7-3:「出発」
7-3:「出発」
「ところで、ハク。……わたしも、少しだけいいかな? 」
丈士と治正が家の裏手に消えて行ってしまった後、満月はすました様子で優雅にたたずんでいるハクに近づき、小さな声で話しかけていた。
「はて? 何でございましょうか、お嬢様」
ハクはぱたん、と尻尾を振りながら満月の方を向き、軽く首をかしげるようにする。
早朝とはいえ、白いキツネという珍しい姿でハクが堂々としているのは、彼女が霊能力を持たない人、あるいは自分がその姿を見せたいと思っていない相手には自身の姿が見えないようになる術を使っているからだ。
丈士たちの後を追って武器などを運ぶ時も、ハクはこの術を使い、荷物を背負って100キロメートル以上の道のりを駆けてくることになっている。
平然とした様子のハクに、満月は少し迷うようなそぶりを見せてから、やがてハクにだけ聞こえるような声で耳打ちをする。
「いろいろあって聞けなかったんだけど……、ハク、あなたの人間の時の姿って、やっぱり……、わたしのお母さんに、似ているよね? 」
暗に、それがどういう事情によるものなのかをたずねている満月から、ハクは視線を伏せ、顔をそらす。
「どうして、そのようなことをおたずねになるのでしょうか? 」
「どうして、って……。別に、そんなに深い意味はないけれど。でも、気になるじゃない。……髪の色も瞳の色も違うけれど、ハク、写真に写ったお母さんにそっくりだった」
ハクは満月にこのことをあまり突っ込んで聞いて欲しくないというような様子だったが、満月はそれを無視して、じっとハクのことを見つめながらその返答を待っている。
やがてハクは小さくため息をつき、根負けして満月の疑問に答えた。
「その……、私は、あくまで旦那様がおつくりになった式神でございます。お嬢様のお母様と生き写しであるのは、旦那様にそのように作られたから。……はっきりと旦那様の口から聞いたことはございませぬが、お母様が亡くなられて、お寂しかったのでしょう」
「……そっか。ハクは、ハク、なんだね」
満月はハクのその返答に、ほんの少しだけだが残念そうな表情になる。
「なぁんだ。……やっぱり、わたしのお母さんは、天国にいるのかー」
「その……、お嬢様」
それから空を見上げ、独り言のようにそう言った満月を見上げながら、おずおずとハクは口を開く。
「私から申し上げるのは、僭越ではございますが……。どうか旦那様を、治正様を、お嫌いにならないでくださいまし」
「んー? なんで? 」
「その……、旦那様は、私の人としての姿を見られてしまえば、お嬢様に嫌われるのではないかと、そのように心配をしておいででしたので。……だからこそ、私がお嬢様の前で人の姿になることを禁じておられたのです」
再び視線を伏せながらそう言ったハクのことを、満月はしばらくきょとんとしたような顔で見つめていたが、やがて「ふふっ」と笑った。
「大丈夫だよ、ハク。お父さんを嫌いになんてならないよ。……むしろ、少しだけわたし、嬉しいんだ」
「嬉しいので、ございますか? 」
「そっ。……だって、お母さんがいなくなって寂しがってたの、わたしだけじゃないって、わかったんだもん」
満月はそう言って、心底嬉しそうに笑ったが、その様子に今度はハクの方がきょとんとさせられてしまった。
式神であるハクには、たまに、人間の考えることがわからなくなることがある。
その時、家の裏手の方で、「いででででででっ!? 」っと、丈士の悲鳴があがった。
「うわっ、なんですかっ!? 」
「お兄ちゃんっ!? 」
スマホの画面を見つめながら、これから乗ることになる電車の時刻表や、乗り換えをする時の移動経路などを一緒になって確認していたゆかりと星凪が驚いて声のした方に顔を向ける。
ゆかりは驚いたように、星凪は心配そうに。そして星凪は、丈士のことが放っておけなかったのか、ぴゅーっと飛んで行ってしまった。
「まったく。お父さんったら」
満月は、特に心配したふうもなく、だが少し呆れたようにそう言って、両手を腰に当てて家の裏手の方を睨む。
どうやら満月には、治正が何のために丈士を連れて、2人だけで話をしに行ったのか、見当がついているようだった。
(これが、家族、というものなのでしょうか……? )
ハクは、そんな満月の姿を、不思議な思いで見上げていた。
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やがて、家の裏手の方から丈士が自身の首筋をさすりながら、星凪と一緒に戻って来た。
治正の姿はない。
丈士に言うべきことを言った後、治正は「俺は休む」と言って、自室に引きこもってしまったらしい。
「さっきの悲鳴……、なにがあったんですか? 」
ゆかりが興味とほんの少しの心配からそうたずねると、丈士は笑って見せた。
「はは。大丈夫、大丈夫。……少し、治正さんに気合を入れてもらっただけだからさ」
その言葉に、ゆかりはあまりしっくりこないというような顔で首をひねっていたが、満月には、治正が丈士にどんな話をしたのかも、それに対して丈士がどんなふうに答えたのかもおおよその見当がついていた。
「それじゃ、行きましょうか! 早くしないと、電車の時間に遅れちゃいます! 」
満月がいつもの明るい口調と笑顔でそう言うと、丈士はスマホで時間を確認し、「おっ、もう、こんな時間か」と少し慌てた様子で荷物を手に取った。
「行ってらっしゃいませ。お嬢様。みなさま。……ご無事の帰還を、お祈りいたします」
それぞれの荷物を持って慌ただしく出発していく丈士たちに、ハクがそう言うと、満月はハクの方を振り返るとしゃがみこんでハクをぎゅっと抱きしめた。
「うん。……行ってくるね、ハク! 」
そして満月はすぐに立ち上がり、ハクに手を振って歩き始める。
丈士たちも軽く頭を下げて別れの挨拶とした後、4人は連れ立って、どこか楽しそうな様子で去って行った。
これから祟り神と戦いに行くというのに、なんだか、仲の良い仲間でどこかに旅行に行くような雰囲気だった。
そんな4人の様子を、ハクは、満月に抱きしめられた感触を名残惜しく思いながら、その姿が見えなくなるまで見送った。




