2-1:「巫女さんは天然」
2-1:「巫女さんは天然」
「ただいま。……ヒェッ」
タウンコート高原の201号室まで帰って来た丈士は、玄関の扉をくぐり、靴を脱ぎながら、背後に殺気のようなものを感じ取っていた。
思わず悲鳴をあげてしまった丈士が、恐る恐る、ぎこちない動きで視線をあげると、そこには、満面の笑顔を浮かべ、仁王立ちしている星凪の姿があった。
顔は笑ってはいるものの、明らかに怒っている。
「お・に・い・ちゃ・ん? 」
星凪は身体の前で両腕を組んだまま、額に青筋をたてながら、丈士に言う。
「いったい、どこに行っていたの? あたしに内緒で? すぐに帰ってくるって、そういう約束だったじゃないの? 」
「えっ、いや、た、確かにそう言ったけど、でも、ほら、出たついでに買い物も済ませた方がいいかと、思ってさ」
「それなら、あたしにも一声かけてくれればいいじゃない! 」
しどろもどろになりながらの丈士の言い訳に、星凪は激昂し、そう叫びながら丈士のことを睨みつけた。
「あの、お兄さん、どうしたんですか? 」
本気で怒っている星凪を丈士がどうやってなだめようかと丈士が冷や汗を浮かべながら悩んでいると、その後ろから、大声を聞いた満月がひょっこりと顔を出す。
「んなッ!? なっななななっ!!? 」
満月の姿を目にした瞬間、星凪は満月のことを指さし、驚き、錯乱してしまったかのような声をあげる。
「何でッ! そいつが! ここに!? どうしてお兄ちゃんと一緒にいるのよォ!? 」
星凪のその叫び声に、丈士は、危険な状況に突入しつつあると敏感に察知していた。
一歩間違えば、星凪の[ヤンデレ]が発動する。
そして、ここからバッドエンドに向かうルートは、いくつも、簡単に想像することができた。
この状況を説明するのに、語彙力など必要ない。
ヤバイのである。
(落ち着け! オレは、ずっとヤンデレ妹幽霊と暮らして来たんだ! )
肌がチリチリとするような緊張感の中で、丈士はパニックに陥ろうとする自身の思考をどうにかつなぎとめていた。
そして、丈士の思考は、加速する。
(大丈夫! まだ間に合う! いや、間に合わせてみせる! )
妹のヤンデレ発動を阻止し、自身が生き残り、満月も守るためには、丈士がうまくこの場を納める必要がある。
そして、星凪と長いつき合いである丈士は、何度もそういった状況を切り抜けてきたのだ。
「はい。ちょっと、お昼ご飯を作らせていただこうかと思いまして。お邪魔しに来ました」
(なッ、なニィッ!!? )
だが、何気ない満月のその一言が、すべてを台無しにした。
全能力を振り絞ってフル回転をはじめようとしていた丈士の頭脳は急停止し、丈士は驚愕しながら満月の方を振り返る。
そこには、どうして丈士がそんなに焦っているのか理解できないという風に、きょとんとした表情を浮かべている満月の姿があった。
「202号室の幽霊の除霊の件でお手伝いしていただいたこともありますし、お兄さん、昼食がまだだということでしたので、せっかくなのでおつくりしようかな、と。買い物にもつきあっていただきましたし、材料もしっかり用意してあるので、台所をお借りすればすぐにご用意できますよ? 」
丈士、星凪の視線を集めながらも、満月はこの危険な状況を理解できていないのか、不思議そうな口調で、彼女がここにいる経緯を説明した。
その言葉に、丈士は絶望の表情を浮かべ、星凪はうつむき、その表情を影の中へと隠す。
(羽倉さん……ッ! まさかの、天然!!? )
丈士は、巫女として霊と毅然と対峙していた、凛とした満月からは少しも想像のつかなかったその性格を理解して、愕然とした。
満月は何も気づかないままに、平然と、星凪のヤンデレを発動させるポイントを、思い切り踏み抜いてしまったのだ。
軽く首をかしげている満月から、丈士は視線を急いで星凪の方へと移した。
「オ……マ……エッ! この、オンナァッ!!! 」
その瞬間、顔をあげた星凪は、カッ、と両目を見開き、鬼のように恐ろしい怒りの形相で、満月の方を睨みつけた。
「やっぱり! やっぱりあたしのお兄ちゃんを! そんなの、ソンナノ、絶対、ゼッタイ、許さない! ユルサナイィ!! 」
「よっ、よせっ、星凪! 」
星凪が叫び、丈士は星凪をどうにか落ち着かせようと声をあげたが、効果はなかった。
負の感情が顕現化されたようなどす黒い渦を身にまとい、自身の髪を逆立てながら、星凪は悪鬼のように満月へと襲いかかろうとする。
まるで、202号室の、悪霊と化してしまった女性の霊のようだった。
(まっ、マズイッ! )
星凪の矛先は丈士へと向いてはいないようだったが、このままでは満月が危険だ。
丈士はとっさに、満月に襲いかかった星凪の進路をふさぐように両手を広げて立ち塞がろうとしたが、しかし、幽霊である星凪は丈士の身体をすり抜けてしまい、何の効果もなかった。
「ふぎゃんっ!!? 」
だが、聞こえて来たのは、満月ではなく、星凪の悲鳴だった。
バチン、と、何かに弾かれるような音と共に、星凪は再び丈士の身体を突き抜け、部屋の中へと吹き飛ばされる。
「たぁッ! 」
満月がそう気合の声をあげると、今度は、丈士の左右を、白い、紙切れのようなものが何枚も、勢いよく飛翔していった。
そしてその紙きれたちは、何かに弾き飛ばされて尻もちをつくように倒れこんだ星凪に向かって飛びかかって行き、その身体の表面に次々と張りついていく。
「んなっ!? なに、こいつら!!? 放せっ、放しなさいよッ! ぎゃふんっ!!? 」
星凪は自身にまとわりつく白い紙を振り払おうと必死に暴れていたが、やがて全身を白い紙で覆われ、身動きを完全に封じられ、最後に口まで塞がれてしまった。
ヤンデレを発動させた星凪が一瞬で封じ込められてしまったことに驚き、呆然としていた丈士は、空中をひらひらと舞う白い紙を見て、それが、特別なものであることに気がつく。
それは、和紙でできた、人型に切り抜かれた紙切れだった。
(式神、っていう奴か? )
聞きかじった知識でしかなく、漠然としたイメージを知っているだけではあったが、丈士にもその紙切れが何であるのかは、察しがついた。
星凪は全身を白い紙で覆いつくされながら、「むーっ、むぅーっ」とうなりながらどうにか式神たちを振り払おうともがいているが、まったく歯が立たないようだった。
「もお。びっくりしました」
満月は、なんてこともなかったような、落ち着き払った口調でそんな感想を漏らすと、丈士に言う。
「それでは、少々台所をお借りしたいのですが。よろしいでしょうか? 」
「……お、おう。こちらこそ、よろしくお願いします」
そこで丈士は満月をずっと部屋の外で待たせていたことを思い出し、とりあえず満月を部屋の中へ案内した。
「はい。お邪魔します! ……すぐ、お昼にしますね! 」
まだ半ば呆然としている丈士にそう言いながら笑顔を見せると、満月は丈士の手から買い物袋を受け取り、キッチンへと向かって行く。
(巫女さんって、スゲエ)
その満月の平然とした様子と、悔しそうにもがき苦しんでいる星凪とを見比べながら、丈士は、ただただ感心するしかなかった。




