3-2:「視線」
3-2:「視線」
高原町に引っ越してきてから数週間の間にいろいろなことが起こったが、百桐 丈士の新生活はようやく軌道に乗り始めていた。
講義を受けるのにも慣れてきたし、アパートの部屋の周囲に何があるのかも分かってきて、生活に不便を感じることは少なくなってきている。
だが、丈士は、慢性的に[何となくだるい]感じを覚えていた。
その主な原因は、丈士の妹、ヤンデレ妹幽霊の百桐 星凪だった。
様々な家具つきで、月々1万5千円という破格の家賃のアパートに住み続け、稲荷神社の巫女、満月から星凪の存在を見逃してもらうために星凪は一応、自重はしてくれるようになっていた。
それでも、星凪の暴走が完全になくなったわけでは無い。
特に、星凪が今もっとも関心を持っているのは、稲荷神社の巫女、満月のことだった。
星凪は、満月のことを[丈士に接近しようとする異性]として認識し、丈士の周囲から排除しようと躍起になっている。
巫女として強力な霊能力を持つ満月は星凪の様々な攻撃、ポルターガイスト、呪い、直接的な襲撃などを次々と跳ね返し、ものともしていない。
だが、そうやって丈士と星凪に関わり続けようとするのも、丈士にとっては少し不思議なことだった。
満月が通っている学校は、丈士たちから見ると高原駅の向こう側、丈士が通っている大学とは正反対の位置にある。
だから丈士が帰り路などで満月と偶然、遭遇することはまずないのだが、満月にとって丈士の家であるタウンコート高原201号室は通学路の途中にあるわけで、学校の帰りなどにふらりと様子を見に現れたりするのだ。
しかも、自分の夕食を作るついでだからと言って、夕食を作って行ってくれたこともある。
幽霊であり、幽霊として実害を与えられる程度には力を持っている星凪のことを心配して様子を見に来ているだけで、夕食づくりなどはその口実に過ぎないものなのかもしれなかったが、丈士としては満月の行動を変に意識してしまうこともしばしばだった。
そして、この満月の行動が、星凪の敵愾心を煽っている。
昨日も、星凪は満月がアパートの2階にあがってくるのを阻止すべく、階段の裏で待ち伏せして満月に奇襲をしかけたが、気配を消していても近づけば霊体の存在が分かってしまうらしく、満月に軽くあしらわれていた。
星凪が満月を排除しようとしていることは丈士にとって大きな悩みのタネになっていた。
それだけではない。
星凪は今、学校から帰宅する道を歩いている丈士の腕にいつものようにひっつきながら、右手の親指をくわえて爪を噛むようなしぐさをしつつ、怪しく呟いているのだ。
「あのオンナ……っ! お兄ちゃんは、絶対に渡さないんだから……ッ! ……そうだ! いっそのこと、あたしが無理やりにでもお兄ちゃんを自分のものにしちゃえばいいんだわ! 」
(おいおい、勘弁してくれよ)
ただでさえ、疲れがたまっているのだ。
この上、星凪が丈士に何かしかけてくるというのなら、たまったものではない。
そして、丈士を疲れたような気分にさせている理由は、他にもあった。
主な原因は明らかに星凪だったが、最近、どこからともなく視線を感じることが多いのだ。
それは、たとえば、丈士の部屋の近所だったり、高原駅前商店街で買い物をしている時だったり。
いつ、どこでと決まってはいないが、とにかく、誰かからじっと見られているような気がするのだ。
(なんか、見張られてるような感じなんだよな)
今も、丈士はそんな視線を感じている。
だが、見回してみても、丈士の方を見ている誰かなどどこにもいなかった。
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その日はたまたま、満月の下校時間と合う時間に帰宅したためか、丈士はタウンコート高原の前で満月とばったり出会うことになった。
「こんにちは! ……あれ? もうこんばんはでしょうか? 今日も様子を見に来ました! 」
「ええい、よるな、よるな! お兄ちゃんは渡さないんだから! 」
通学カバンを片手に、親しげな笑顔で手を振った満月に、星凪は番犬のように吠えたてる。
「……? あれ、丈士さん、ずいぶん疲れてますね? 」
しかし、満月はそんな星凪のことを無視して、丈士に心配するような表情を向ける。
星凪の力では自分に危害を加えることができないと分かっているからの余裕か、それとも、満月の天然の入った性格ゆえか。
「ああ、はい、まぁ。……やっぱ、そう見えます? 」
自分のことを心配してくれている満月に、丈士は乾いた笑みを返す。
「原因は、大体、コイツです」
「なによ、お兄ちゃん! あたしはただ、お兄ちゃんを愛してるだけなのに! 」
星凪の方を丈士が指さすと、星凪は不満げにそう言い、それから、満月に向かって舌を出した。
(重いんだよ……。もっと、オレを労わって大人しくしてくれよ)
丈士は内心でそう思いつつも、「原因は他にもあって」と話を続けた。
解決しなくとも、誰かに悩みを聞いてもらえれば、少しは楽になるかもと思ったのだ。
「はい? 何でしょうか? 」
「実は、いつも、どっかから視線を感じるんだ」
「はぁ、視線、ですか? 」
満月は首をかしげ、不思議そうにしていたが、それから何か思い当たることがあったのかはっとしたような表情になる。
「もしかして、別の幽霊、とかですか!? 」
「いんや、さっぱり分かんないっすけど……。また、何かあったんですか? 」
「はい。実は、ついさっき、急に霊的な相談が何件も入ってきまして。全部、この高原町に集中しているんです。ですので、もしかしたら、丈士さんが感じるという視線にも関係があるのかな、と」
「う~ん、どうだろ? ……てか、星凪、お前、またオレに隠れてなんかやってないよな? 」
「しないよ! そんなこと! 」
丈士から疑われた星凪は、不満そうに頬を膨らませる。
「どうして、あたしがお兄ちゃんのところから離れて何かしないといけないのよ? 」
(そういや、星凪のやつ、ずっとオレと一緒にいたもんな)
丈士はその星凪の言葉に納得しつつ、深々とため息をついた。
(自由が欲しい)
それは切実な丈士の願いだったが、かないそうにもなかった。
「すみません、あんまりお力になれず……。それに、わたし、今日はもう、行かなきゃいけないんです。ゆかりちゃんと分担して対応することになっているんですか、ゆかりちゃんは芸能活動もあるので」
「いえ、こっちこそ、忙しいのに変な相談しちゃってすみません。霊の相談の件ですか? 」
「ハイ! まだ詳細は分からないので、とにかく、調べてみようかと」
満月はうなずくと、それからぺこりと頭を下げ、「明日からのゴールデンウィークは、ゆっくりしてくださいね! 」と丈士に言って、元気な様子で駆けていった。
「ほれ、行くぞ、星凪」
その満月の様子を少しうらやましそうに見送った丈士は、それから、満月の小さくなっていく後姿を睨みつけていた星凪の方を振り返り、疲れた様子でそう言った。
※作者捕捉
本話は、前話よりさらに数日経過した時系列となっています




