1-13:「稲荷神社:1」
1-13:「稲荷神社:1」
丈士にとっての新しい生活が始まってからまだそれほど経過してはいないはずだったが、丈士はどっと疲れたような気分だった。
故郷を離れた慣れない場所での、まったく新しい生活。
よく分からないことも多く、生活は不自由で、しかも、新しい人間関係にも対応していかなければならない。
だが、丈士をもっとも疲れさせているのは、新しい生活の中でも、今までと変わらないもの、星凪が原因だった。
ヤンデレ化した星凪は無理やり丈士の家に住みつき、そして、すでにいくつものトラブルを起こしている。
丈士には気の休まる暇もなく、疲れをゆっくり取り除く時間もない。
それでも、丈士は星凪の兄だった。
半ばはあきらめからではあったが、丈士は星凪に実家に帰れと言うつもりはなかったし、今はただ、この新しい場所に馴染んだ生活を送って欲しいと思うだけだ。
タウンコート高原の大家、高橋さんからの依頼で幽霊の除霊に来たという、巫女装束の少女と出会ってから、さらに一週間の時間が経過し、再び迎えた土曜日。
丈士は部屋を出て、大学のキャンパスへと向かう道を歩いていた。
基本的に、丈士の通う大学では土曜日も日曜日も講義は行われていない。
丈士はまだサークルにも参加していないから、大学に向かう用事などないはずだった。
目的地は、大学に向かう途中、[太夫川]という大きな河川を渡る手前にあった。
そこにあるのは、地元の人々から[お稲荷さん]と呼ばれ親しまれている、古い神社だ。
太夫川の氾濫原にできた自然堤防の一つの上に、石垣を積み上げて作られた境内には何本もの太く真っすぐな杉の木が生えており、派手さはないが神社の長い歴史と重厚さを感じさせる。
朱色に塗られた鳥居の前には、狛犬ではなく、稲荷を祭っている神社に多くあるように、狐の石像が置かれ、神社を訪れる者を静かに見守るようだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。どうして、こんな神社なんかに用事があるの? 」
石垣の間に作られた石造りの階段から神社がある方を見上げ、その古くて立派な外観を眺めていた丈士に、当たり前のように引っついてきた星凪が問いかける。
少し、不満ありげな口調だった。
「そりゃぁ、あの巫女さんに会って話をするためさ。ちゃんと、お前のことで話をつけておかないとだろ? 」
建築学部に通っている学生として興味深そうに神社の外観を眺めている丈士は、自分の右手に腕をからみつかせながらふくれっ面をして丈士を見上げている星凪の方を振り返らず、この神社をおとずれた目的を答える。
「だけど、わざわざ菓子折りまで用意する? 」
星凪の指摘の通り、丈士の左手には、駅前商店街で買った菓子折りの入った紙袋がぶら下がっている。
「これは、お前のせいだ」
丈士は少しだけ星凪の方を横目で見ると、少し説教するような口調で言う。
「お前がキレてあの巫女さんに攻撃したからだろ? お前のことを話して、とりあえずしばらくの間だけでもここにいることを許してもらうにしても、菓子折りくらなけりゃぁな」
「賄賂ってこと? ……先にお札投げつけてきたのは、向こうなのに! 」
「オレは、適当なこと言って追い返すつもりだったんだ。それなのに、お前が興味本位で顔を突っ込んでくるから、ああなったんだろ? ……それに」
「それに? 」
「あん時のお前、正直言って、怖かった。……あの巫女さんに、悪霊の類だと思われてたら、話もうまくいかないだろ? 少しくらいご機嫌とらないとな」
丈士の説明に納得したものの、まだ不満であるのか、星凪は「ムーッ」とうなり声をあげ、丈士からそっぽを向けてしまう。
「ま、兄ちゃんがうまく話しつけてやるから、待ってろって」
丈士はなるべく明るい口調でそう言うと、神社の外観を眺めるのをやめ、その境内にあがるために歩き始める。
「ぎゃんっ!? 」
星凪が悲鳴をあげ、丈士から引き離されたのは、ちょうど鳥居をくぐろうとした時のことだった。
丈士には何ともなかったのだが、どうやら、星凪は何か不可視の壁か、説明しようのない不思議な力によって弾かれてしまったらしい。
「うーっ、神社なんて、キライ! 」
星凪は自身のおでこの辺りをさすりながら、不機嫌な顔をする。
そんな星凪の方を振り返ると、丈士はニヤリとからかうような笑みを浮かべる。
「なんだぁ? 星凪、お前、神様から本当に[悪霊]あつかいされてるんじゃないのか? 」
「あたし、何にも悪いことしてないもん! 」
丈士の言葉に星凪は舌を出して見せる。
(いや、けっこう、いろいろやらかしてるぞ? )
丈士は星凪が幽霊となってからこれまでの間に行ってきた[所業]を思い起こし、内心で呆れ、肩をすくめた。
「まぁ、そこで少し待ってろって。兄ちゃん、なるべく早く話しつけてくるからさ」
丈士はなるべく早く話をすませたかったのでそれだけ言って境内へ向かおうとしたが、星凪はそんな丈士をさらに引き留めようと試みる。
「ねっ、お兄ちゃん、引き返そうよ! どうせ、巫女って言っても、そんなに大したことはないよ! お札だって、あたしには効かないんだから! 放っておけばいいんだよ! 」
どこか懇願するような口調の星凪の方を丈士が再び振り返ると、心なしか、涙目になっているような気がした。
丈士は何となく、旅行先でまだ小さかった頃の星凪が迷子になって泣いていた時の、寂しくて、不安でたまらないというような瞳を思い出していた。
(そんなに、オレと離れるのが嫌なのか? もう何か月かすりゃ、17歳にもなるっていうのに? )
丈士は怪訝に思ったが、星凪を安心させてやるために笑顔を作って言う。
「心配するなって。本当に、すぐに話をつけてくるからさ。約束するからよ」
だが、それ以上は星凪にかまっているわけにはいかなかった。
今後の平穏な生活のためにも巫女と話をつけることは必要だったし、星凪を説得しようとしても、ひたすらダダをこねるだけだろうと、予想がついたからだ。
「お兄ちゃんの、いじわる! 」
無情にも歩き去って行く丈士の背中に向かって、星凪は悔しそうにそう叫んだ。




