7-20:「二枝川の神」
7-20:「二枝川の神」
角切りの太刀を完全に引き抜いた瞬間、太刀を持つ丈士の手から、全身に向かって力が流れ込んで来るような感覚があった。
丈士が驚いて周囲を見回すと、そこには、数日前の夜、丈士たちを雑木林の中の祠へと導いてくれた、丈士の先祖、守護霊たちの姿があった。
守護霊たちはみな、祟り神の方を見つめていた。
その視線の中にあるのは、祟り神を倒さなければならないという強い決意と、祟り神を倒さなければならないという、悲しさだ。
その瞬間、丈士の頭の中に、自分では知らないはずの情景がいくつも浮かんでくる。
それは、二枝川の神が、いかにして祟り神となっていったかを教えてくれた。
二枝川の神は、元々、川の近くに住まう人々にとっての守り神に過ぎなかった。
人々は時折祈りや供物を捧げ、二枝川の神はそれを優しく見守り、時に恩恵をもたらす、そんな、穏やかな関係だった。
だが、ある時、この地域一帯を干ばつが襲い、追い詰められた人々は雨を乞うために生贄を捧げた。
自ら望んで生贄となった娘の覚悟と、そうまでしなければならないほどに追い詰められた人々の困窮に心を動かされた神は、自らの力を振るい、雨を降らせて人々を救った。
それが、すべての始まりだった。
その後も、二枝川の神と人々とのかかわりは緩やかに続いたが、人々は危機がおとずれるたびに、神に生贄を捧げることをくりかえすようになったのだ。
そして、生贄の性質は、徐々に歪んでいった。
最初は、人々を救うために、と自ら名乗りをあげたものが生贄とされていた者が、いつしか強制されるようになっていったのだ。
それは、この地域に住んでいる者であったり、外から連れてこられた者であったり。
身寄りのない孤児や、金で買われて来た奴隷、場合によっては無理やり捕らえられ、さらわれて来たこともあった。
人々は、生贄として選ばれた者に、これから起こる運命を知らせず、あるいは、その身を拘束して無理やり、二枝川の神への捧げものとした。
それでも、二枝川の神は、人々の要求にこたえていった。
おぞましい風習が根づいてしまったことに心を痛めつつも、そうまでしなければならないほどに追い詰められた人々を哀れんだのだ。
だが、なにも知らされぬまま、あるいは無理やり生贄とされた人々の無念、恨みが、徐々に二枝川の神を変異させていった。
二枝川の神は、自身の棲み処であった川の淵に流れ着き、その水底に沈み、澱んでいく何人もの犠牲者たちの怨念を受けて、同化し、祟り神となった。
自身が受けたいわれのない不幸を、他の者にも味合わせよう
自分たちをこんな目に遭わせた者たちに、思い知らせよう。
ただそう願うだけの、荒れ狂う祟り神となったのだ。
そうして、人々を思いやる優しい神様は、おぞましい怪物へと姿を変えた。
昔、この土地に百桐一族が移り住んできたころには、祟り神は人々に自ら生贄を要求し、人々が要求にこたえられなければ様々な災いをもたらす存在と化していた。
一族の若い娘が生贄に選ばれたことで、百桐一族は一度捨てると決心した武器をもう一度手に取り、祟り神へと戦いを挑んだ。
だが、祟り神の怨念はあまりにも強く、倒しきることができずに、かろうじて封印することが精いっぱいだった。
それ以来、数百年。
守護霊となった百桐家の先祖は、代々、この地と、百桐家を見守って来たのだ。
(ああ……。そうか……。だから、星凪は、帰ってこられたのか)
丈士はその時、どうして星凪が、幽霊となって自身の前に帰ってきてくれたのか、その理由を知った。
守護霊たちが、祟り神から星凪を、その魂を守ったからだった。
祟り神は、犠牲者の魂を自らに取り込み、その怨念を強め、災いをもたらそうとする。
3年前の星凪は、ちょうど、祟り神に生贄として捧げられることの多かった年齢だった。
丈士と一緒に楽しそうに川遊びを楽しんでいた星凪の姿に、祟り神は嫉妬し、その魂を欲した。
幸せそうな星凪の命を奪い、その魂を取り込むことで、星凪が感じる絶望や恨みを自身の力に変えようとしたのか。
それとも、自分たちが得られなかった[幸せな記憶]を得て、少しでも自身を慰めようとしたのか。
なんにせよ、星凪は祟り神の犠牲者となった。
守護霊たちは当然、星凪を救おうとしたが、結界が破壊され、復活を遂げていた祟り神の力はあまりにも強く、守護霊たちの力だけではどうすることもできなかったのだ。
守護霊たちにできたのは、ただ、星凪の魂を救い出すことだけだった。
もう、こんな悲劇は終わらせなければ。
あの、悲しい存在に、永遠の安らぎを与えなければ。
守護霊たちのそんな祈り、願いを感じ取った丈士は、守護霊たちが自身へと与えてくれる力が全身にみなぎるのを感じながら、角切りの太刀を両手で握りしめ、かまえていた。
丈士の周囲で膨れ上がる力に、祟り神も気がついた。
丈士の方を鋭く振り返った二枝川の祟り神は、つい先ほどまでは体力を消耗し、弱り切った様子だった丈士が、力強く立ち、両手で太刀をかまえていることに驚愕し、怯んだような鳴き声を漏らす。
そんな祟り神に向かって、丈士は雄叫びをあげ、突進した。




