75 空戦、クータ対ヴェリドット
「へえ、意外とやるじゃないの!」
エルトナーゼ中央区の大広場上空で、交錯する二対の翼があった。
一人はヴェリドット、もう一人はクータ。それぞれ蝙蝠のような黒い羽と鳥のような赤い翼を忙しなく動かしながらドッグファイトへ励んでいる。
嗜虐的な笑みを浮かべたままで相手を褒める余裕まであるヴェリドットに対し、クータは鬼気迫る表情で果敢に敵へ猛攻を仕掛ける。
「はあぁ――爆炎キック!」
「大した火力だわ、とっても熱い炎――けれど芸がないわねえ!」
炎を推力にして猛然と突撃するクータを、ヴェリドットはひらりと躱す。直線の加速など、ユーディアと違って飛行術が得意な彼女からすれば止まっているのと同じようなものだ。こんな攻撃には当たるほうが難しい。
背中を見せたクータへ爪を振るう。確実に命中するかに思えたが、獣じみた反射神経でクータは身を捻りそれを回避。後方へ飛びながら腕から炎を蒔いた。
「あはっ♡」
容易く火の粉を振り払い、笑う。
反応は上々、能力も申し分ない。ヴェリドットはクータを高く評価する――しかし、戦い方が単調なのが大きなマイナスポイントとなっていた。せっかくの才能を活かしきれていない。ほら、今もまた単純な特攻をするつもりでいる……。
「あら?」
飛翔するクータが、全身に炎を纏ったかと思えば――それが分かたれた。炎の分身体だ。クータはそれを先行させて、自身はその陰に隠れるように身を潜めた。ヴェリドットの視界からは当然本体が映らなくなっている。
「二段突撃をしようって? 偉いわ、ほんの少しだけ頭を捻ったわね――でも!」
先にやってくる分身体も遅れてやってくる本体もまとめて迎撃すればいいだけ。
確実にそれができるだけの自信を持つヴェリドットは、所詮は意思を持たぬ炎である分身を払いのけようと無造作に爪を振るって――それが躱されたことに、目を丸くした。
「はああああっ!」
分身を駆使した時間差攻撃。そう見せかけてクータは密かに炎の分身に合流していたのだ。
炎でヴェリドットの目を誤魔化し、後から来る本体こそが本命だと錯覚させた。油断してまずは分身を片付けようとするその瞬間に渾身の一撃を叩き込むための策略である。
「爆炎キック!」
かくしてその目論見は成功した。猛火を宿した健脚がヴェリドットへ吸い込まれる。蹴りと炎の両方を受けて彼女はあえなく吹き飛び――そこへクータは容赦なしの追い打ちをかける。
「熱線!!」
クータ自慢の火力を一点に集中させた業火を吐き出す。狙いは寸分狂わずヴェリドットへ。
――命中。
ごう、と炎禍が広がり、同時にじゅわりと体の焼ける音が聞こえた。
「はあ、はあ――やった!」
疲労困憊ながらも激戦の末にようやく敵へ手傷を与えたことに達成感を得るクータ。
これだけで勝てるなどとは思っていないが、少なくとも熱線をまともに受けたからには負傷は甚大であるはず。
そうした少女の計算を狂わす光景がそこにはあった。
「え……?」
炎が消え、残されたヴェリドットは……相も変わらず笑っていたのだ。
「あははははは! 凄いじゃないの、私の腕が見て、こんなにもボロボロにされてしまったわ!」
ヴェリドットの両腕は炭化どころか焼けた部分が綺麗に消失し、残った箇所も黒く焦げ付いてもはや腕とは呼べない代物になっていた。
両手を失ったとなれば戦力は大きく損なわれているはずだが、ヴェリドットは愉快そうにそれを眺めるばかりだ。
その意味がクータにはすぐ分かった。
ぐにゅりとヴェリドットの腕の肉が蠢いている。焦げた部分を自ら削ぎ落すように激しく蠕動し、やがて新鮮な肉が増殖して元の腕を形作っていく。グロテスクだが驚異的な速さで傷が癒えていっている――吸血鬼に元から備わっている再生能力。それが極限まで高められた結果が今のヴェリドットであった。
クータは愕然とする。
彼女には何が起きているのかは分からない――しかしヴェリドットが異様なまでの回復力を有していることだけは否が応でも理解できた。
苦労してもぎ取ったダメージが一瞬で無かったことになってしまったことに、少女は悔しさと恐れを同時に抱いている。
「うんうん、気に入ったわ。貴女やっぱり、なかなかいいじゃない? 私好みだわぁ」
悦に浸ったようにそんなことを言うヴェリドットを、クータはきっと睨みつけた。
少しばかり臆する気持ちはあっても、まだ彼女は勝利を諦めていない。
熱線でダメとなると、残されているのは百頭ヒュドラにもやった全身全霊をかけた『大爆炎アタック』。今の自分にはそれくらいしか通用する可能性のある技はない。
しかしあれは大出力の炎を周囲へ否応なく撒き散らしてしまうので、街中での使用は控えたいところなのだが――でも仕方がない。敵の排除を最優先させねばなるまい。
問題は、攻撃準備が必須であるという隙をヴェリドットが見逃すはずはないということ。
百頭ヒュドラが相手の時は遥か上空で攻撃へ移ることでそれは問題にならなかったが、同じく空を飛ぶ敵となればそうもいかない。
ここまでの戦闘でヴェリドットの素早さは嫌と言うほど味わった。工夫なしで撃とうとしても上手くいくはずがない。ならばまたぞろ策を練ってどうにか当てるしかない、とクータは呼吸を整えながら疲労の滲む頭でどうにか考えを纏めようとするが……。
「はあ、はあ、はあ、……?」
おかしい。いつまで経っても息が落ち着かない。
それどころかますます呼吸が荒くなっていくようだ。
体も重く、段々と飛ぶことすら億劫になってきた。これではとても戦うどころではない。
困惑を隠せないクータへ、ヴェリドットの愉悦混じりの言葉が届いた。
「気付いたかしら。これが私の能力、エナジードレイン!」
「えなじー、どれいん……」
「うふふ、そうよ。実は初めから貴女の体力を吸い取らせてもらっていたの。貴女の御主人にやったように全開の力じゃあないけれど、それでも私の周りをぶんぶんと飛び回っていたせいで効きは早かったようねえ。まあ必死に戦っていたのだからそれも当然よ」
あのナインがおかしかっただけで、普通は誰だってすぐに気力が尽きるものだ。そうヴェリドットはどこか自身を納得させるように宣った。
「くっ、お前、ご主人様にもこんな……!」
「あらあら、怒っているの? でもそんな必要はないわ。これからは私こそが貴女の主人になるのだもの」
「なにをっ、う」
浮かんでいるのがやっとのクータへ近寄り、その頬に手を触れたヴェリドット。
彼女の体からべっとりとした何かが伝ってくるのを感じ取ったクータの肌に激しく鳥肌が立った。
「健気で可愛らしくって、強力な力を持っている。とても素晴らしいものだわ。貴女は私の手駒として重用してあげるから、せいぜい喜びなさいな」
「う、ううっ……!」
自分の中にドス黒く粘ついた何かが這入ってくる。
怖気の走る感覚にクータの眦から涙が漏れた。
ヴェリドットが恐ろしいのではない、ナインに対する忠義を無理やり作り替えられようとしているこの事実が何より恐ろしく、我慢がならない。しかしいくら心で嫌がっても体は動かず、抵抗はできそうにもなかった。
無力な自身にクータが深く絶望し、それを見たことでヴェリドットの口が弧を描き――そこに飛来した何かが彼女の高笑いと作業を中断させた。
「ぐあっ、この……なんですって!?」
何者かに強かに打たれたヴェリドットは地面へ墜落……はせずに、両の足で着地をした。
いったい誰が、と自分の後を追うようにクータを抱えてゆっくりと降りてくる相手を一瞥し、途端にヴェリドットは驚愕を露わにした面持ちとなった。
「どうして――馬鹿な、あり得ない! 生きているはずがない、私が仕留め損なうなんて考えられないわ! あの状況で生き延びられるはずがないのに……何故貴女がここにいるの!?」
「…………」
叫ぶヴェリドットの視線の先で無言のまま空から降り立つナイン。
真っ向から見つめ返すその瞳は、煌々たる深紅に染まっていた。
やっぱり仲間のピンチには主人公ですよ




