第2話 一つの道
ドタドタ。
廊下から足音が聞こえて来た。
そして勢いよく扉が開かれ、やってきたのは、またお父様だった。
「イヴィル!本当にもう大丈夫なんだな!?辛かったら遠慮なく言うんだぞ!」
「大丈夫ですよ、お父様、本当にもう大丈夫です」
「そうかそうか、なら今日はご馳走だ!イヴィルの好きな肉をたくさん用意させよう!」
あれ?
お父様は俺に笑顔を向けて来た。だけどそれに対しては微塵も気持ち悪くならなかった。
あー、お父様は豚のような容姿の人間だ。
オークと人間の混血種なんじゃないか、いや、むしろオークと豚の混血種と言われても納得できるような容姿をしている。
だから豚が笑っているように俺は認識しているんだろう。
俺はお父様を同じ人間として見ていないんだろうな。普通にキモいし。
って、実の父親に対して思って良いことじゃないよな。
「それと、イヴィル、あのヤブ医師に感謝など必要ないぞ、あやつは庶民、下民だ、本来ならこの屋敷に一歩たりとも踏み入ることのできる人種じゃない、感謝などもってのほかだ」
へー、下民だったんだ。感謝しようとして損した。
っ!そんなことは関係ないだろ!俺!
人種差別なんて、庶民だ貴族だ、なんてくだらない、全員同じ人間だ、むしろ精一杯頑張って生きている庶民の方が、権力にあぐらをかいて腐りきった貴族より尊敬できるだろう!
そう、頭で考えても、心では庶民を下民と蔑んである自分がいて、俺は心底俺が嫌いになる。
「ああ、そうだ、ブロンドの娘はクビにしておいたから安心すると良い」
「ブロンドの娘?」
クビにしておいた?
「そうか、イヴィルは知らなかったな、アイツだ、お前が食堂で倒れたとき、その場にいた使用人のことだ、あの使用人に何かされたのだろう?」
「・・・え?」
「全く、親子揃って忌々しい」
・・・え?あの食堂にいた使用人、俺が罠にはめようとしてしまった使用人が、俺のせいで、クビに?
俺のせいで、俺のせいで・・・
体中を歓喜が駆け巡る。
醜悪な笑みを浮かべそうになる。
だけど俺はそれを必死で押し殺した。
これをただ喜ぶだけで見逃したら、俺は正真正銘クズになる。
「待って!あの使用人は何もしていない!」
「ん?そうか、まあ良いだろう、所詮下民が一人減っただけだ、替えは用意してあるから心配しないで良い」
「そうじゃなくて!」
「ふむ?ならどういうわけなんだ?」
「それは・・・」
咄嗟に言葉に出なかった。
確かにあの使用人はなにも悪くない、それは事実だ。
だけど、俺の心の中に、あの使用人の不幸を望む俺も確かに存在している。
そのせいで、俺は言葉に詰まってしまった。
最っ低だな。
「もしかしてあの使用人を庇っているのか?ああ、なるほどな、そうかそうか!もうイヴィルは色を覚える時期になったのか、早いものだな」
「え?」
何か変な勘違いをされている気がする。
「安心しろ、クビにしたとは言ったが、時期にここに戻ってくる」
2日前
「俺様の息子になにをした!この使用人風情が!」
「私じゃありません!私はなにもしていません!本当です!私が厨房から食堂に戻った時には、すでに若様が倒れていたんです!」
「あの場には貴様しかいなかったのだ!貴様が何かしたんだろう!」
「私じゃ、私じゃありません!」
「嘘をつくな!」
バシン!
「きゃぁ!」
「ッチ、忌々しいブロンドの娘が!誰のお陰で教会に行かずに済んだと思っているんだ!」
バシン!バシン!
「いっ、や、やめ、」
「俺様のおかげだろう!貴様の両親が魔物に殺されて、貴様が教会に行きたくないと言うから、仕方なく俺様が職と住居を用意してやったんだろうか!その恩を仇で返しおって!」
バシン!
「きゃぁ!」
バシン!バシン!
「はぁ、はぁ・・・貴様はクビだ」
「・・・え、」
「貴様はクビだといったんだ」
「そ、そんな、ま、待ってください!」
「俺の息子を害したんだ、殺されないだけありがたいと思え!」
「わ、私じゃ、私じゃないのに、うっ、うう・・・」
「ふっ、ただ、どうしても、と言うのなら、ここに残してやらんこともない」
「え、ほ、本当ですか!?」
「ああ、本当だとも・・・俺様の、奴隷となるのならな!」
「・・・え?」
「なーに、安心しろ、奴隷とは言ったが、お前を傷つける気は無い、むしろ、たーっぷり可愛がってやるさ、はっはっは!」
「い、いや、」
「何、俺様に逆らう気か?」
「・・・嫌!奴隷になるくらいなら、ここから出ていきます!」
「ああ、そうか、好きにすればいい、だが、貴様は らこの街の外に出て行くことは許さん」
「え」
「息子を害した犯罪者をよその街に行かせるわけがないだろう、その街に迷惑をかけてしまうからな」
「犯罪者、そんな、私は何もしていないのに」
「ふん、ここは俺様の領地、俺様の街だ、つまり俺様がルールなんだ、俺様が貴様を犯罪者だと言ったら貴様は犯罪者なのだ、はっはっは!」
「・・・」
「なに、安心しろ、ここを出て行った後でも、俺様の奴隷になりたいと言うのなら、貴様を奴隷にしてやるからな、いつでもここに戻ってくるがいい、ふはは、はーっはっはっは!」
「と、言うわけだ」
「・・・」
「そして、俺様はすでにこの街の人間に良く言い聞かせている、ブロンドの娘と関わったものは処罰するとな、街から出られず、街の人間にも相手にされないブロンドの娘が選べる道は、1つしかあるまい?」
最低だ、人のやることじゃない。
いや、豚だったか。
「ブロンドの娘は10歳、大人だ、もう教会の保護も受けられん、つまり、俺様の奴隷になるしかないと言うわけだ!」
前世だと20歳から大人だったが、この国では10歳で大人だ。
「ブロンドの娘が俺様の奴隷になったら、まず最初に、ブロンド達の墓の前で犯してやろう!ああ、実に楽しみだ!あーっはっはっは!・・・と思っていたんだが、まあ、そうだな、イヴィルにくれてやるか」
「え?」
「好きにして構わないぞ、何をしたっていい、同じ人間だと思う必要もない、物だと思えばいい、奴隷とはそう言うものだ、ブロンドの娘は貴様の物だ」
「俺の、物」
「ふっ、まあとりあえず、今日はゆっくり休むといい」
そう言って、お父様豚は部屋から出て行った。
・・・ダメだ、笑いを堪えられない。あの使用人はなんて可哀想なんだろうか!ははは!
ただ、あの場にいただけなのに!あの使用人に、落ち度なんてかけらもないのに!俺のせいで、俺のせいで!あの使用人は仕事をクビにされ、街では誰からも相手にされず、そして、俺の奴隷に落ちるんだ!実に!実に!・・・
「クッソォォ!」
本当、どうすればいいんだ。
今の俺はまるで、薬物中毒者が、薬物を我慢しているような状況だと思う。
ダメだってわかっているのに、つい他人を不幸にしてしまいたくなる、他人の不幸を笑ってしまう。
ダメなのに、許されないことなのに。
・・・知らなかった、自分の心を受け入れられないことがこんなに辛いだなんて。
俺は一人の人間を不幸にした。してしまった。
今は罪悪感を感じている。その使用人に対して本当に申し訳ないと思っている部分もある。
出来ることなら償いたいという思いも確かに持っている。
勿論使用人が不幸になったことで、嬉しさや楽しさも感じているし、下民に対して申し訳なさや、罪悪感を感じる意味がわからない、と言う思いもあるが、それは今は置いておこう。
俺は、今感じている罪悪感をいつまで感じていられるだろうか?
きっと長い間生きていれば心がすり減っていき、悪を悪と感じなくなる時が来るだろう。
自分から悪を成すときが来るだろう。
他人が助けを求めて伸ばした手を、踏みにじるときが来るだろう。
心がこの状況にいつまでも耐えられるわけがないから。
そうなってしまえば、俺は悪を悪と知りながらも何の罪悪感も後ろめたさも覚えず他者を不幸に陥れる正真正銘の悪となる。
そして俺が領主の息子という権力を持っていることも問題だ、つまり、沢山の不幸を生み出す力を持っていると言うことだからだ。
ダメだ。そんな人間になるくらいなら、そんな悪魔を生み出してしまうくらいなら、まだ罪悪感を覚えている今のうちに、
「死のう」
俺が生きていくのは間違っている。こんな人間、死んだ方が世界の、みんなのためだ。
だから、今死ぬしかない。
だって今ですら、何故他人のために俺が死ななければならないと思っているんだから。
俺が生きているだけで他人が不幸になるなら、生きたいと心が叫んでいるんだから。
でも、まだ抑えられる、この気持ちを。
だから、俺が前世の価値観を覚えているうちに、死ぬしかない。
ああ、でも、
「・・・もっと生きたかったな」
死ぬのは怖い、当然だ。
でも、俺は夢の中でとは言え一度死んでいる。
一度体験したことだ。
それに、今の俺にとっては将来俺が悪魔に成り果てることの方がよっぽど怖い。
幸いなことに、今日で己の自己愛は消え失せている。
俺は俺が大嫌いだ、だから、俺は俺を殺せる、何も問題ない。
ああ、でも、俺が死んだとしても、悲しんでくれる人なんて誰もいないんだろうな。
はぁ、どうせだったら、前世の俺のように誰かを庇って死にたかった。
そうすれば、誰かを救った実感を持って死ねるのに。
もし、俺が自己犠牲で救った人間がいれば、その人間が、俺の生きた証になるのに。
あーあ、自己犠牲で死にたかったな。
・・・え?
今、俺のバラバラだった思考が、相入れなかった思考が、一つの方向を向いていた。
この時、俺には一つの道が見えた。