1-21:「懐刀(ふところがたな)」
1-21:「懐刀」
202号室の女性の霊は、丈士たちの姿を見て、笑っていた。
丈士たちは、彼女が作り出した異界の中に捕らわれ、どこにも逃げられない。
生前に多くの恨み、苦しみ、痛みを抱いたまま亡くなった女性の霊は、その状況に愉悦を覚えているようだった。
「すみません、お兄さん。手を貸していただけますか? 」
身構える3人を前にして、その黒髪を辺りにただよわせながら笑みを浮かべている霊から視線を外さないまま、満月が丈士に言った。
「あ、ああ! もちろん! 」
唐突に、これまでに経験したことも想像したこともない状況に放り込まれ、恐怖と混乱でパニックになる寸前になりながらも、星凪を守らなければという意思でどうにか意識を保っていた丈士は、満月の問いかけに少し遅れてうなずいた。
「ありがとうございます。……でしたら、その……、わたしの、胸の辺りに、手を突っ込んでいただけますか? 」
「おっ、おう! ……って、はい? 」
丈士は再びうなずき、それから、きょとんとした顔で満月の方を見る。
満月は、弓に矢をつがえ、いつでもそれを放てるようにかまえながら、霊の方を見すえている。
そして、その頬が、かすかに赤くなっていた。
どうやら、丈士の聞き間違えではなかったようだ。
「この、オンナァ! どさくさにまぎれて、お兄ちゃんに何させようっていうのよ! 」
何か理由があるのだろうがすぐには判断できず、丈士が動けずにいると、星凪が怒り狂いながらそう叫んだ。
満月のことを呪い殺そうとでもするような勢いだ。
「ちっ、違います! 刀、懐刀が入れてあるんです! 」
今度は耳まで真っ赤になりながら、満月は早口でそう説明した。
そんな彼女に、半ば呆然としたまま、思わず丈士は問いかける。
「何で、そんなところに? 」
「じっ、時間がなかったんです! 弓と矢を持ってこなければならなかったので、他に場所がなかったんですよ! 」
満月はさらに、早口でまくし立てた。
「ですが、矢ももう、この1本だけなんです! 絶対に外せないので、お兄さん、わたしの代わりに懐刀を使ってください! ……早く! お願いします! 」
「ダメよ、そんなの! 絶対ダメ! 」
満月は本気のようだったが、星凪が血相を変えて丈士に詰めよる。
「あたし以外の女の人にお兄ちゃんが触るなんて! そんなの、絶対にダメ! お兄ちゃんはあたしのモノなんだから! 」
だが、状況は切迫している。
目の前には、強大な力を持った霊。
すでに自我もほとんど残っておらず、生前の恨み、苦しみ、痛みに支配されている。
そして、丈士たちは霊が作り出した[異界]に捕らえられ、逃げ出すこともできない。
もめている丈士たちを霊がすぐに攻撃して来ないのは、今の状況が霊にとって、絶対的に有利であると分かっているからだった。
霊は丈士たちのもめる姿を見て愉悦の笑みを深くし、不規則に身体を震わせ、「ヒヒッ! イヒヒッ! 」と、笑っている。
丈士たちがこの状況から脱するためには、あの霊を倒す他は無い。
そのためには、どうやら満月が放つ最後の矢を確実に命中させる必要があり、そして、そうするためには、丈士が協力する必要がある。
丈士は迷ったが、腹をくくることにした。
「すっ、すみません! 」
丈士はそう言うと、満月のキャミソールの隙間から、その胸元へと手を突っ込んだ。
「きゃーっ! お兄ちゃんのバカ! えっち! すけべっ! へんたいっ! 信じられない! 」
星凪が悲鳴をあげ、思いつく限りの言葉で丈士を罵倒する中、丈士は何も見ないように両目をきつくつむりながら、懐刀を探す。
汗を流した後なのか、シャンプーの香りとほのかに甘い香気の入り混じった匂いが丈士の鼻こうをくすぐり、丈士は自分の頬が熱くなるのを自覚した。
幸い、すぐに固い感触の、細長いものが見つかった。
丈士はその固いものの周囲にある、弾力のある暖かくて柔らかな感触を意識しないように(忘れろ! 忘れろ! 無心になれ! )と必死に念じながら、懐刀を急いでつかんで取り出した。
それは、漆塗りの柄を持ち、漆塗りの鞘に収まった、古い懐刀だった。
鞘と柄をつかんで引き抜くと、まっずぐな、鋭利な刃を持った、鈍く輝く刀身があらわになる。
丈士は摸造刀を見たことがあったが、それとは、明らかに違う。
怜悧な美しさと、剣呑さとをあわせもつもの。
それは、まぎれもなく、切り裂くための武器だった。
「えっと、お願いしておいて、何ですが……。お兄さん、刀をあつかったことは、ありますか? 」
まだ頬を赤く染めたまま、弓をかまえて霊から目を離さないままたずねた満月に、丈士も少し顔を赤らめながら、右手に懐刀を握って身構えながら答える。
「ない。……けど、こう見えて、オレは剣道三段だぜ」
懐刀は、その大きさも、形も、重みも、剣道で使われる竹刀とは違う。
それでも、何とか応用はきくはずだったし、こうやって強がりでもしなければ、身体が震えて、言うことをきかなくなってしまいそうだった。
「分かりました。……では、お兄さん、一瞬でかまいませんので、霊の気を引きつけてください。その瞬間に、この矢、必ず当てて見せます」
「ああ。分かった。任せとけ」
丈士がうなずき、不敵に微笑んで見せると、満月もそれに釣られたのか少しだけ微笑む。
その2人の背後で、星凪が叫んだ。
「あたしもやる! ……まずは、アイツをぶっ飛ばして! それから! お兄ちゃんも、たたいてやるっ!! 」
そして、星凪のその叫び声を合図として、いい加減丈士たちを見ていることにも飽きたのか、女性の霊が動いた。
→また頑張ってみました。
https://www.pixiv.net/artworks/91292565




