78 激高のダイブ・トゥ・ダイブ
死ぬ、私が、真祖が、進化した吸血鬼が、全てを操る吸心鬼が、何もかもを支配するはずのこの私が、ヴェリドット・ラマニアナが、
死ぬ。
「う、う、うぅ、ううわああああああああああああああ――――――――ブラッディ・グングニルぅ!!!」
起死回生の策として選んだのは、今も昔も彼女が最も信頼する技である血槍の投擲。
しかしそれはナインに向けて撃たれたものではない。
槍の向かう先は――足元の広場、そこに横たわるクータとその傍にいるもう一人。
赤ん坊を抱いた母親に煙突を投げつけた際、ナインは自らの不利も顧みずしゃにむに助けに向かった――その再現をしようとヴェリドットは企んだのだ。
――如何にエナジードレインを遮る正体不明のヴェールと言えど物理的な防御力はそれほどでもないはず、仮にあったとしても血槍を防げるほどの堅さはあり得ない。
真っ赤な閃光となって突き進む槍に、クータは勿論懸命に介抱を行なっているらしきもう一人の少女もまるで気付く様子がなかった。
いける、とヴェリドットは確信を抱いた。少なくともナインはあの二人を庇いに急がねばならない。しかし彼女は位置が悪い、真逆の方向にいるのだ。これでは間に合うはずはない。
(私とナインの速度では僅かにこちらが劣る――けれど、私の投げた槍は私自身よりも遥かに速く飛ぶのよ! 素の私と競争しているようでは追いつけるはずもない!)
確実に少女たちのどちらかは死ぬ。運が悪ければ二人とも、運が良くとも瀕死の重傷は避けられまい。そうなればナインにも動揺が見込める。きっと付け入れられるだけの隙は生まれるはずだから、そう、まだ自分の負けは決定づけられてなどいないのだ――!
「え――」
そうやって心を奮い立たせていたヴェリドットの視線の先で、血槍がヴェールに弾かれた。
敢え無く宙を舞い、その姿を霧散させる槍を見て……それに己が顛末を重ねてしまった彼女の頭は真っ白になった。
あの少女はクータの介抱に熱心になっているせいで向かってくる槍に気付けなかった――のではなく。
ナインのヴェールによって『絶対に守られている』という全幅の信頼があったからこそ、頭上の戦況に気をやる必要がなかったのだ。
「あ…………あ」
それを悟ったヴェリドットの顔が絶望に彩られる。
いつの間にかすぐ傍にまで来ていたナインが、それを見て言った。
「さっきまでのお前が今のお前を見たなら……きっと愉快そうに嗤うだろうぜ」
「ぐ、く、……」
「因果応報なんて気取ったことを言いたくはないが、お前は我儘が過ぎたんだよ。力を持ったからってお前がそれに支配されていたんじゃなんにもならない……お前が人を振り回すように、その力がお前を振り回していたんだ!」
「私、が、支配されていた……? この力に? 私のほうが……」
わなわなと震えだすヴェリドットは、その瞳を揺れ動かす。
少しも揺るぎなく彼女を見据えるナインの瞳とはまるで反対だった。
自分が所詮は力に溺れていただけだと指を差すように指摘されたヴェリドットは、しばし苦悶の表情を浮かべ――それから叫び出した。
「ふうっ、ふざけるんじゃあないわよ小娘! 偉そうに! お前なんぞが私のことを見え透いたように語るなんて、不愉快だわ! お前に何が分かるというの! 何も知らないくせに、私がどれだけ完成された完璧な存在かも知らずに! 私は王よ! 全てを手に入れ遍くを傅かせ万象に君臨する王――その力を、資格を得た! 私の力を私が好きに使って何が悪い! 文句をつけるのも不満を垂れるのも、所詮は弱者の戯れ言に過ぎない! 力がないからそうやって嘆くのでしょう!!」
「だったら!」
激高するヴェリドットをも上回る気迫で、ナインが言う。
「強い奴が何をしてもいいって言うのなら! そんな理不尽が罷り通ると本気で思っているのなら! てめえの矜持に則って、この俺が、人間として、理不尽を制す理不尽たるナインとして! 絶対者としててめえをぶっ殺してやるよ! 文句も不満もいくらでもつけやがれ、弱者の戯れ言として鼻で笑ってやるぜ――盛大に嘆きな!」
「うううぅぅぅぅぅぅぅぅぅがっぁあああ!!!!!」
猛獣のような雄叫びを上げながらヴェリドットが掴みかかってくる。そこには人を見下すような笑みも嗜虐的な目付きもなく、ただただ憎き敵を葬り去らんとする殺意のみがあった。
「澄ました化けの皮の下は、思った通りに力のけだもの! てめえなんぞが人様をこき下ろせた性質か!?」
肩を鷲掴むヴェリドットの両手に重ねるように己の手を置き、逃げられないようにする。牙を突き立てんと大口を開けた彼女へ素早く足を振り上げた。
ガヂンッ、と蹴撃音。牙ごと顎を砕かれたヴェリドット。再生が鈍くすぐに治り始めないことすらも気にせずに彼女はそれでもナインの首筋に噛み付いた。しかし歯がないためにうまく噛めず、噛めたところで牙を失くした彼女ではどうしようもない。
ただし、ヴェリドットの目的は必ずしも牙を立てることではなかった。この体勢――吸血鬼として力を吸うのに最も適した状態である『人間の首へ噛み付く体勢』に持っていくことこそが彼女の狙いだったのだ。
(――エナジードレイン!! 余さず頂く!! お前の全てを!!)
全開の更に上、これ以上はないというくらいに能力をフルに発揮させてナインの生命力を吸い上げる。
どういった原理か復活を果たしたナインだが、エナジードレインそのものが効いていないわけではないのだ。さっきだってエネルギー切れ寸前にまで追い込めていたのは間違いない。
今は先程よりも気力体力ともに充実している様子だが、それでも限界はある。既にここまでの戦いでも尋常ではない量の生命力を奪っている。問題はそれだけのエナジーを吸い取ってなお追いつかないほどに桁外れなナインの戦闘力にあるのだが、それも戦えなくさせてしまえば問題ではなくなるのだ。
(ふううううううぅ、うううううぅ、ううう、うう……う?)
必死になって吸う、吸う、吸う、吸う――吸って吸って吸って吸って――吸い取って吸い取って吸い取って吸い取って――それでもまだ吸い切れない。
(な、なによこれ、どうなっているの? 底なし――まさか無限の生命力を持っているとでもいうの!? そんなことあるはずがない、あっていいはずがない……なのに奪いつくせないのはなんでなのよ!? 私が相手にしているコレは――いったいどういう存在なの!?)
恐怖。
何もかもが己の理屈では追いつけぬ少女に対し、ヴェリドットは凍り付くような恐怖を覚えた。
ナインがヴェリドットの手を放し、代わりにその腰を両腕でぎゅっと包み込んだ。優しさすら感じる手付きで、しかしびくとも体を動かせぬ腕力で絞められ、ヴェリドットは青褪める。
――今自分が首筋に顔を埋めているこの少女は。
進化した吸血鬼などでは及びもつかぬ怪物。
「お前さんの言う通り、俺は小娘さ。偶然手に入れた力で粋がってる、お前さんとなんら変わりないちっぽけな存在だ。だけど俺は――それでも俺は――お前みたいにはならない! 俺が力を振るうのは、お前みたいな『理不尽』に対してだ! 俺は理不尽が大嫌いなんだ、だからぁ!」
――お前なんぞに加減はしねえ!
ヴェリドットを抱えたままナインは急降下を始める。
空気の壁も音の壁も突き破り、出せる最大の速度で地表を目指し落下――彼女が何をするつもりでいるかなど、説明するまでもないだろう。
「ようやく飛ぶのにも慣れてきたところだが! 今は一緒に落ちてもらおう!」
街を覆う虹色のヴェールへ、激突。
メキメキと全身が砕ける音をヴェリドットは聞いた。いや、体だけじゃない。力も心も、同じように砕けていく。まるで衝撃によって全てが洗い流されていくような感覚だった。
「――――かはっ」
己のヴェールすら突き破ったナインは、そのままヴェリドットを押し込み広場の中心部へと叩きつけた。放射状に走る亀裂。地に打ち付けられた彼女はもはや悲鳴すら出せずに、最後に残った肺の中の空気を吐き出すだけだった。
ナインのダイブは強烈過ぎた。
後頭部が裂け中身を零し、手足は残らず千切れ飛び、腰から下が両断されかかっているヴェリドットは――もうこの傷が治りはしないことを既に悟っていた。
負けた。
何故か惜しむ気持ちもなく、すんなりとそう理解できた彼女は血塗れの顔で目を見開いた。
空の全てを遮るように垂れこめていた厚い雲が隙間を見せて、そこからまるで救いの手のように陽の光が差している。
日差しの柔らかさがヴェールの煌めきと合わさって、空模様は酷く幻想的で。
それを見たヴェリドットはふっと何かから解放された気分になった。




