6-11:「ニエ川の神」
6-11:「ニエ川の神」
二枝川のニエは二枝ではなく、元々は[贄]だった。
「えっと……、はい? 」
まるで早口言葉のようなそのゆかりの説明に、満月はきょとんとしながら首をかしげている。
当然、丈士も星凪も同じで、不思議そうな顔でゆかりのことを見つめていた。
「名前の、漢字が違うんです」
言葉だけでは意味が伝わらないだろうと心得ていたらしいゆかりは、スマホを取り出すとそこに贄という感じを表示し、丈士たちに見えるように指し示す。
「二枝川のニエは、ダブルミーニングになっていて、もう一つの意味は[贄]。……どうも、かなり昔のことですが、二枝川の神のために、生贄を捧げる風習があったようなんです。それで、元々は、贄川と呼ばれていたようなんです」
生贄という言葉を聞いて、丈士も星凪も満月も、険しい表情になる。
あまり、穏やかではないことだった。
何かの代償として捧げものをする。
それは、世界中に存在する様々な信仰の中で、当たり前のように行われていることだった。
だが、その捧げものとして、生贄、動物や、時には人間そのものを生きたまま、その命を捧げることが、もっとも貴ばれる場合がある。
有名なのは南米のマヤ文明での生贄だが、日本でも、都市伝説や、昔話として、そういった風習が存在していたことが示唆されている。
そして、その生贄の儀式が、丈士や星凪の故郷を流れる川、二枝川で行われていたらしいのだ。
「明確に、いつからいつまで行われていたのかはわかりません。ですが、二枝川では、干ばつなどで不作になりそうな時、また、逆に大雨が続いて水害が起こりそうな時などに、若い女性を生贄として選び、二枝川の神に捧げる風習があったようなんです」
「で、でも、そんな話、聞いたことないぞ」
丈士は、ショックのあまりそう言っていた。
丈士が知っている二枝川というのは、自然豊かな場所で、普段は穏やかに流れていく、居心地のよい川だった。
だからこそ、星凪があの祟り神の犠牲となるまでは、毎年のようにそこで遊んでいたし、他にも、多くの人々が二枝川を利用したりそこで遊んだりしていた。
自分たちが、何気なく接していた二枝川。
そんな場所に、生贄の儀式などという、恐ろしい歴史があったなどと、思いたくはない。
だが、頭のどこかで、納得するような部分もあった。
そんな儀式が行われるような場所でもなければ、祟り神などというものは生まれては来ないのだろう。
「ずいぶん古い話のようですし、百桐先輩が聞いたことがなくても、しかたないと思います」
ゆかりは丈士の言葉にうなずくと、「これは、昔話や伝承に詳しいお父さんの知り合いから聞いたことなのですが」と前置きして、二枝川で行われていた生贄の儀式の顛末を教えてくれる。
「二枝川での生贄の儀式は、どうやら、安土桃山時代までは、ひっそりと続けられていたようです。ですが、江戸時代の初期にすたれたようです」
江戸時代の初期と言えば、今から何百年も昔のことだった。
元々、生贄の風習などあまり大っぴらに言えるようなものではなかっただろうし、長い年月の間に人々はかつて存在した忌まわしき儀式のことを忘却していったらしかった。
「おそらく、あの祟り神は、かつて二枝川で行われていた生贄の儀式の犠牲者たちの怨念や無念が積み重なって、祟りとなってしまったものなのだと思います」
ゆかりの説明には、説得力があるように思えた。
いくら、干ばつや水害を防いで多くの人々を救うためとはいえ、自分からすすんで生贄になりたいと思う人は少ないだろう。
それでも、何人も、何十人もの人々が、犠牲とされた。
その無念の感情や、理不尽な死への恐怖、怒りが二枝川の水底に溜まり、澱めば、祟り神が生まれるのはあり得ないことではない。
「あれ? でも、ちょっと、それっておかしくないか? 」
だが、丈士はそこで引っかかりを感じていた。
「生贄の風習が断たれたのは江戸時代の初期だったんだろう? だったら、どうして今まで二枝川の周りで霊的な事件が起きなかったんだ? 」
あの祟り神が二枝川の神で、生贄にされた人々の怨念によって祟り神となったのなら、もっと以前から様々な事件を起こしていてもおかしくはなかった。
だが、丈士が知っている限り、星凪が犠牲となるまでは二枝川の周辺で事件や事故が起こったことはなく、そこは子供が安心して川遊びできるような場所だったのだ。
「実は、そこが大切なことなんです」
だが、ゆかりは丈士の疑問に、「待ってました」と言わんばかりに得意そうだった。
どうやら、そういう疑問が出てくることを予期していたらしい。
「あの祟り神、実は過去に一度、退治されていたんですよ! 」
「「「なっ、なんだってぇっ!!? 」」」
そのゆかりの言葉に、丈士も星凪も満月も、一斉に身を乗り出していた。
その3人の驚きように、ゆかりはさらに得意そうになって、おそらくはゆかりの家であるお寺の蔵に所蔵されていた古書を取り出し、しおりの挟んであったページをめくって見せる。
「江戸時代の初期に生贄の風習が断絶したことともかかわりがあるんですが、古い時代の霊的な事件の記録などをまとめたこの本によりますと、生贄をやめた時にこの祟り神が出現して、そこで、退治されているんです」
「ど、どうやってアイツを倒したんだ!? 」
丈士は興奮しながらそうたずねていた。
治正と、復讐は考えない、と約束はしていたものの、やはり、あの祟り神を放っておくことはできないし、退治できるのならそうするべきだと思うのだ。
そんな丈士の様子に、ゆかりは機嫌良さそうに説明を続ける。
「どうやら、当時すでに二枝川の神は祟り神となっていて、人々に生贄を頻繁によこすように要求するようになっていました。ですが、江戸時代初期にどこかから移り住んできたある一族が、生贄として選ばれた一族の若い娘を守るために祟り神と戦い、[角切り]と呼ばれた太刀で退治したんだそうです」
だが、丈士はその説明を聞いて、少し心配になって来る。
なんだか、おとぎ話や、作り話のように思えてきてしまったのだ。
二枝川で生贄の儀式が行われていて、その犠牲者たちの怨念によって祟り神が生まれた。
そこに疑いの気持ちはなかったが、祟り神と戦っただの、角切りなどという太刀で退治したなど、どうにも[物語]っぽすぎる。
それに、そもそも、1度退治されたものが再び復活したのはなぜかという疑問が残る。
神社の合祀がきっかけだとしても、それだってもう100年は前のことで、今まで何もなかったのがおかしいのだ。
だが、丈士たちは、その疑問について話し合っている余裕はなかった。
突然玄関の扉が開く音がして、誰かが満月の家にやって来たからだった。




