91 麗らかな昼下がり、道中のひと時
「どういう心変わりなのだ?」
とジャラザは訊ねた。
唐突な質問にナインは目をぱちくりとさせる。
今は昼食を取る準備のために適当な木陰へ調理道具を広げているところだ。道すがら洒落たカフェで軽食でも取れたなら旅としては申し分ないのだが、どこからモンスターが飛び出してくるかわからないこの異世界では街の外に店を構える酔狂な者もそういまい。そんなところで呑気に料理を振舞っている人を見かけたら喜びよりもむしろ心配が勝るだろう。
というわけで自炊なのだが、持ち運べる荷物にも限界というものがある。
パーティメンバーが増えて頭数の分だけ持てる量も増えたが、それでもかさばる物はあまり手荷物にしたくないことに変わりはない。
ジャラザがエルトナーゼを出る前に購入したバックパックに入れられているのは鍋、フライパン、まな板、ナイフといった最低限度の器具だけだ。人によっては火を起こすための道具なりマジックアイテムなりを用意するところなのだが、その点は幸いにもクータがいるお陰で出費と容量の節約になっている。調理に必要不可欠な「綺麗な水」もジャラザが賄えるのでナインとしては非常に助かっていた――こちらは火よりも更にありがたい。
ナインが貴重品入れとは別にしてある材料袋からじゃがいも――正式名称『ミネラルポテト』、だが略称はミネじゃが――を取り出しながら芽が出ていないかを丹念にチェックしていた折に、横でまな板を洗っているジャラザから不意に先の質問をされたのだ。
まだ新鮮さの残るじゃがいもの感触を手の中で確かめながら、ナインは口を開く。
「なんのことだ? まさかジャラザまでそこらへんの生き物をてきとうに狩って肉が食べたいと言い出すんじゃないだろうな」
別にそれをして何か問題があるというわけでもないのだが、せっかく道程を見越して食材を用意しているのだからまずはそれから消費したいとナインは提案し、執拗に肉に固執するクータの意見を却下したのだ。
彼女はどうも火を使うほどに肉食への欲求が高まる性質をしているらしく、日に日に食欲に対して素直な反応を見せるようになっている――実際のところ野菜が好きじゃないだけなのでは、とナインは疑っていたりするのだが。
「まあ却下したのはあくまで『肉だけ食べたい』って部分だからな。別におかずの一品に肉料理が増える分には構わない……もしジャラザも欲しいんならクータを呼んで多めに肉を調達してもらうといいぞ」
「違う、そうではない」
まな板の水気を切りつつジャラザは頭を振った。
ではなんだとナインが首を傾げれば、「湖の魔物だ」と彼女は呟いた。
「ああ、昨日の。あいつがどうかしたのか」
「いやなに、随分と迷いなくアレの命を奪ったものだと思ってな。以前、百頭ヒュドラ――つまりは我が母の命を絶った際には幾ばくかの迷いとまではいかずとも、憂慮はあったように思えたのだが。主様のことだ、何も湖の魔物の生物感が薄いから罪の意識も薄かった、などという理由ではあるまい。ではそこにどのような心変わりがあったのかと、一抹気にかかったのよ」
どうなのだ、とジャラザは視線を上げて問いかけてくる。それにナインは「うーん」と頭を悩ませてから、言葉をまとめるようにして言った。
「説明はちょっと難しいんだが……そうだな、一番の理由は――俺が俺であるためにってところか」
「ほう? それは些か整合に欠くように思えるな。主様は自身の精神性を小市民として自称しているのではなかったか? だとするなら殺しを躊躇うことのほうがよっぽどそれらしいものだが」
「それもそうだ。でも俺が言いたいのは、あー……なんていうか。なりたい俺を目指すって意味なんだ」
ナインの言葉に「目指す……」とオウム返しに漏らしたジャラザは興味深そうに続きを待つ。ナインは頷き、
「以前からやると決めたら迷わないようにしようとはしていた。こんな力を持って優柔不断なんじゃ周りのいい迷惑になっちまうと考えたからだ。けど、そう考えてその通りに実践できたんなら苦労はないわな。俺は流されるし、悩むし、後から悔いることだっていくらでもある。身体は怪物でも精神はそうじゃない。だから俺はそこから必死に目を逸らしていたんだろう。何か『良いこと』をしていればそれでいいじゃないかって自分を無理くり納得させながらリブレライトで過ごしていたんだ」
でもそれじゃダメだった、とナインは言う。
「ヴェリドットと戦ったことで自分ってもんを見つめ直す機会を得た。我ながらめちゃくちゃな気付き方だったと思うが、とにかくそれでようやく、俺の目指す俺――理想の自分が見えたんだ。ヴェリドットと俺とで何が違うのかと考えて、違いなんてないと知った。あいつはそのまんま俺でもある。好きに力を振るって生きているその在り方はどうしようもなく似通っている。それでももし違いがあるとすればそれは『気の持ちよう』ぐらいなもんで……馬鹿らしい話だけど本当にそれぐらいしかないんだよ」
「ふむ、要は何のために力を振るうか。そして何に力を向けるか、ということか」
「そう。理想を目指すにはそこを間違えちゃいけない。俺は俺の心の正義にもっと忠実にならなくちゃいけない。何もかもを正すなんて端っから無理な話で、そんなのを成し遂げようなんざ俺なんかにゃおこがましい。だからせめて救いたいものを救うことに疑問は持っちゃいけないんだ。正しいと信じる自分を信じる。俺が俺という人間を信じてやること。足りなかったのはそれだった――俺はもっと吹っ切れるべきだった」
手でいじくるじゃがいもの触感にふと異物が混ざる。芽をみつけたナインはその箇所を指先で弾いて消し去った。ミネラル豊富で弾力に富んだミネじゃがのもっちりとした身が瑞々しい色合いで露出する。
「なるほど、の」
百頭ヒュドラは自ら街を目指して――本人からしてみればただの通過点でしかなかったのだろうが――甚大な被害が予測されたからこそナインの拳の餌食となった。
対して湖の魔物はやっていることは凶悪だがそれは生きるために必要な食事と(おそらく)同一の行為でしかない。しかも被害という点では人も建物も自然も何もかもを踏み潰していく百頭ヒュドラとは違って場所を移すこともなく、もっぱら偶然通りがかった獲物に触手を伸ばすという、言ってしまえば極少数の死だけで済んでいる。
そういった観点からもナインにとっては湖の魔物を手にかけることへの重みはあっただろう――とジャラザにも予想はできたのだが、それにしてはこざっぱりとした顔をする彼女が謎であったのだ。
が、本人からその心境を聞いて納得する。
エルトナーゼでの経験は主を大きく成長させたようだ、とジャラザは内心でほくそ笑んだ。
それでこそ我が主人だと。
「なんにせよ整理がついているなら何よりだな。目指すべきものが見えているなら主様もやりやすかろう」
「だなあ。『正しく強く』……最初からそれを目標にしていたはずだけど、今はもっとはっきりと道筋が見えてきた気がするよ。っと、クータが戻ってきたみたいだな」
深く頷いたナインの耳に、自身の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
どこからだ、とあたりを見回した彼女はすぐに発見することができた――こんがり焼け焦げたオークと思しき死体を担ぎ上げ満面の笑みで飛んでくるクータの姿を!
「oh……ばっちり調理済みとは気が利くな」
「焼きすぎただけにしか見えんがの……」
◇◇◇
じゃがいもをクータの炎で茹でる間に、トマト缶を開けて市販のコンソメスープで味付けしたお手軽スープを仕上げる。適量のサイズに切り取ったオーク肉へ丁寧に火を通し塩・胡椒を振りかけ、盛り付けはジャラザへ一任する。茹で上がったじゃがいもを鍋から取り出し熱さもなんのと素手で皮を剥き握りつぶす。冷ましてから少量の塩と小麦粉、なけなしの卵を投じてよく混ぜる。本来なら疲労の伴うこの作業もナインの腕力なら大した労力でもない。あっという間に練られたそれを棒状に伸ばし、適当な大きさに千切っていく。そして再度鍋に投じ三十秒ほど茹で、浮き上がってきたものをまな板に並べれば、ナインお手製『超雑ニョッキ』の完成だ。きちんと料理に仕上げるために必要な工程をいくつか省いているせいで味はお察しだが、最低限食べられないことはない、というのが味見をしたナインの感想だ。
ジャラザが一口分に切り分けた玉ねぎ、アスパラ、ニンジンをトマトコンソメスープに放って煮立ち、そこへニョッキを投入する。こうしてオークステーキとニョッキ入り野菜スープが出来上がった。完成まで、下準備から数えても正味十五分もかかっていない。
「意外と言ってはなんだが、主様の料理は手慣れておるな」
「リブレライトでは給仕が主だったけど、人手の都合で厨房に入ることもあったからな。ニョッキの作り方もその時に覚えた」
「クータはキッチンにいれてもらえなかった……」
「そりゃお前が……あー、いいや。まずは食べちまおう」
「「「いただきます」」」
三人揃ってスープに手を付けた。一口啜って、笑みが零れる。味は上々のようだった。無論エルトナーゼで食したような有名店とは比べるべくもないが、この場合は出来不出来そのものよりも自分たちで作ったという事実のほうが重要なのだろう。
ニョッキもミネじゃがの品質の良さ故か雑な作りの割には好評であった。オークステーキは言うまでもない、元からオークの肉は癖もなく万人受けする味として有名なのだ。塩と胡椒のみの味付けでも質のいい油と合わさって十分においしくいただける。
「「「ごちそうさまでした」」」
満足げに食事を終え、ナインは立ち上がって背伸びをする。
雲が高く、気持ちのいい陽気だ。何なら昼寝でもしたいところだが変に旅程を遅らせるよりもいち早く街について寛ぐほうがいいだろう、とナインは手早く片づけを始める。
「さあ、食後の運動代わりにもうひと歩きといきますか」
そう言ったナインに「うん!」「うむ」とふたつの元気な応答があった。
みんなで作った料理って三倍くらい美味しく感じる……感じない?(無邪気)




