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87 湖の魔物の正体

 不憫だろう、とナインは感じていた。


 ピーちゃんのような犠牲を出したくないが為に、彼は自分の人生を捨ててここでの見張り番に就いた。それがもう三十五年も続いているという。そしてこれからも、彼が寿命を迎えるまでずっと――それは余りにも不憫だと。


「もしもおじいさんの生きがいが、魔物を見張ることになっているのなら。それだったら手出しはしません。今更人生の目的を奪われたくないと言うのなら、俺たちはあなたの忠告通り湖畔を回るように進み、そのまま目的地へ向かいましょう。けれど今でも仇討ちの気持ちがあって――湖の魔物を倒したいと、そう願っているのなら」


 俺が力になります、と。


 ナインはフードを外し、その目を老人に見せた。薄紅色の瞳が塗り替わるように深紅に染まり、輝きを放つ。美しく力強く、そして絶大な存在感を伴って。


 その変貌を間近に目撃した老人はごくりと喉を鳴らし――


「た、倒したいに、決まっとる! あの糞ったれを生かしておくなど考えられんわ! 殺せるものならすぐにでもこの手で殺しておる! その気持ちは、三十五年前から塵ほども変わらんわい!」


「よかった」


 ナインは微笑む。

 これで彼を、孤独な見張り番から解放させられる。


「任せてくださいおじいさん。湖の魔物は俺が殺しましょう」



 ◇◇◇



「今更だけどさ」


 おじいさん手作りの手漕ぎボートの船尾に腰かけながら、ナインは船首側で舵取りをしているジャラザに話しかけた。舵取りと言ってもボートそのものを操作しているわけではなく、ジャラザの能力によって水流を操って進路を決めているのだが。漕がずともすいすいと軽妙に進んでいくボートは、中々に風が気持ちよかった。


「俺が独断で決めたことだし、別に無理してついてこなくてもよかったんだぞ?」

「そーだよ、だってジャラザ、飛べないんでしょ?」


 主の言葉に追従するように二人の中間に座るクータがそう言えば、ジャラザはふんと鼻を鳴らし、


「空を行く手段がないわけではない。見ておれよ」


 ぽぅん、とジャラザの手の平から水泡が生まれた。まるでシャボン玉のようだが、それは人の頭をすっぽり覆えそうなくらいのサイズがある。そんなもので何をするのかと興味深くナインが見ていると、ジャラザは舳先をとんと蹴って跳躍。水泡の上に乗ってみせた。


「おー。割れないんだな、それ」


「ふふん、見たか。水を使うことで中空にも自在の足場を作れるのだ。……儂の能力は決して洗体用に限った力ではないと知るがいい」


 ジャラザは少しばかり嫌味を漏らしつつパチン、と弾けさせて水泡を消した。

 船首に降り立ち、「それにの」と続ける。


「主様は戦闘が始まらねば上手く飛べぬと言う。ならば湖上の移動は儂が請け負うしかなかろうが」


「そこは感謝してる」


「クータはいつでも飛べるよー」


「黙れ。水中の相手にお主の炎は役に立たんだろうに、何故ついてきた?」


「えー!?」


「それは俺も思った。だから最初は一人で行こうと思ってたんだけど」

「ご、ご主人様まで!? ひどいよー!」


 ナインがぷりぷりと怒ったクータに笑っていると、急に彼女が真顔になった。見れば、ジャラザも難しい顔をして水面を覗いている。


「二人とも、どうした? まさかもう来てるのか?」


 ナインは花丸印の鈍感少女だ。察知能力に関してはクータやジャラザに及ぶべくもないことはこれまでの経験でよくよく理解しているところである。なので今も、二人の様子の変化から既に湖の魔物の射程内に入ったかと予想を立てたのだ。


 しかし仲間たちの返答はどうにも煮え切らないものであった。


「来てる……感じ。でも、よくわかんない。気配が読めないし、体温も感じない。だけどすっごくぞくぞくする……」


「儂もだ。何かの懐に入ったような厭な感覚がある。しかし、水流で探ってみてもそれらしきものが見つからん……」


 もうひとつ妙なのは、とジャラザは深刻な口調で言った。


「先程から急に、水が――重くなって……くっ、これは!?」


 ざばり、と凪いでいた湖面にいきなり波が立つ。

 それはジャラザが水流操作に難航している証だろうか。

 冷や汗を滲ませる彼女の顔色が一気に悪くなった。


「どうした、ジャラザ!?」

「ま、ずい――飛べぃ、主様、クータ! 今すぐこのボートから離れよ!」


 ――ぼどん!


 湖面が一部隆起するようにしてせり上がり瞬く間にボートを包み込んだ。

 そのままぞっとするような勢いで水中へ引き込まれ、ボートは真ん中から圧し折れるように壊れて消えていった。これでは海の藻屑ならぬ湖の藻屑である。


「あ、あぶねえ……もう少しで俺たちまでああなるところだったのか」


 危ういところで上空へ避難していたナインは息をついた。ジャラザの警告があと一歩遅ければ何も気付かぬままに今頃は水に飲まれていたかもしれない。


 しかし今のは何が起こったのか、とナインが傍にいるジャラザへ聞こうとしたところ。



「う、ご主人様……!」

「主様よ、後ろだーっ!」



 なんだと、とナインが口を開く間もなく、一瞬で両手両足が拘束され――信じがたいほどの力で引かれる。

 動けないままあっという間に湖に沈んでいった主人を見て、クータの顔が青ざめた。


「このっ――」


「動くなっ!」


 急いで救出に向かおうとしたクータを語気鋭くジャラザが阻む。

 何故止める、とクータが疑問をぶつけようとしたその瞬間。


 まるで手ぐすね引いていたかのように四方の水面が異様な盛り上がりを見せた。


「こいつはお主が飛び込んでくるのを待っとった! 中々に賢しらな奴よな……!」


 水は放射状に広がり、クータとジャラザを大きく包むようにして取り囲む。それは見た目だけならまるで鳥籠のようだったが、用途は大きく異なっている。この水檻の目的は閉じ込めることではなく飲み込むことにあるのだから。


 そうはさせじ、とジャラザが異能を発揮する。


「ぐ、くぅ、ううぅぐ……!」

「ジャラザ、だいじょうぶ?」


「心配無用、この程度は儂が抑える……! それよりクータ、間違っても水に触れるなよ――今はっきりと分かった! ご老体の言う湖の魔物とは、水棲生物のことではなく! この湖の『水そのもの』のことだったのだ! 遠目で見た触手というのも腕ではなく『腕のように伸びた水流』であったのだろう!」


「そんな!」


 クータが驚くのも無理はない。彼女には何が起きているのかさっぱりであったが、水の力に造詣の深いジャラザが言うのであればそうなのだろうと納得はできている。しかし、水そのものがまるで生きているかのように生き物を襲うなどというのは彼女の理解の範疇を超えていた。


「儂とてそんな可能性は微塵も考えなんだ……、くう、口惜しい! 気付くなら儂でなければならなかったはずなのに、襲われるまでとんと思い付かんとはな! そのせいでのこのこと湖の中心部まで主様を運んでしまうとは――ええい、なんたる屈辱か!」


 ある程度までの距離ならジャラザの水流操作で対抗できる。だがこれでは千日手である。この湖全体の水を跳ね除けるだけのパワーはジャラザにはないのだ。


 無論、水中のどこかへ消えたナインを救い出すことも不可能である。自分たちの身を守ることに精一杯の現状、その居場所を探ることすら叶わない。


「ご、ご主人様を助けないと!」

「ならんぞ、クータ。迂闊に水に入ってお主に何ができようか?」

「でも!」

「主様を信じよ! 我らが主人はこの程度で! こんな水如きに! 殺られるほどひ弱か!?」

「そ、そんなこと……ないけどっ、でも……!」


 クータとてナインの強さを信じている。こんなところであっさりと死ぬような玉ではないと分かっているのだ――だがしかし、彼女が湖中に沈んだまま出てこないのも事実。


 この見通せぬ水の中で何が起こっているのか想像しただけで身震いがする。

 万が一にも主人の命が尽きかけているのなら、自らの命に代えてでもそれを助ける。

 クータにはその覚悟があった。


 ただしそれは、せめて一欠片でも勝機があるときに限るとジャラザは自重するように説得する。


「ピーちゃんの気持ちを代弁したお主はどこへ行った!? 敵わぬ敵に無策に突っ込むことが主様を喜ばせるか!? 信じろ、主様を――ナインは負けなどせん!」


「ジャラザ……!」


 ぐぐぐ、と少しずつ水檻の範囲を広げながらジャラザは歯を食いしばる。


「やはり、重い、な……だが! 押し戻してやろう、儂のプライドにかけて……!」


 ちょっとずつ、ほんの少しずつだが確実に、水を離れさせていく。


 ここにいるのが彼女一人であれば打てる手立てはここまでで、これ以上やれることはなかっただろう。いずれは力尽きて湖の魔物の手中に落ちていたはずだ。だが、そうはならない。何故ならここにいるのはジャラザだけではなく、水から離れ安全さえ確保できれば取れる手段があるのだから。


「クータ、よ。儂が合図をしたら、真上の水(・・・・)の蓋を吹(・・・・)き飛ばせ(・・・・)。最大火力で一滴残らず、蒸発させるのだ……そうせねば主様のように捕まってしまうからの……!」


「――りょうかい!」


 はあああぁ、とクータが気合をためる。

 その肢体に炎が走り、ぐつぐつと煮え滾るように熱量が高まっていく。


「よし……そろそろ、だ。準備は、いいな?」

「いつでも!」


「――今だ、やれぃクータ!」


「熱線!!」


 頭上へ向かって一直線に放たれた熱線が水蓋に突き刺さる。

 今のクータに出せる最高温度の業火は、大量の水すらも瞬間的に蒸気へと変化させられるだけの火力があった。


「行くよジャラザ!」

「むおっ!?」


 水檻に穴が空いたことを確認したクータはジャラザの返事を待たずにその腰を掴み、抱えるようにして飛翔した。


 水蓋がまるで再生するかのように元の形に戻ろうとするが、蓋が閉じ切る前にクータは開いた穴を潜り抜けることに成功する。


「やったよ、ジャラザ!」


「う、うむよくやった。しかしちと乱暴だな……」


 どうにか脱出を図れたことで笑顔を見せるクータと対照的に、腹に手を回された状態で急激なGのかかったジャラザは少し具合を悪そうにしていた。


「うぐ、何かせぐり上げてきそうだ……」

「えっ、ジャラザ、ここでたまご産むの?!」

「何故そうなる!? いくら儂が蛇だからと言って――というか口からは産まんわ阿呆め!」


 とジャラザの高らかなツッコミが響いたところで。


 それをかき消すような轟音と共に、見上げるほど巨大な水柱が湖面から立ち上がった。


湖の魔物というより水の魔物

そして真っ先に捕まる主人公。圧巻の活躍ですね……(呆れ)

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