81 勝った負けたのその後で
激闘の翌日。
「…………」
ナインはヴェリドットとの最初の戦闘で自分が落ちた教会、その前まで来ていた。彼女が無言で見つめているのは、心の中で謝罪をしているためだ。
目覚めた時はそれどころではなかったのでなんとも思わず後にしたが、考えてみれば自分が墜落したせいで教会はえらい損害を被っている。申し訳なく思ったナインはもう一度ここへ足を運ぶことにしたのだ。
「……損害、か」
教会が無人だったのは不幸中の幸いと言える。お陰で負傷者が出ることはなかったが、ナインはそれを素直に喜ぶことができなかった。
ここだけで言えば人の被害はないが、しかし街全体で見ると凄まじい数になる。
未だ正確な数は出ていないが相当数の人間が命を落としている。今は仮設安置所に死体を並べているところだ。大型の動物や魔獣が暴れて崩れた建物やめちゃくちゃになったインフラを考えれば、エルトナーゼは甚大すぎる被害を受けたことになる。
ヴェリドットが洗脳した者たちを暴走させたのは、時間にして僅か一時間ほどである。しかもナインの乱入によって予定外のタイミングで計画を進めることになったため、ヴェリドット本人からすれば操る人員は不足していたはずなのだ。それなのにこれだけのものが壊された。
ナインが不用意にヴェリドットへ挑んだせいでこの事態が起こったというのは確かに事実の一側面ではあるが、手をこまねいていたらそれこそエルトナーゼを再起不能に陥らせるだけの準備が整っていたであろうことを考慮するに、一概にナインの行動を尚早と詰ることはできないだろう。
タイミングとして最良ではなくとも最悪でもなかった。
けれどもナインは、最良を掴めなかった自分を許す気にはなれなかった。
何もかも最適な行動を取るなんてことは土台不可能であるのは分かっているのだ。だが、このボディ、この強靭な肉体に課せられた使命は余りに大きい。
選ぶこと、あるいは選ばなかったことで起きる余波は波紋どころか津波のように周囲へ否応なしに影響を与える。
だからこそ自分は間違えてはいけない――少なくとも正しい選択を常に心がけなくてはいけない。
「やあナインくん、探したよ。こんなところに居たんだね」
「ピカレさん」
不意に背中から声がかけられたかと思えば、そこにいたのはエルトナーゼ在住の情報屋、ピカレ・グッドマー。もはや彼女のトレードマークとなりつつあるニヒルな笑みを浮かべつつ、スマートな立ち姿を見せている。
「君はここで何をしているんだい?」
「……俺が壊してしまったものを見ていました」
「何のためにだい」
「教訓にするためです」
「ふうん。じゃあ、果たしてこの教会は君の教訓足りえたかと聞いてもいいかな?」
「……どういう意味でしょう」
話が読めず首を傾げるナインに、グッドマーは笑みを消す。
それはナインが初めて見る彼女の真剣な顔だった。
気取った表情を取り払ったグッドマーは、当初の印象より遥かに女性的な顔をしているようだった。
「ピカレさん……?」
「ナインくん。何故ここが無人だったと思うね」
「え」
何故と言われても、と呆けるナインにグッドマーは続けた。
「単純なことだよ。この教会は揶揄するために作られたいつだって無人の廃墟だからだ。エルトナーゼに信仰などない。あるとすればそれは、自分を愛し隣人を愛す人として当然の感情だけだ。神になんて祈らない……それは君も同じなんじゃないかな、ナインくん」
「俺は……いざってときに神頼みぐらいは、しますけど」
「はは、そうかい。それくらいならここの住民だってするだろうな。だがね、基本的にエルトナーゼという街は軽犯罪の発生件数が目を覆いたくなるくらい多いが、その実人命に関わるような重犯罪は、他の五大都市と比較して驚くほどに少ないんだよ」
「え……そうなんですか」
「意外に思ったかな? 思うだろうね、この街を知っているなら当然の反応だ。しかしだね、これの意味するところは、エルトナーゼの住民は全員が自由気ままに生きているというその事実だ。だから深刻な罪を犯す者は少なくなる。反対に神頼みばかりしているようじゃ、犯罪の割合もこことは逆になるんじゃあないかな……」
何が言いたいかというとだ、とグッドマーは言葉を続けた。
「生きるなら人は誰だって罪ありき。だがそれにばかり捉われていては善行を為すこともできなくなってしまう。エルトナーゼは既に復興を始めている。各々がどんなに辛くとも下を向かずに歩きだしている。滅多に表に出てこない都市長も今回ばかりは陣頭指揮に当たっているようだし、冒険者や魔術師のギルドも協力的だ。一丸となって苦難を乗り越えようとしているんだね」
「そう、ですか。とても逞しいんですね」
「その通り、逞しい。泣くだけじゃ始まらないことを皆が知っているからだろう。そして君はどうなのだろう、ナインくん。前に進めているかい? 君は今回の一件の責任を大いに感じているようだが、何も背負うばかりが向き合うことではないと、私は思うよ。重荷を少しずつ降ろしたっていいんじゃあないかな。例えばそう、壊した物を目に焼き付けるよりも、その力で人を助けたほうがいい。何も君の手は壊すばかりのものではないはずだろう?」
「……ピカレさん」
ほぼ正確に内心を読み取られていることにナインは驚いた。と同時に、彼女がこんなにもまともな助言をしてくれたということにも、同じくらい驚いていたが。
「我武者羅になって動くのもいい。それは目を背けているとは言わないからね。肩の荷が降りるまで――君の心がちょいとでも軽くなるまでは、思う存分に復興の手助けでもしてみたらいい。……ほら、丁度迎えも来たようだよ」
グッドマーの視線を追えば、そこにはクータとジャラザの姿があった。
「ご主人様!」
飛びついてくるクータを慌てて抱き留めながら、ナインは訊ねる。
「クータ! もう動いてもいいのか!?」
「うん、もうばっちり!」
嘘ではないようだ、とクータの両腕から伝わってくる力で判断したナイン。
彼女に運ばれて空を行くときを思い出すような力強さだ。
「ふふ、甲斐甲斐しいことだねえ。クータくんに、それからジャラザくんも」
「儂らより先に主様のもとにおったお主がそれを言うか?」
「おっと、焼かせてしまったかな? それは済まないことをしたね、どうぞどこへなりともナインくんを連れていくといい。私は私なりに街を助けなければならないからね」
「ふむ……それでは遠慮なく。行くとするか、主様よ」
「お、おう。それじゃあまた、ピカレさん。心配してくれてありがとうございました」
促され、ナインはグッドマーに謝辞を述べてからその場を離れる。しばらく通りを歩いてから、先を歩くジャラザに問いかける。
「ジャラザはピカレさんと仲良くなったのか?」
「うむ? そう見えたか」
「ああ」
「だとするならそれは、あやつと儂が似たタイプだからそう見えたのだろうな」
「似たタイプ? 性格の話か?」
「うむ。まあ、儂はあやつほど腹に巨大な一物を持ってはおらんがな。しかし同類ではあるが故にある程度は互いに筒抜けということよ」
「へー……やっぱピカレさんって変人なんだな」
「変人じゃなくて、変態! ご主人様を見る目がふつーじゃないもん!」
クータが憤慨したように言う。彼女はグッドマーと初対面時から一貫して用心するような態度を取っている。その理由は言わずもがな、グッドマーが明け透けなほどにナインへ好意以上の感情を抱いているからだ。
変態という言葉にジャラザが「くっく」と笑う。
「間違ってはおらんな。主様もクータほどとは言わんが頭の片隅に留めておくことだ、アレは食えん奴よ。せめて一歩分だけでも線を引くに越したことはない……まあ、主様に目をかけておるのは本当だろうし、主様にとって都合の悪いことはせんだろうが」
ただし。
ナインの活躍をその目で見たいという欲のためなら喜んで彼女を死地に送り出すくらいのことはするだろう。誰にもそうとは悟らせず、敵と巡り合うように、死闘を繰り広げさせるように仕向けるくらいのことは……。
「もしもアレが行き過ぎたその時は、儂が相応の罰を与えてやるがの」
「そこまで言うか? なんだかんだ言ってピカレさん、良い人っぽいとは思うんだけどな」
「ふ……何に違和感を持つかは個々人の感性に寄るからの。同じものを見聞きしても思うこと抱くことに差異は出るものよ。しかし案ずるなかれ主様よ。儂はピカレ・グッドマーをある意味では高く信頼しておるとも。あやつも儂を見て感じるものはあったようだしの」
「うーん……」
「どーしたのご主人様ー?」
なんとも言えず黙りこくるナインと、会話をまるで気にせずマイペースなクータ。
「くっくっく」
揃って能天気な仲間たちだ、とジャラザはどうしてか楽しくなってくるのだった。
ピカレの一物(意味深)
……もちろんそーいう意味ではございません、念のため。