2-5:「音寺 ゆかり」
2-5;「音寺 ゆかり」
満月を見送った後、丈士はすぐに食事を再開した。
最後の一口、ゴハンの一粒まで、丈士はきれいに平らげてしまい、それから、満足そうにベッドの上で横になった。
「ふぅ~、食った、食った! こりゃ、下手なレストランより、うまいかもしれないぜ」
「なによ、お兄ちゃん。……身体があれば、あたしだって、これくらい作ってあげるのに」
そんな丈士のことを不満そうに見下ろしていた星凪は、テーブルの上に視線を送り、そこに、まだ一つだけ、小さなハンバーグが残っていることに気がついた。
「あれ? お兄ちゃん。まだ1つ残ってるみたいだけど、食べないの? 」
「そりゃ、星凪、お前の分だ」
心地よさそうにベッドの上に寝そべったまま、丈士はテーブルの上を指さす。
「最初から、満月さんはお前の分もちゃぁんと作っておいてくれたんだぜ? 自分の味見用と、幽霊であるお前用。だから、小さいハンバーグが2つあるんだ」
「や、やだよ。そんなこと言われたって、あたし、食べないよ」
星凪は唇を尖らせ、それから、気味悪そうな視線を、テーブルの上に残されたハンバーグへと向ける。
「だって、これを食べたら、除霊されちゃいそうじゃない? 」
「ハハッ。そんなこたァないだろ? それに、作るところを見させてもらってたけど、そんな、変なものは使ってなかったぞ? 塩とかの調味料も全部、元々この部屋にあったものを使ってもらったしな。……まぁ、騙されたと思って、食べてみろよ」
丈士の言葉に、まだ納得しかねているのか星凪は疑るような視線で丈士とハンバーグとを交互に眺めていたが、やがて、丈士が気持ちよさそうな寝息を立て始めると、ハンバーグの方へと向きなおる。
しばらく悩んだのち、星凪は意を決したように、ポルターガイストの応用で丈士が事前にきれいに割っておいてくれた割り箸を手に取ると、満月が作ってくれたハンバーグを一口大に切り取り、自身の口へと運ぶ。
そして、それを噛みしめた瞬間、星凪の表情が、悔しそうに歪む。
「クッ! ……美味しい……ッ! 」
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タウンコート高原の201号室を後にした稲荷神社の巫女、満月は、アパートを出た後で何か心配するような表情で振り返り、201号室の方を見上げ、しばらくの間そこを見つめていた。
それから満月は、気合を入れるように両手で自分の頬をパシンパシンと叩くと、「よしっ、頑張りましょう! 」と気合の声をあげ、それから、神社への帰路についた。
その歩く道のほとんどは、丈士が大学に通うために使っている道と同じものだ。
というのも、高原駅の近くから、大学の工学部キャンパスまでは1本の、片側2車線の道路でつながっていて、その道路を使えばほぼ真っすぐ、最短時間で移動することができるからだ。
丈士の場合、高原町を流れる大きな河、[太夫川]にかかる橋をそのまま渡っていくのだが、満月はその手前で細い道へ入っていく。
高原町の地名の由来は、太夫川の氾濫原にできた自然堤防に作られた、古くからある集落の呼び名だった。
大昔、開発が進む前は、定期的に氾濫を起こす太夫川の周辺はほとんど原野で、堤防などに守られたわずかな地域に田畑が広がり、一段高く浸水の恐れの少ない自然堤防の上にだけ人々が住んでいた。
今では大規模な治水工事が終わり、開発が進んでその当時の面影はすっかり見られなくなってしまったが、かつての集落の中心として機能してきた満月の高原稲荷神社は、今でもその当時の雰囲気を残している数少ない場所だった。
満月の自宅は、その神社の境内への入り口の脇、自然堤防の上に作られた、広い庭つきの一軒家だった。
都心部のベッドタウンとして宅地開発がすすめられた高原町では、広い庭つきの一軒家は珍しく、多くはあったとしても小さな庭しか持っていない。
丈士が暮らしているようなアパートも数多い中で、稲荷神社の周辺にはそこに小さな集落があっただけの時代から代々暮らして来た人々の家々が集まっており、その多くが広い庭つきの、昔ながらの農家といった形になっている。
さすがに建物は近代的なものになっていたが、それでも、生け垣や板塀で区切られた街路は、歩いているだけでも雰囲気があった。
「あれ? ゆかりちゃん? 」
裏口から自宅の敷地に入ろうとしていた満月は、そこで、自宅の正面のあたりに、1人の少女が所在なさげに立っている姿に気がついた。
満月の知り合い、満月が通っている学校の後輩で、霊能アイドルとしてテレビやラジオなどで活躍している少女、音寺 ゆかり(おとでら ゆかり)だった。
黒髪のツインテールに、はっきりとした印象の黒い瞳を持つ双眸。
高校1年生としては小柄な体格で華奢な印象で、年のわりにずいぶん落ち着いたような雰囲気だったが、芸能活動をしていることからも分かる通り、かわいらしい少女だった。
「おーい、ゆかりちゃん! どうしたの、こんなところで! 」
満月が親しそうな様子で声をかけると、ゆかりも満月の姿に気がつき、ほっとしたような表情を見せると、満月の方へ小走りでよって来る。
「満月先輩! すみません、少し、相談したいことがあって。……今日は、例の、タウンコート高原202号室の霊のお祓いをする予定、でしたよね? あまり帰りが遅いので、少し、心配になっていたところです」
「あはは。待たせちゃったみたいで、ごめんね? 」
「いえ、私の方が事前連絡もなしに勝手に来たんですから。……でも、満月先輩、ケイタイのメールくらい、ちゃんと見てくださいよ? 」
ゆかりの少し呆れたような口調の指摘に、白衣の中に手を突っ込み、そこからケイタイを取り出して履歴を確認した満月は、「あちゃ~、ごめんね、ゆかりちゃん」と、申し訳なさそうな表情をする。
そんな満月のことを少し恨めし気に見ていたゆかりは、何かに気づいたのか、満月に少しだけ顔をよせて、鼻をひくひくとさせる。
「ふん、ふん。……なんだか、いい匂いがしますね? 満月先輩、どこかでお食事でもされて来たんですか? 」
「んーん? 実は、今回の件で、202号室の隣の201号室に住んでいる方にお世話になったもので。そのお礼に、ハンバーグを作って来たんです」
「なるほど。……女性、ですか? 」
「いえ、男の人ですね」
「……おとこ」
満月は何気ない口調でそう答えたが、その瞬間、ゆかりは剣呑に双眸を細め、不穏な口調で、誰にも聞こえないような言葉を呟いていた。
「どしたの? ゆかりちゃん? 」
「あ、いえいえ。何でもありませんよ、先輩」
その様子にさすがに違和感を覚えたのか、満月がきょとんとした顔でたずねると、ゆかりは慌てて身体の前で両手を振り、取りつくろうような笑顔を見せる。
「ふぅん? ま、いいけど。……ところで、相談って? 」
「あ、はい。実は、タウンコート高原の大家さんからの依頼の件なんですが、満月先輩、無事に除霊できたということですが、少し、おかしいんです。まだ、霊の気配を感じるというか、何かがいる、というか」
「……あー、ははは、そのこと、ね」
そのゆかりの様子に、満月は困ったような顔をしながら答える。
「実はね、確かに202号室の幽霊は除霊できたんだけれど、そのとなり、201号室に住んでる人のところに、別の幽霊がいるの」
満月の言葉に、ゆかりは最初、きょとんとして首をかしげ、それから心底驚いたような顔をする。
「……はいっ!? そんな近くに、2人も幽霊がいたっていうことですか!? 」
「う~ん、その幽霊、何でもそこに住んでいる人の妹さんらしいんだけど、お兄さんが故郷を出るのについて来ちゃったみたいなのよ」
「はぁ、そんなことって、あるんですね。……それで、先輩。どう対処するつもりですか? 」
「いや、何もしないよ? ……少なくとも、しばらくは様子を見てみるつもり」
その満月の言葉に、ゆかりは明らかに不満そうな、ムッとした表情になる。
「どうしてですか? 幽霊は、本来、現世にいてはいけない存在なんです。それに、早く除霊をしないと、厄介なトラブルを起こすかもしれません」
「それは、そうなんだけど。……無理やり除霊するっていうのは、できれば避けたいんです」
ゆかりのきつい口調での問いかけに、満月は申し訳なさそうな表情でそう言った。
満月のことをしばらく睨むようにしていたゆかりだったが、やがて、ふっと表情を和らげると、小さく溜息をつく。
「まぁ、先輩がそう言うのなら、それでいいです。……私も、ひとまずは注意しておくだけにします」
「あはは。ごめんね、ゆかりちゃん」
「いえ、私の方こそ、すみませんでした。本当は、202号室の幽霊の件、私の方に依頼が来ていたのに、先輩にお願いしてしまって」
「ううん、いいんだよ、そんなこと! ゆかりちゃんはいろいろ忙しいんだし」
「ありがとうございます、満月先輩」
笑顔で首を振った満月に、ゆかりは深々とお辞儀をする。
「では、先輩、私はこれで」
「あれ? 帰っちゃうの? せっかく来たんだから、お茶くらい飲んで行けばいいのに? 」
「いえ。この後、用事がありますので」
ゆかりの言葉に、満月は「そっか」と残念そうに言うと、笑顔を作って「それじゃ、また学校でね」と、ゆかりに向かって手を振った。
ゆかりの方も、「はい。学校で」と満月にうなずき、小さく手を振ってから、踵を返した。
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用事があるから帰る。
そう言って満月の誘いを断ったゆかりだったが、しかし、彼女は自宅へと直行はしなかった。
ゆかりは、冷静で静かな表情で、タウンコート高原の建物を下から見上げていた。
そして、ポツリと呟く。
「ここが、あの男のハウスですね」
→ゆかりちゃんは、こんな子です
https://www.pixiv.net/artworks/91405155




