第1話 素晴らしい前世・醜悪なる今生
この日、俺様は何故か眠ることが出来なかった。
いつもは9時くらいには眠っているのに。
時計を確認したらもう11時40分だった。
つまりベッドに横になってもう2時間40分ほど時間が過ぎていたと言うことだ。
眠気はある。なのに眠れない。
「・・・何で?」
訳がわからない、イライラする。
俺様は眠るのが好きだ。
何故なら眠っている間はこの心のうちから湧き出てくるイライラから、解放されるからだ。
「ハァ」
何もかもが気に入らない。
他人が笑っているのが気に入らない、他人が幸せなのが気に入らない、他人が喜んでいるのが気に入らない。
みんな不幸になればいいのに。
みんな絶望を顔に浮かべて地獄に落ちればいいのに。
そうすればこのイライラも少しはマシになると思うのに。
「眠れないなら、ここにいても仕方ないか」
小腹が空いた、軽く飯でも食べるか。
もう少し時間が経てば自然と眠くなるだろう。
俺様は食堂に向かった。
食堂には灯りが灯っていた。
誰かいるのか?
もう12時近いのに、まだ起きてるやつがいるようだ。もしくは火消し忘れか?
火の消し忘れだったら危ないな。
いや、いっそのことこの家全てが燃えて中の人間全員焼け死ねばいいのに。
いや、単なる火程度なら簡単に魔法で消されるか。
死ぬ可能性があるとしたら使用人くらいか?
「はぁ」
無駄なことを考えていても仕方ない。
適当に厨房を漁って何かを食べよう。
「あ?」
食堂に入ると、中には使用人が1人食事をしていた。
火の消し忘れではなかったようだ。
「え、若様?このような遅い時間にどうなさいましたか?」
使用人がこちらを見て驚いている。
俺は普段ならもうとっくに眠っているから、この時間に食堂に来たことに驚いているんだろう。
「腹が減った、使用人、飯を用意しろ」
「はい、料理は出来合いのものでよろしいでしょうか?」
「腹が膨れれば何でもいい、早くしろ」
「かしこまりました、すぐにお待ちいたします」
そう言って使用人は奥の厨房に向かって歩き出した。
「遅い、いつまで待たせる気だ」
もう1分も時間が経った。なのにまだ飯をよこさない。
職務怠慢だ、お父様に言いつけてやる。
あ、そうなればあの使用人は不幸になるかもしれない。
思わず顔がにやける。
「そうだ」
使用人が持って来た料理を食べた後、苦しむふりをして大きな声を上げよう。
そうすればこの家の他の使用人か警備の人間が様子を見に来るはずだ。
そうして人が来た時に、
(この使用人の料理を食べたら苦しくなった、こいつが毒を入れたんだ!)
そう言おう。
きっとこの使用人はおしまいだ。
楽しいことになるぞ。
俺様は今日、一人の人生を破滅に追いやる。
いや、もしかしたらこの使用人の一家もろとも処分が下るかもしれない。
考えるだけで心が躍る。こんな気持ちは初めてだ。
他人が不幸になれとはいつも思っていたが、自分で他人を不幸に陥れることが、これほど心踊ることだとは思わなかった。
さあ、使用人、早く料理を持ってこい、それがお前の最後だ。
俺様は使用人が料理を持ってくることを心待ちにした。
ゴーン、ゴーン
12時の鐘が鳴った。
・・・そして
「・・・あ、れ?」
俺様は意識を失った。
夢を見ていた。
こことは違う世界の夢を。
俺様ではない人間の人生を。
この人間が誰なのか、感覚的にわかった。
これは俺様だ。俺様の前世だ。
前世の俺様は善人だった。
困っている人がいたら助け、自分から進んで苦労を背負う。
社交性もあり友達も多かった。
そして、最期には人を庇って死んだ。
素晴らしい。前世の俺様は素晴らしい人間だ。
きっと前世の俺様の友や家族、そして庇われた人間は俺様が死んで、とても悲しんだだろう。
ああ、それに比べて、俺様は・・・俺は、なんて、
「醜いんだ」
「ん、ここは」
俺の部屋、か。
寝起きなのに意識がはっきりしている。
「・・・」
俺は、醜い。俺の心は穢れている。前世の価値観が頭の中に入って来たせいで、俺がどれだけ悪い心を持っているのかがわかってしまった。
他者の不幸を願うことなんて間違っている。
何より自らの他者を不幸に陥れるなんて正しい人間のやることじゃない。
だけど俺の心は他者の不幸を望んでいる。
自ら他者を不幸に陥れたいと心が叫んでいる。
ああ、俺はなんて醜いんだ。
コンコン
誰かが扉を叩く音が聞こえた。
俺は咄嗟に体を起こそうとしたが、思ったように体が動いてくれず、うまく起き上がれなかった。
「失礼します、っ!若様、目を覚まされたのですか!?すぐに領主様と医師をお呼びいたします!」
「その前に、喉が渇いた、使用人、水を持ってこ・・・持って来てくれ」
「はい、かしこまりました!」
そう言って使用人は駆け出していった。
使用人、ああ、使用人だ、何も間違っちゃいない。
「使用人、使用人か」
今俺の部屋に来た使用人も、俺が罠に嵌めようとしていた使用人も、どちらも名前を知らない。
いや、それどころかこの家にいる使用人の名前は誰一人として覚えていない。
それは果たして良いのだろうか?
仮にも世話をしてもらっているんだ。
いくら俺が領主の息子だといっても、最低限の礼儀を持ってしかるべきだろう。
だけど俺は、使用人に礼儀を持って当たっているところを想像して吐き気がして、気持ち悪くなった。
なぜ使用人風情に礼儀を持たなければならない。
そういった思いが心の底から溢れ出して来た。
そんな思い、間違っているのに。
やっぱり俺は悪人なんだ。
ドタドタドタドタ!
廊下から大きな足音が聞こえて来た。
そして、勢いよく扉が開かれ、現れたのはお父様だった。
「イヴィル!大丈夫か!?」
「お父様」
僕は今度はゆっくり起き上がった。
長い間寝込んでいたのか、体が重たくなっているけど、動けないほどじゃない。日常生活を送る分なら問題ないか?
お父様の後ろには、使用人ともう一人、見たことのない人物がいた。
「イヴィル!もう大丈夫なのか!?どこか痛むところは!?」
「大丈夫だよ、お父様」
「いやいかん!イヴィルは2日間も寝込んでいたんだぞ!もしお前に何かあったらと思うと、おい!さっさと私の息子を診察せんか!このノロマが!」
「はいはい、分かりましたよ領主様」
長い間寝ていた気がしたけど、2日間か、思ったよりも短いな。
「良いか!もしイヴィルに何かあったらタダじゃ済まさないからな!」
「いや、何かあったらって、それは私のせいじゃ、」
「口答えする気か!」
なかなかに理不尽だ。思わず笑みがこぼれる。
「あはは、すみません、あー、えっとイヴィルくん?私はトゥオール、よろしくね」
「はい」
「では、診察を始めるよ、まず、どこか体に違和感があるところはあるかな?」
「いいえ、ありません、あ、喉が渇きました」
「どうぞ、若様」
そう言って使用人が水の入ったコップを差し出してきた。
俺は使用人にもらった水を飲みながら、医師に体調を診断してもらった。
「うーん、特に異常は見当たらないですね、2日間寝込んでいただけですので、筋肉もそれほど衰えてはいないでしょうし、体には何も問題ないですね」
どうやら俺の体には何も異常はないようだ。
当然といえば当然か。俺が倒れたのはおそらく前世の記憶を思い出したせいだろうからな。
「本当か!?本当だろうな!?もし間違ってたら」
「本当ですよ、安心ください」
「そうか、よし、もう行っていいぞ」
「かしこまりました、それでは」
「いや、待て、玄関までの道はわかるな?」
「あ、えっと、何となくは分かります」
「チッ!まあ良い、付いて来い、アイツのように迷子になった、とかいって屋敷の中をウロウロされても迷惑だ、おい!使用人!ザビルに報酬を玄関に持って来させるように伝えに行け、 早くしろ!」
「は、はい!」
使用人は慌てて飛び出していった。
「よし、付いて来い」
そしてお父様と医師も俺の部屋から出ようとしている。
この時、俺の頭の中に悪い考えが浮かんだ。
もしここで、俺がわざと倒れれば、この医師はどうなるんだろうか?という考えが。
お父様は医師の診断が間違っていると思うだろうか?そう思ってくれるなら、お父様は怒り狂い、この医師を惨殺するかもしれない。
ああ、それはなんと心踊る光景だろうか。
出来ればこの医師が殺される瞬間を見たい。
何も診断は間違っていなかったというのに、完璧に仕事をこなしたというのに、報酬が死。
実に楽しそうだ、俺のせいで理不尽に殺される医師の死に顔は、さぞ、
「っ!」
俺は、何考えているんだ。
ダメだ、そんなことを考えるのは。
この人はかなり腕の立つ医師のようだった。それは診察された時になんとなくわかった。
この人はヤブ医師じゃない、プロだ。
つまり、ここでこの人を殺すってことは、この人が救うはずの人たちも殺すってことだ。
そんなこと、・・・そんなこと、ああ。
思わず顔がにやけてしまいそうになる。
っ!ダメだ!そんなことを考えていいはずがない。
この医師は俺を正しく診察してくれたんだ。俺の体には何も問題ないと、診察してくれた。
恩を仇で返すなんてダメだ。診察をしてくれたことに対して感謝しないと。
「あ、あの!」
「どうかしましたか?」
医師が振り返った。
俺は感謝を伝えようとした。
「あ・・・あり、あ、ありが・・・」
ありがとう、そう感謝を伝えるだけだ、たった5文字なんだ。
それに、前世では何度も言っていた言葉じゃないか。
なのに、心が拒絶反応を起こしたかのように、それ以上言葉が出なかった。
「ふふ、どういたしまして」
その医師は俺に向かって笑いかけた。
その笑顔を見た瞬間、俺は医師から顔を背けた。
だって、そうしないと、今の俺の顔を見られそうだったから。
「ふふ、可愛らしいですね、では私はこれで」
この、不快に歪む顔を。
お父様と医師は部屋を出た。
「うっ、おぇぇ、」
僕はベットの横にあったゴミ箱に胃液をぶちまけた。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、吐き気がする。
体に不快感が駆け巡った。
全身に鳥肌が立ち、ものすごい寒気がする。
まさか、人に笑顔を向けられることがこれほどまでに不快なことだなんて。
別に医師の顔がひどかったわけじゃない。
どちらかといえば整っている方だった。
だから医師の顔に原因があるわけじゃない、笑顔だ。
「はぁ、はぁ」
俺は、どうすれば良いんだろう。
他者の笑顔すら受け入れられないなんて。
俺の心はどうしょうもない悪だ。他者の不幸を望み、他者を絶望へと導きたいと思っている。
だけどそれは前世の価値観が許さない。
例えばもし、俺がこの悪の心を、無理やり理性という名の前世の価値観で押さえつけ、正義を目指したらどうなるか?
きっと他人にたくさん笑顔を向けられて感謝されるだろう。
・・・無理だ、その笑顔に、感謝に、俺の心は耐えられない。
なら、悪の道に進む?
それも無理だ、前世の価値観が許さない。俺という悪を許さない。
きっと悪い事をして喜ぶ自分に耐えられない。
どうしようもない。
相反する二つの思いが体を渦巻いているような気がする。
ああ、こんなことなら、前世の記憶なんて思い出したくなかった。
悪を悪と思わず、好き勝手に生きたかった。
でも、それはもう無理だ。己が悪と知ってしまったから。
「どうすれば、いいんだ」