悪霊となります。……ですが、星凪ちゃんは、そういった[普通の]幽霊とは、かなり違っているんです」
満月はそこで言葉を区切り、丈士と星凪がここまでの話を理解するのを待ってから、言葉を続ける。
「星凪ちゃん。少し確認ですが……、これまでの記憶、どのくらい覚えていますか? 例えば、小さな子供だった頃のことは、覚えていますか? 」
「え? 何で、そんなことを聞くの? ……そりゃ、もちろん、覚えているけど」
「そこが、星凪ちゃんが[普通の]幽霊ではない、一番のポイントなんです」
丈士も星凪も、訳が分からない、という顔で互いの顔を見合わせた。
満月は、2人が再び自分の方に顔を向けるのを待ってから、説明を続ける。
「霊は、本来、未練にとらわれた存在です。霊の意識の中には常にその未練だけが残り続け、他の記憶は薄れていく。……それが、どんなに大切な記憶であったとしても」
まだ満月が何を言おうとしているのか理解できないでいる丈士だったが、その言葉には思い当たることがあった。
自分を襲ってきた、あのサラリーマンの幽霊のことだ。
あの霊は、丈士に向かって自分自身の未練を叫んでいたが、その中で、家族の顔も思い出せない、そういうことを言っていた。
自分を捨てて逃げ出した家族なのだとしても、あのサラリーマンにとっては大切な存在だったはずだ。
その大切に思っていた存在から置き去りにされたからこそ、あのサラリーマンはそれを未練の一つとして、丈士に向かって叫んだのだ。
だが、その家族の顔をまったく思い出せないというのは、少し不思議な話だった。
たとえ長い時間が過ぎて忘れたのだとしても、その面影くらいは思い出せるはずなのだ。
「ですが、星凪ちゃんにはそういった様子がありません。確かに星凪ちゃんは幽霊ではあるのですが……、霊体であるということ以外は、わたしたち生きている人間と少しも変わらないように思えるのです。……わたしが、星凪ちゃんが自分自身の未練によってではなく、丈士さんの強い願いによって現世にとどまっていると考えるようになったのは、星凪ちゃんがあまりにも人間らしいというのがきっかけでした」
星凪は、「なにそれ、初耳なんだけど」と言いたそうな顔をしていたが、丈士は以前、満月からその話を確かに聞いている。
満月はその時、ショックを受けた様子の丈士を見て慌ててとりつくろっていたが、本心ではずっと、その考えを捨てきれずにいて、今ではもう、確信しているのだろう。
「幽霊にとっての未練とは、その霊が生まれた[原因]であり、存在し続けている[理由]でもあります。霊たちはあまりに強い未練にとらわれ、そのことしか考えられない。他の記憶を思い出すこともまれなので、年月が経つほど自身の記憶を失っていくのが一般的です。記憶は自我を構成する重要な要素ですから、記憶が薄れれば自我も薄れていく。霊は、ただ、未練を思って存在し続ける存在なんです」
霊は、ただ、未練を思って存在し続ける。
丈士の脳裏には、202号室の、悪霊と化した女性の霊の姿が思い浮かんでいた。
丈士は、あの女性の霊と対峙した瞬間、その未練となった出来事が、自分自身の意識の中に流れ込んで来る感覚を覚えていた。
だが、その丈士が目にした記憶の中に出てきた登場人物たちは、みな、おぼろげな存在でしかなかった。
あの女性の霊は、自身がどれだけ酷い目に遭ったかは忘れてはいなかったが、はっきりとした情景までは覚えていなかった。
そして、それ以外にも、たとえば楽しいことや嬉しいことなど、様々な思い出があったはずなのに、その部分は何も残されてはいなかった。
霊は、自身の未練を思い、強く思い続けるうちに、その未練以外の記憶を失い、自我を失っていくのだ。
だが、星凪には、そんな兆候は少しもない。
「霊が霊体として存在し続けるための糧は、その未練、強い思念そのものです。ですが、星凪ちゃんにはそういった強い未練があったようには思えませんし、記憶もはっきりと残り、自我も少しも損なわれていない。……それは、あまりにも幽霊[らしくない]。……星凪ちゃんは、他の幽霊のように、星凪ちゃん自身の未練から糧を得て存在しているのではなく、外部から糧を得ている。……その糧とは、丈士さん、あなたの生命力だというのが、今回の事件を見てのわたしの結論です」
丈士にも、満月が何を言っているのか、その全体像がなんとなく理解できて来た。
星凪は、幽霊としては特殊な存在だという。
普通、幽霊はその未練ゆえに霊となり、その未練を思う強い思念を糧として存在し続けている。
だが、星凪には、自分自身が単独で幽霊となり、存在し続けられるような強い未練を持っていない。
それは、星凪が幼いころからの記憶をきちんと持っていることや、自我をはっきりと保っていることから明らかだ。
強いて言うのなら、星凪には、兄である丈士のことを思う強い気持ちがある。
今ではすっかり[ヤンデレ]と化した星凪だったが、しかし、幽霊化した当初はそんなことはなかった。
だから、星凪にとって、丈士に対する強い気持ちが、霊として存在するようになった原因、そして今も存在し続けている理由とはならないということなのだろう。
「つまり……、その……、結論、は? 」
満月には、まだ言わなければならないことがある。
そんな気配を感じ取った丈士は、それを聞くのが恐ろしかったが、そう言って、満月に続きをうながしていた。
満月はうなずくと、はっきりとした口調で告げる。
「このまま、星凪ちゃんが幽霊として存在し続けるとしたら。……そう遠くない時に、丈士さんは……、死ぬことになるでしょう」




