千年鶴
『鶴の恩返し』
鶴は千年、亀は万年。
亀の目 籠目
籠の中の鳥は 逸 何時 出会う
夜明けぬ晩に 鶴が籠目へ滑った
後ろの少年 だーれ?
キィタン パタン 機を織る
一縫い 一昼 返して 一夜
一日一命 機を織る
襖の向うで 坊が寝る
起さぬように 子守唄
音を刻む機織機
糸を、とおす音
その合間の 子守唄に織り込みましょう。
貴方様は、あの日の『織っている間は、部屋を覗かないで下さい』その約束のとおりに、
決して覗きはしません。
ただ、誠実な貴方様、
貴方様は覗きはしません、
襖の向うを、ただの一度たりも覗きはしない、貴方様。
貴方様に、初めて在ったのは、寒き冬の夕べのこと、
ただ、私が、死ぬ為だけに、人の罠に掛かった時のこと。
罠にかかった私を『生きろ』と、罠からといた。
後ろから、優しくつつんで、罠の籠目をほどいて解いた。
そんな貴方様を、私は、ただ、ただ、見送りました。
罠にかかった猟師の獲物を、横取りしたと知られたならば、村八分にもされましょう。
枯れた冬に物を、ただ、ただ、逃がしたのだと知られたなら、石も持て追われもいたしましょう。
そんな貴方様の背中を、ただ、ただ、私は見送りました。
鶴は千年、亀は万年。
亀の目 籠目
籠の中の鳥は いつ 今 出会た
夜明けぬ晩を 鶴が籠目で滑った
後ろの少年 誰ぞ彼か
キィタン パタン。
機を織る 機を織る
百縫い 十昼 返して 一夜
百日十夜 機を織る
襖の向うで、貴方様が、坊をあやす、
貴方様の母が歌った子守歌、
貴方様の母が使った機織機、
ギッタン、バタン、子守歌、
夜を刻んで機織機
つかのまの夢も、
やさしい眠りの、合間に、織り込みましょう。
貴方様と再びあったのは、まだ寒き冬の夜のこと。
私が「つう」と名乗り訪ね『女房にしてほしい』と、いった日のこと。
貴方様と夫婦として暮らし始め、私を「つう」と、呼んでくれました
いと寒き、温かい日のこと、その日から、あの約束をしてくれました。
私が織った織物を『女房として、貴方様にのために』織って見せました。
その織物は「運ず」さまを介し高値で売られましたが、貴方様は花嫁道具にされました。
なにも持たなずに来た私を、貴方様の花嫁にしてくれました。
鶴は千年、亀は万年。
鶴に生まれて、九年生き
鶴の化生として、九十年成し
鶴の妖しき怪となり、九百年の怪異と在り
ただ、在りしだけの九百九十九年
それより愛しき貴方様との只の幾年。
亀の目、籠目
籠の中の鳥は、貴方様と出会った
夜が明け晩を、つうは貴方様がその全て
後の年々、貴方様と…
キィタン パタン
機を織る 機を織る
百縫い 百昼 返して 十夜
千日百夜 機を織る
襖の向うで、貴方様が寝息をたてる
坊と貴方様への子守歌
私と義母様が使った機織機
ギッタン、バタン、子守歌。
想いを刻んで機織機、
風をこぐ羽根も、白く細い糸の合間に、織り込みましょう
私が織った布は「鶴の千羽織」と呼ばれて高値が付いたそうですが、貴方様は何も言いませんでした。
「惣ど」さまと「運ず」さまは、貴方様をけしかけ、何枚も布を織らせようとしましたが、貴方様はそれを許しませんでした。
御二方が、私が織っている間を、覗こうとしても、襖の向うで、二人と戦い、一歩も覗かませんでした。
貴方様は、襖の向うを、ただ、一度たりとも覗きませんでした。
この小さな、愛しき我が家で、あったこと。
鶴が、機を織ることも、
妖が、糸を織ることも、
この我が家で、あったこと。
そんなことは、とっくに知ってる貴方様。
貴方様が、何も言わずに寝息を立てる、安心しきった寝息を立てる。
ああ、貴方様、貴方様。
私が、かの鶴のことを尋ねた時も
『悲しい目を鶴を、放ったことは、克てある。
お前が、同じ悲しい目をしたから、この家に泊めでた。
もう、これ以上、悲しまぬよう、俺は、お前を嫁にした』
そう言い、私を後ろから抱きしめてくれました。
鶴は千年 亀は万年
人と人とは 殺し合う
生きるモノ皆 合い食い合う
空から見た世は 各のごとし
鶴と生きたは 千年の地獄
亀と生きるは 万年の地獄
千年万年繰り返し 妖なれば幾億の暗黒
禍の目、かくの目、過の中の禍の鳥は
いつ、今、出遭う
夜が深く、朝は無く
龍が、禍の果て、全てくらう。
…
……
………
この後ろの襖の、その向う、ほんの先の貴方様
貴方様いれば、もう…
キィタン、パタン
機を織る
千縫い、千昼、返して、
百夜と、一万千夜、機を織る。
襖の向うで、家族が寝むる
私の家族が静かに眠むる
音立てるは、織機だけ
ただ、それだけの
愛の歌。
時を刻んで機織機
千年の命も、
縦と横の糸の合間に、織り込みましょう。
あの罠など逃げ出せませた。
人に化ければ、機を織るより容易く解くことができました。
妖に化ければ、罠ごと、村ごと、国ごと滅ぼせませた。
妖なれば、殺すは必然。
人も村も国ごとも、私が死なずば、滅ぶが必然。
罠にかかり、村ごと滅ぼした妖ならば、
九百九十九年生きた妖だろうとも、
殺してくれると思いました。
人の、深き業ならば、
私を、殺してくれると思いました。
千年生きた絶望も、
万年生きる絶望も、
皆、諸共に殺してくれると思いました。
だけど、貴方様は「生きろ」と言いました。
私よりも悲しい瞳で「生きろ」と言ってくれました。
鶴は千年 亀は万年
籠目、籠目
籠の中の鳥は 逸 何時 出会う
夜明けと晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面
それは だあーれー?
糸を織り込み機織機
よこ糸をかえして、
たて糸の、合い間に、織り込みましょう
羽根の諸共に私の生きた年月を 機に織った機織機
細く編んだ糸とならば たやすく時に消えましょう
綺麗に織った織ならば たやすく人に紛れましょう
私が生きた千年の時も 人との歴史に消えましょう
私の全ての織り込みました
もう機の音は聞こえない
時を刻んだ機織機
機を織る事の無い機織機。
私は ただ人になることは出来ませぬ
そして もう妖になることもありませぬ
この織物は、貴方様の冬着にしましょうか?
坊のおべべにしましょうか?
でも、その姿を見る事は、
それは叶わぬ望みなれど。
私は、ただの鶴に戻ることも出来ませぬ。
けれど、ただただ死ぬ事だけは出来ましょう。
襖の向うで目覚めた坊が、
母を求めて小さき指を掻き揺れる。
貴方様は、まだ夢の中。
淡い優しい夢の中。
目覚めた坊が 貴方様をすり抜ける
坊よ 坊や 母はここよ 襖の向う
坊よ、坊や、襖を開けて、
坊よ、坊や、母はここに、
坊よ、坊や、ここにいますよ。
…
……
………
朝焼け前の、澄んだ空気の中、
私は、坊を、あやしながら、
開けられた襖の向うの、
貴方様に呼びかけます。
「お目覚めになられましたか、貴方様」
襖を開けて、私の目を見て、貴方様は私に聞かれます。
「行くのかい、おつうよ」
貴方様の目を見て、開かれた襖を見返して、
私は、この言葉を、お答えます。
「はい、その、お約束でしたから」
鶴は千年 亀は万年
その千年の命の果てに
ただ 定命で死ぬ私の為に
ただ 命尽きる鶴の為に
ただ 見おくる貴方様
ただ 誠実な貴方様
坊よ、母は、行っていきます。
帰らぬ旅に、行っていきます。
ただ死にに、行っていきます。
貴方様に、見せられませぬ、
その姿は、見せられませぬ、
獣の姿は、見せられませぬ、
妖の姿は、見せられませぬ、
その躯は、なお見せられぬ。
朝焼けに飛ぶ、
鶴の影。
それだけを、
お見せしたいのです。
鶴は千年 私の千月 つうの千日
鶴としての 世界を回った 空の一日 地の十夜 白夜の夜の一日百夜
私としての 生命の一命 死者の万命 人や命が争う幾千の歳
それを
ただ ただ 空から見ていました
けれど「つう」として貴方様から、千日、貰らい受けました。
鶴は千年 亀は万年
九百九十九年生きた命より
それより 愛しき 貴方様との 只の幾年
妖なりて幾千幾万在るよりも
今、ここで死ねる、
今日の朝日こそ、
ただ愛おしい。
貴方様は。
愛してくれました。
守ってくれました。
家族をくれました。
坊やをくれました。
ただ、
ただ、
私の側に居てくれました。
そして、
『生きろ』と言ってくれました。
ありがとうございます貴方様。
何も、かえせぬ「つう」をお許し下さい。
ただ、幸せに死ねる「つう」をお許し下さい。
何も御恩を、かえせぬ「つう」をお許し下さい。
ああ、御免なさい貴方様。
この鶴は、何の御恩も、かえせませんでした。