8-2:「変えられないもの」
8-2:「変えられないもの」
決めたって、何をだよ?
丈士はそう問い返そうとしたが、言葉にならず、しかたなく星凪のことを視線だけで見上げた。
声を出すのもだるいほど、丈士は疲れ切ったような気持だった。
星凪は、そんな丈士のことを、悲しそうに見つめている。
丈士が今、こんな状態になっている原因が、二枝川の祟り神との戦いだけではなく、星凪にもあるということをよく理解しているのだろう。
丈士は、星凪にそんな顔をして欲しくはなかった。
これは、すべて丈士が望んでやって来たことの結果なのだ。
3年前、この場所で星凪を失ったその日。
丈士は、その現実を拒否した。
自分は、妹を、星凪を守れなかった。
星凪に向かって必死にのばした手は届くことなく、丈士は、暗い水底に星凪が沈んでいく姿を見ていることしかできなかった。
こんなはずじゃない。
こんなのが、現実に起っていいはずがない。
だが、すべては、現実に、丈士の目の前で起こったことだった。
丈士は、自分の無力さを呪った。
たった1人の妹を救うことすらできない自分自身を恨んだ。
そして、願ったのだ。
この現実が、ウソになればいいのにと。
そしてそれは、部分的にだが現実となった。
丈士たちを代々、密かに守り続けてくれていた守護霊たちの力により、星凪はその魂だけは、あの悲しい存在である祟り神の手から守られた。
そして、星凪は丈士の強い願いと結びつき、幽霊という形で丈士のところへと戻ってきてくれた。
丈士は、たとえ幽霊であっても、妹が、星凪が自分のそばにいてくれるという[現実]を選んだ。
丈士にとって、星凪は[かわいい妹]だった。
時々お互いに気に入らないことがあってケンカをしたことはあるが、丈士は星凪のことが大切だったし、星凪も丈士のことを慕っていた。
一緒に遊んで、食事をして、時々宿題を手伝ってやったり、自転車に乗って競争したり、川で遊んだり。
星凪は、別に、特別な、なにか他の人とは違う特徴があるというわけではなかった。
多少口が悪くなる時があり、それから、よく笑い、いたずらをしかけてくるようなやんちゃなところもあったが、どこにでもいるような女の子だった。
それでも、丈士には特別だった。
丈士にとっての妹は、星凪だけなのだから。
丈士は、家族と、星凪と暮らす日々が当たり前のように、ずっと続くのだと思っていた。
だが、そうではなかった。
星凪は、丈士の目の前で、一瞬で、あっさりといなくなった。
丈士には、そんな現実を受け止めて、生き続けるだけの強さがなかった。
だからこそ、星凪が幽霊としてでも存在し続けることを喜び、幽霊などという[非現実的]な事情でも、迷うことなく受け入れた。
星凪が、自分自身の生命力を糧として存在し続けており、いつかは自分の命を食いつくしてしまう。
そう知ってからも、丈士には、星凪と別れるという選択肢は、頭になかった。
それは、この3年間の間にすっかりヤンデレと化してしまった星凪と、少し離れたい、自由になりたいと思ったことはあったし、それもまぎれもなく丈士の本心だった。
だが、星凪と二度と会えなくなる、そんなふうになるなんて望んだこともないし、想像したこともない。
丈士にとっての望みは、星凪にこのままずっと、自分と一緒にいてもらうことだった。
そして、今の2人の関係にはタイムリミットがあると知ってからも、丈士は、最初から判明していた唯一の解決策を回避することを選んだ。
幸いにも、満月という、親身になって協力してくれる人とも出会うことができ、丈士は、なんとかなるだろうと楽観的だった。
だが、結局、丈士には、唯一以外の答えを見つけることができなかった。
それには、いろいろと原因がある。
1つには、高原町で起こった幽霊騒ぎに次々と巻き込まれるようになったこと。
さらには、二枝川の祟り神の事件に関わることになったこと。
それ以外にも、自分自身の将来のために勉強をしなければならなかったことや、日常生活を送るためにこまごまとしたことをしなければならなかったことなど、いろいろある。
きっと、なんとかなる。
いや、なんとかするのだ。
丈士はずっとそう願い、手探りで、自分にできる限りで頑張って来た。
すべて、丈士が望んでやって来たことなのだ。
星凪の命を奪った二枝川の祟り神と戦い、決着をつけることも、星凪を存在させ続けるために自身の生命力を消耗し続けたことも。
今、こうやって、身体を動かせないほどに弱っているのも、すべて、丈士が自分自身で選択を行った結果だった。
そして、丈士は、まだ、諦めていない。
唯一以外の解決策を見つけ出し、星凪と、満月やゆかりと、これからも楽しく暮らすことを。
丈士は大学で建築士になるための勉強を続け、いつか、本当の建築士になって、自分で設計した建物をみんなに見て、使ってもらう。
高原町で知り合った人々と毎日おしゃべりをしたり、時折遊びに出かけたり、そんな楽しい毎日を過ごすのだ。
そんな、思い出を作って行きたい。
だが、丈士には、わかってしまった。
星凪が、自分に向けている悲しそうな視線。
星凪が言う、「決めたんだ」という決意の内容を。
丈士は、それを、大声で否定したかった。
「そんなことは考えなくていい! 」と叫び、星凪を思い切り、抱きしめてやりたかった。
だが、今の丈士には、燃え残った灰の中でかすかにゆらめいている火のような自分には、それができなかった。
星凪は、丈士が精いっぱいの思いを込めた視線を見つめ返し、微笑んだ。
丈士の気持ちに気づき、嬉しいと思ってくれているのだろう。
だが、星凪は、自身の決意を曲げなかった。
「お兄ちゃん。……あたしはね、やっぱり、もう、死んじゃってるんだよ」




