7-17:「川原:2」
7-17:「川原:2」
「出て来いっ! あたしは、ここだよっ! 」
川原まで進み出ていった星凪は、力いっぱい、辺りに響き渡るような声で叫んだ。
「アンタは、あたしが、あたしの魂が欲しくって、わざわざ高原町まで来たんでしょう!? ほらっ! あたしの方から来てあげたんだから、出て来てみなさいよ! 」
幽霊である星凪のその声が、他の、普通の人間たちに届くことはない。
たとえ、それが星凪の実の両親であろうと、それは変わらない。
だが、霊的な存在である祟り神には、はっきりと聞こえているはずだった。
しばらくのあいだ、辺りには蝉時雨だけが響いていた。
川の流れはなんの変化も見せず、二枝川の淵には波一つたたない。
だが、星凪がもう一度声を張り上げようとした時、異変が起こった。
静かだった二枝川の淵の水面が盛り上がり、水面に映し出されていた木々の姿が歪み、水の奥底から、黒い影が迫って来る。
そして、二枝川の祟り神は、その姿をあらわした。
水を押しのけながら、その、おぞましい姿を丈士たちの目の前に見せる。
酷いありさまだった。
元々、いくつもの水死体が折り重なるようにしてできていた祟り神の身体は、そのあちこちが抉られ、腐りかけた肉や、骨が見えている。
水死体たちの多くには傷や欠損があり、頭がないもの、腕がないもの、足を失ったものなど、様々だった。
治正が言っていた通り、祟り神は大きな傷を負っていた。
そして、あれからそれなりに時間が経ってもいるのに、その傷はまだほとんど癒えてはいない。
それは丈士たちにとっては僥倖だったが、腐りかけた肉が直接大気にさらされたためか、以前とは比較にならないほどの腐臭が鼻をついた。
「ぅっ!? 」
ゆかりは思わず顔をしかめ、丈士も眉間にしわをよせる。
こんなことなら、マスクでも持ってきておくべきだったと、少しだけ後悔した。
「満月先輩に、連絡します」
「いや、もう少しだけ待ってくれ。……今、結界を発動させたら、祟り神に気づかれて淵に逃げられるかもしれない。そうなったら、面倒だ」
鼻をつまみながらスマホを手に確認してくるゆかりにそう答え、丈士はじっと、様子をうかがった。
水底から姿をあらわした祟り神は、目の前にいる星凪にすぐには手を出しては来なかった。
周囲の茂みに丈士とゆかりが潜んでいることにやはり気がついており、これが罠であることを疑っているのだろう。
星凪は、恐怖に怯えたようすで祟り神のことを見上げていたが、そこから1歩も引かなかった。
丈士や満月、ゆかりのことを、信じているのだろう。
祟り神は、狡猾だった。
祟り神はいつでも水底へ逃げられるように水面の上にとどまったまま、星凪のことをその虚ろな眼窩で見つめている。
「オイデ……」
やがて、辺りに、優し気な声音の、女性の声が響く。
「オイデ……。ミズノソコ、シズカ。トテモ、ココチヨイバショ。ナニモ、フアンノナイセカイ。イッショニ……、イッショニ、オイデ」
その声は、丈士にも聞こえている。
直感的に、祟り神の声だとわかった。
祟り神が、水から離れたくないために、星凪の方から接近してくるように誘っているのだ。
それは、祟り神とは思えないような、穏やかな声だった。
だが、その声の裏に、おどろおどろしい怨念の気配を感じ、丈士は刀の柄に手をかけ、思わず強く握りしめていた。
祟り神の誘いの言葉には、それを聞くものに正気を忘れさせ、祟り神の支配する場所である川へといざなう力がある。
過去に、星凪はその誘いに導かれ、そして、さらわれた。
太夫川で犠牲となった、あの女性も、おそらくは弱っていた心につけこまれて、祟り神によって川へと誘われたのだ。
「嫌だよ! 」
だが、星凪は、きっぱりとした口調で祟り神に言う。
どうやら、力の弱まっている祟り神の誘いの言葉では、今の星凪をおびきよせることは難しいようだった。
「あたしのことが、あたしの魂が、欲しいんでしょう!? だったら、アンタが自分で取りに来い! あたしは、もう、アンタの言いなりにはならないんだから! 」
その星凪の言葉で、祟り神の誘いの声は聞こえなくなった。
その代わり、祟り神はぬるり、と動き始め、ゆっくりと川原へと向かってくる。
どうやら、星凪の挑発に乗り、とうとう水の中から出てくるようだった。
星凪は、そんな祟り神を誘うように、川原の奥へ、奥へと向かって、ゆっくりと後退していく。
祟り神に水底へ逃げられることがないよう、できるだけ陸地の深くにおびき出そうとしているようだった。
やがて、二枝川の祟り神は完全に川から離れ、林と川のちょうど中間までやって来た。
「ゆかりちゃん! 満月さんに連絡頼む! 」
もう、十分だ。
そう判断した丈士は、ゆかりにそう言いながら、腰の刀を抜きながら茂みの中から駆け出して行った。




