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90 とりあえず殴ればだいたい解決する

「やろう……意地でも俺を水中に引き入れたいらしいな」


 隙間なく、そして勢いよく叩きつけられるようにして倒れ込んでくる触腕。迫りくる水のタワーとでも言うべきそれらをじろりと睨むナイン――彼女の取った行動は実にシンプルであった。

 両腕を腰だめに引き、そして左右へ突き出す。ただそれだけを、怪物としての膂力で繰り出せばどうなるか。


「しっ!」


 ぱぁん! と小気味よい音が奏でられる。右と左の水壁にそれぞれトンネルのような穴が出来上がった。ナインは比較的綺麗にくり貫かれている(ように彼女からは見えた)右のトンネルを選んで潜り込む。当然、すぐさま水は元の形に戻り穴を塞ごうと――つまりはナインを取り込もうとするが、彼女が抵抗しないはずもなく。


「オラオラオラァッ!」


 ライフル弾のような回転をしながら闇雲に拳を突き出す。窮地を脱するための策としては雑にも程があるが、しかし一撃一撃が水爆もかくやという威力でもってめったやたらに振るわれるその拳は単なる無鉄砲をこの上ない最上の戦術へと昇華させていた。


 圧倒的な水量で構築されているはずの水の壁。通常なら人間には立ち向かうことすら叶わないような水壁はけれど、その重量をまったく感じさせない呆気なさで容易く大部分を吹き飛ばされ、小さな少女一人捕縛することすらできなかった。


 最後に出口へ向かって殴打一発。そこからナインは自由な空へと解き放たれてしまった。


「ようし、今だなっ!」


 ぜっかく水に囲われた状態からの脱出を果たしたというのに、ナインは上空ではなく下方、即ち湖面へ向けて再度の突貫を行う。

 ややもすると破れかぶれにしか見えない行動だが、彼女にはそれしか選択肢がないのだ。

 湖の魔物に打ち勝つためにはどのみちそうするしかない――ただし、それで捕獲されてしまっては意味がない。敵の手に落ちないようにしながら殴れるだけの至近距離に肉薄する、という一見して無謀な行為を実行しなければならないナインは、説明するまでもなく不利極まりない立場にいる。


 だが怪物たる彼女にはこの程度不利の内に入らず、無謀も無謀足りえない。


 ぐぐ、と視界の端でまたしても水面が生き物のように持ち上がるのをナインは捉えた。



 ――だけどもう遅い。今度は俺が近づくほうが早い!



「はああああああぁぁ!!」


 裂帛の気合。ナインのオーラが力強さを増し、一際輝きを増した。


 彼女の拳は音を置き去りにして湖表層へと到達。

 接触と同時に怒涛の衝撃波が生じ、周囲一帯の水を根こそぎ舞い上がらせた。

 乱流と降水が強制的に引き起こされ、まるで暴風雨のように湖中を荒らす。


「やっぱりだ、確かな手応えがある! 俺の拳はお前を殺せるらしい――だったらこのまま最後までいかせてもらうぜ!」


 水で形作られた魔物を相手に、されど怪物少女は手練手管を尽くす必要などないのだ。引き続き彼女のやることは単純である。


 湖面を滑るように飛び、そして続けざまに殴りつけていく。一発ごとに直径にして十キロはあるかというクレーターのような跡が生じ、その都度おびただしい量の水が弾け、舞い、飛び散って落ちる。


 更に加速。

 風を切り裂きながらナインは移動し、強烈な拳を湖のあちらこちらへと振舞っていく。


 打ち込むたびに生じる、何かを壊す感覚。それは不定形の水をただいたずらに殴るだけとは明確に違う感触であった。

 湖の魔物は苦しんでいる。この時点でナインはその確信を得ていた。


「もういっちょお!」


 何もかもをぶち抜くつもりで拳を振り抜けば、ついには遥かな湖底までが眼前に現れた。途方もないほど深く、隠され続けてきた湖の底が白日の下に晒される。これはナインの拳撃によって湖の魔物は常の状態を保てなくなってきているということだ。


 理不尽なまでに強力過ぎる暴力の餌食となる湖。悲鳴は勿論ない。声帯を持たない湖の魔物はどれだけその身を打ち据えられようと声を出すことはないのだ。

 しかしナインの縦横無尽の暴れようを空の上から目撃しているクータとジャラザには、「それ」が確かに聞こえた。


「ないてる……湖の魔物が、ないているよ」


「うむ。身の毛もよだつような絶叫ではないか……」


 金切り声のような高周波の叫び声。

 水が震え、その振動が空気を揺るがすその様は間違いなく湖の魔物の「悲鳴」に他ならなかった。


 もはや抵抗が許されないのは魔物のほうで、一方的に嬲っているのはナインだ。拳に抗えず、かといってナインを捕らえることも叶わず、ただただ湖の魔物は己が次第に擦り切れていく未知の感覚を味わうことだけしかできなかった。


 この時、生来から初めて魔物の正体であるショウプスは『恐怖』という感情を知った――が、何せこれが初めての経験である。彼はその感情の名すら知らないままに、段々と自己を失くしていった。

 かき消える意識の狭間に、ショウプスはまるで生みの親たる原初神たちにも通じるような「力の極致」を垣間見た気がした。

 脳も内蔵も持たない水の身体のどこかに懐かしさのようなものを抱きながら……彼は長きに渡る孤独な生を終えたのだった。



◇◇◇



 何百という拳が休みなく振るわれ、湖面中を隈なく叩き終えたナインはようやく息をついた。

 もはや殴っても何も感じなくなった――ということは、もう湖の魔物は息絶えたのだろう、と。


 水と一体になっている存在を相手に『息絶える』という言い方が適切とはとても思えなかったが、とにかく退治はできたんじゃなかろうか……とナインは汗を拭う。


「そこんとこどうだろう、ジャラザ。お前がまだ何か感じたりするか?」

「いいや、綺麗さっぱり奴の気配は消えとるよ。ここはもはや道行く者の目をちと引くだけの、どこにでもある湖でしかないようだ……心なしか水量が減っているような気もするが」

「ご主人様、おつかれ!」

「ああ、ちょっと疲れたな……想像以上にヤバい相手だった」


 ジャラザからのお墨付きとクータからの労いを貰って、ナインはオーラを引っ込めた。髪が重力に従って垂れ、瞳の色合いも元の薄紅色へと戻る。覚醒モードを解除したのだ。


 普段の状態になったナインを見て、興味深げにジャラザは目を光らせた。


「ふむ、覚醒モードか……味方からしてもそら恐ろしい程の力だの。しかも、またしても新しい能力を手に入れたようではないか、主様よ」


「ご主人様がいきなり出てきたやつだよね! あれって何? ワープ?」


「いや、ワープっていうよりは……ジャンプかな」


 ジャンプ? と揃って首を傾げる二人に、ナインはあくまで自分なりの見解を説明する。


「さっきも言った通り、自分が何をしたか、俺自身にもいまいちわかっちゃいないんだが……それでも言葉にするなら『行きたい場所へ過程をすっ飛ばして跳躍した』――って感じになるか。だからワープとか転移っていうより、呼ぶなら『瞬間跳躍ジャンプ』と言ったほうが正しいと思う。まああくまで俺の感覚上のことだから、何がどう違うんだって聞かれると何とも言い難いんだが」


「どっちでもすごいよー! それっていつでもできるの?」


「いやあ、さっきはピンチだったから火事場の馬鹿力で咄嗟にやれたけど、また同じことができるかはちょいと怪しいところだな……」


「なあに、なんのかんのと言って主様ならやれるだろう」


 と肯定的ながらもジャラザは「しかしだな」と釘を刺すことを忘れなかった。


「飛行も、ヴェールも、そしてそのジャンプとやらも。余さず練度を上げておくべきだろうな。それもまた主様の力なのだから、手に入れっぱなしではなくきちんと手中に収めておく必要があろう」


「またヤバい敵が出てきたらそん時にゃ上手くやれそうな気もするけど……」


「そうだよジャラザ。べつに練習なんかしなくたってご主人様は最強だもん!」


 露骨に面倒くさがる――というより不可思議な術関連にはとんと自信がない様子の――主と、そんな主を全肯定する従者。


 ジャラザははあ、と深いため息を吐く。この二人に呆れさせられるのはもはや何度目になろうか。数えることも馬鹿らしくなってきていた。


「やはりこやつらは脳筋なのか……やむを得ん、儂が殊更にしっかりせんといかんな……」

「どうしたジャラザ? えらくぐったりしてるけど」

「きっと安心して気が抜けたんだよ!」

「そっか。じゃあ敵もやっつけたことだし、一旦陸地に戻ろうか。いつまでもここに浮いてたって仕方ないしな」


 ジャラザの心労の正体をまるで分かっていない二人は見当はずれなことを言いながら湖畔へと戻っていく。再びため息を吐きつつ、ジャラザはその背中を追う。


「済まんジャラザ、俺がもう少しうまく飛べたらお前を担げて行けるんだが……やっぱ戦闘中じゃないとまだ難しそうだ」


 ただ一人だけ飛行するのではなく水泡の上を跳ねて移動するジャラザに対してナインがそう言えば、クータが「まかせて!」と揚々と名乗りを上げた。


「クータがジャラザを運んであげる!」

「遠慮させてもらう」

「それはやめとけクータ」

「え!? なんで!?」


 思わぬ冷たい返答――それもジャラザだけでなく主までもが切り捨てるように否定したためにクータが少なくないショックを受けた。


 なんでなんで、と騒ぐ彼女に取り合わずナインは「お」と前方にとある人影を発見して微笑んだ。ジャラザがその視線を追えば。


「ふ……ご老体が手を振っておるな」

「ああ、ずっと見ててくれたみたいだな」


 ピーちゃんの仇は討った。

 すぐにでも彼にそう知らせてやろうと、ナインはまだまだ慣れない飛行の速度をなるべく速めたのだった。


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