2-11:「3年前」
2-11:「3年前」
満月の言葉に、丈士はきょとんとした様子で、数回、まばたきをくり返していた。
星凪が幽霊化した原因は、星凪自身ではなく、丈士の方にこそある。
満月はそう言っているのだが、丈士はこれまで、そんなことを考えもしなかった。
そもそも、星凪が幽霊化した原因など、丈士はこれまで、想像したことさえなかったし、その必要もなかった。
何故なら、死んでしまったはずの星凪が、そこにいる。
それだけで丈士には十分だったし、それ以上のことは何も必要なかった。
星凪がヤンデレと化し、いろいろとこじらせて度々丈士の周囲で事件を起こし、丈士自身に過剰に迫るようになった今でも、[星凪がいた方がいい]という気持ち自体は変わらない。
ただ、少し自由が欲しいとは思うが、星凪に消えて欲しいとは思ったことがなかった。
そこまで考えて、丈士は、満月の言っていることが正しいのではないかと、そう思った。
星凪には、彼女自身の未練で幽霊化するような未練はないようだった。
であるのならば、丈士の方の未練によって、星凪が幽霊化してしまったのだとしても、不思議では無いのかもしれない。
そう思えてくる。
「ゆかりちゃんが言うように、霊とは本来、現世にとどまっていてはいけない存在なんです」
これまで想像もしたことのなかった可能性を突きつけられて、唐突に向き合わなければならなくなった疑念に丈士が黙り込んでいると、満月は静かな口調でそう言った。
「何故なら、霊が存在し続けるのは、その強い未練によるもので、霊が現世に留まる限り、その未練によって魂を縛られ続ける。……やがて、自身の中に存在し続ける、決して達せられることのない未練に焼きつくされて、霊は自我さえも失い、悪霊と化す。……霊は、霊であるかぎり、安らかに眠ることができないんです」
その満月の言葉は、冷たい氷のナイフのように丈士の心に突き刺さった。
星凪を、幽霊として現世にとどめている原因。
それが、丈士かもしれない。
それは、星凪が本来得るはずだった安らかな眠りを、丈士が妨げているかもしれないということだった。
そして、丈士には、思い当たるところがあった。
自分には、星凪への[強い未練]があるかもしれないのだ。
────────────────────────────────────────
3年前。
丈士と星凪は、家の近くを流れる[二枝川()にえがわ]に川遊びに出かけ、そこで星凪は川の流れにさらわれた。
その時、周囲には丈士しかいなかった。
誰かに助けを求めようにも、その間に星凪はどんどん流されていってしまう。
もし、星凪を助けられるとしたら、自分だけ。
丈士は、星凪を助けるために、迷わず川へと飛び込んでいた。
丈士は川の流れに乗って全速力で星凪を追いかけたが、追いつくことはできなかった。
水泳の授業ではまるで魚みたいに泳げるくらいだったのに、どういうわけか水面でジタバタともがくことしかできなかった星凪はやがて水面下に沈み、丈士は星凪を追って、自分も水の中へと潜っていった。
水の中は暗く、夏の川なのに、異様なほど水が冷たかったのをよく覚えている。
そして、少しずつ、暗い、闇の底のような水底に沈んでいく星凪の姿も。
だが、そこから先が、思い出せない。
自分は、星凪を助けようと、精一杯手をのばしたはずだった。
星凪がつかみ返そうと手をのばしたことは、辛うじて思い出せる。
だが、それ以外のことを思い出そうとすると、丈士の頭には強い痛みが走り、霞がかかったようになって、何も思い出せない。
それ以降ではっきり思い出せることができるのは、川岸に這い上がりながら、目の前で星凪を救えなかったという自分の不甲斐なさに怒り、気が狂ったように絶叫しながら、血が出るまで河原の石に自身の拳を叩きつけているシーンだ。
妹を、星凪を。
自分は、助けられなかった。
目の前で、死なせてしまった。
それは、丈士が星凪を幽霊としてこの世界に存在させ続ける強い[未練]としては、十分すぎる理由なのかもしれない。
「け、けど……、アイツだって、楽しそうにやってるし」
丈士はやがて、乾いた笑顔を浮かべながら、そう絞り出すように言った。
「成仏とか、そういうの、別に、考えなくていいんじゃないかなって、思うんだけど」
「……」
その丈士の言葉に、満月はただ、無言のまま悲しそうな表情を浮かべるだけだった。
それから、満月は、丈士に何かを言おうとして、開きかけた口をすぐに閉じる。
それを、言うべきか、否か。
満月は迷っている様子だった。
丈士も無言で、満月のことを見つめ返していた。
満月はきっと、まだ、何かを言おうとしている。
丈士に、伝えなければならない言葉を持っている。
だが、丈士は今はもう、満月からこれ以上は何も聞きたくなかった。
「その……、これは、あ、あくまで、1つの可能性でして! 」
やがて、満月はとりつくろうような笑顔を浮かべると、丈士にそう言った。
「今わたしが言ったことは、ほとんど前例のないような特殊な事例でして、丈士さんと星凪ちゃんがそうであるとは限りません! ……そ、それに、無理に成仏させようとか、そういうことは考えていませんので! その……、えっと……、あっ、安心してください! 」
しどろもどろになりながら、丈士を励ますように満月はそう言ったが、丈士は彼女の気づかいの言葉を半分も聞いてはいなかった。
満月の言うとおり、それがあくまで[可能性]の話なのだとしても、丈士がそれを[知ってしまった]という事実は動かない。
それは、星凪を現世に止め、本来得られるべき安らかな眠りを妨げているのが、丈士かもしれないということなのだ。
丈士は、妹を、星凪を、自分の[わがまま]で苦しめているかもしれない。
その[可能性]は、丈士の意識に重くのしかかった。




