74 一撃だけの決闘
ヴェリドットは今どこにいる、とナインは訊ねる。神妙な顔つきでジャラザは目を細めた。
「……ふむ。落ち込んでおる様子なら尻を叩いてやろうと意気込んで来たのだが、どうやらその必要もなさそうだの。いい目をしておる――否、よりいい目になっておる。何があったか、は聞かんでおこう。それよりも先に言っておくことがある」
状況説明は終わったはずなのに、まだ何かあるのかと首を傾げるナイン。そんな少女にジャラザはグッドマーからの言葉を伝える。
「なんでももう一人吸血鬼らしき少女を確認した、とのことらしいが……前後を考えるにユーディアとかいうあの小娘かもしれんの。確実なことは言えんが、少なくとも可能性は高かろう」
「ああ……そういえばあいつもこの街に来てるんだったな」
すっかりその存在を忘れていたナインであったが、そう言われてみるとこの事件に彼女が無関係だとは思えない。ナインがエルトナーゼを訪れて以降ユーディアらしき少女の姿は目に入っていないが、ひとつ所に二人の吸血鬼がいるのだ。
彼女たちが何かしらの関係を結んでいることは十分に考えられるだろう。
「でもグッドマーさんはどうやってそのもう一人を確認したんだ?」
「さての。それを知れるからこそ情報屋なんだろうて。因みにヴェリドットの目的を儂が知っているのもグッドマーから聞かされたからよ……まあそんなことより次はクータのことだが」
「そうだ、クータはどうして一緒じゃないんだ? 今どこにいる?」
エイミーと同じく鎮圧側へと回っているのだろうか、しかしクータの体術も炎もそれには向いていないはずだが……と気を揉むナインへ、ジャラザはある意味それ以上に衝撃的な役回りを教えた。
「クータは単身、首魁のもとへ向かった。あやつは今、一人でヴェリドットと戦っておる」
「なんだって!?」
どうしてそんなことに、とナインが声を荒らげれば、ジャラザは「グッドマーの忠告にしたがったまでよ」と臆面もなく答えた。
「忠告?」
「うむ。ヴェリドットを自由にさせておっては何を仕出かすか分からんと奴は言った。至言だろう、ここまでのことをやらかす阿呆なのだからまた突拍子もなく自らの爪を振るいださんとも限らんからの。要は、クータは人身御供のようなものよ。街を守るため現在進行形で贄になっとる……本人は主様の復讐のためにと話も聞かずに飛び出していったがの」
「なんてこった、クータが……」
ヴェリドットに不覚を取ったせいでクータにいらぬ世話と苦労を強いてしまっている。
己の不甲斐なさを悔いてぎゅっと瞼を閉じるナイン――その額に触れる指先。
「クータも儂も一緒だ。主様、お前様の強さに心底惹かれた、憧れた。惚れておると言ってもいい。しかしそれはただ強いからというその一点にのみに心酔しているわけではない。むしろ主様が強さに相応しくない感性を持っていることはよくよく理解の上よ。桁外れの力を持ちながら人間たらんとする主様のその在り様にこそ、儂らは魅入られておる。純然として輝きの中にいるお前様を誰よりも近くで見たいと……その瞳を見た時に儂はそう思ってしまったのだ」
「輝き……」
「そうだとも。正否も是非も、あるいは善悪すらも問題にならない。優しくあるまま強くあろうとする主様はきっと何より正しいのだ。そして正しくあろうとする主様は、この世の何よりも美しい。クータも儂もその美しさに囚われた――だからの、主様よ」
此度も勝てよ、と。
それだけでいいのだとジャラザが言った。
「……今すぐ俺を連れてけ、ジャラザ。クータを助けに行く――そしてあいつをぶっ倒す」
他でもないこの俺が。
この拳でもって打ち倒す。
握りしめた拳からめきりと音が鳴った。
ボロボロになったローブを羽織り、ナインはジャラザと共に駆けていく。
流れる青髪を追いながら、うっかり追い越してしまわぬように留意して走る中で、ざわりと何かが彼女の神経に触れた。
「跳べジャラザ」
「!」
気が昂っているナインの素早い察知と指示に助けられ、ジャラザはその場から飛びのいた。一瞬後を血槍が通り過ぎ、後方のナインへと飛来する。
ひゅん――べきり。音で表せばたったそれだけ。
迫るそれを苦も無く掴み折ったナインは手の中で形を失っていく槍に見向きもせず、ただ正面を見据えている。
「主様」
「ああ。噂をすれば、だな」
真一文字に口を閉ざしたユーディア・トマルリリーが、静かに向かってくる。
ただの一時、ただの一度とはいえ同じ敵を相手に共闘した人物が明らかな敵意を持って攻撃を仕掛けてきたことにナインはなんとも言えない気持ちになる。加えて言うならその敵から生まれ落ちたジャラザがこちら側にいることも、その奇妙な感覚に拍車をかけた。
「操られている……とも違うようだな」
ユーディアの様子を見てシルニコフを比較対象にそう判じたナインへ、ジャラザは同様の見解を返す。
「うむ、そのようだの。傀儡どものそれに類する瘴気は感じられるが、極僅か。あやつはおそらく自らの意思でヴェリドットに承伏しておる。どういった関係性かは知らんがの……」
会話する間にも近づいてきていたユーディアが、一定の距離を空けてぴたりと立ち止まった。
その顔つきは以前の勝気そうな表情とは打って変わって暗く沈んだものだ。
戦意はあるようだが、瞳に力はない。
そもそもあれだけ話し好きだったのがこうもむっつりと黙り込んでいる時点で変調は明らかだ。
だからナインはそんな彼女をじっと観察し、それからため息を吐いた。
「なあユーディア。なんとなくだが、事情があるのは見て取れる。お前はきっと不本意な流れの中にいるんだろう。この攻撃だってひょっとしたら嫌々やってるのかもしれない――だけどな、俺には俺の事情があるもんでな。こう言っちゃ悪いが、お前さんには構ってられないぜ。向かってくるなら手荒になるがそれでもやるか?」
戦るなら戦るし、そうなれば容赦はしない。
そうナインは締めた。
それは彼女なりの優しさのつもりだったし、そして厳しさのつもりだった。できれば退いて欲しいという願いを込めて通告を行った少女に、ユーディアは。
「――運命かもしれない。私はそう受け取った」
「……なに?」
問答が成り立っていないことに怪訝な顔をするナイン。反対にユーディアの声はとても平坦に凪いでいた。
「姉様が変になったらあんたが現れた。姉様がエルトナーゼに根を下ろせばあんたもやってきた。姉様の計画なんて何も知らないくせにいの一番にあんたが邪魔をした。そして今ここに、姉様の槍を食らったくせに平気な顔をしてまた戦おうとしているあんたがいる……、私はこれを、運命と受け取った。姉様はきっと、何をしてもどこにいても、あんたに付き纏われる運命なんだわ」
「…………」
人をストーカーのように言いやがって、とナインとしては少々不満な思いもあったが、それを口には出すことはしなかった。何故なら返事をするよりも早くユーディアの手の内に血の槍が出現し、素早く構えを取ったからだ。
まるで槍兵が如く足を開き、切っ先を敵へ突きつけた堂に入った姿勢。
敵とは当然、ナインのことだ。
それを受けて後ろに下がりつつ補助の体勢に入ったジャラザに、ナインは手の平を向けて手出し無用を命令する。
たった一人しか目に入っていないように、ナインと結んだ視線を一切逸らさずにことなくユーディアは言う。
「そしてこれが私の運命。姉様の敵は私が倒す、倒さなければならない。ナイン、あんたが姉様をどこまでも邪魔するというのなら――その怪物じみた力を私の姉に向けて振るおうというのなら。それを切って捨てるのが私の役目よ」
妹として姉にしてやれる、せめてもの――そう言って泣き笑いのように顔を歪めるユーディアへ、ナインは無言で構えた。
どのみち彼女の心境や境遇を慮ってやることはできないのだ。立場も目的も違いすぎる。この場でしてやれることと言えば、それは。
挑まれた決闘に、実力でもって応えること。
「ブラッディ――――グングニルッッ!!」
先手はユーディア。受けて立つために後手を選択したナインはここで意表を突かれることになる。それはユーディアがこれまでに見せたように血槍を投げつけるのではなく、手に持ったまま突貫してきたからだ。
体躯を槍と一体化させて赤い閃光となった彼女。一歩目から全力、最高速。恐るべき速度で穂先が猛然と突き進む。
投擲を想定していたナインは大きく予想を裏切られ、驚きを隠せず――しかし肉体の動作は少しも阻害されることなく。
自分目掛けて繰り出される刺突へナインはなんら焦ることなく握った拳を繰り出した。
鳴り響く甲高い衝突音。
その結果綻びを見せたのは……拳ではなく槍のほうだった。
ふっ、と意気ごと空気が吐き出される。
それは目を見開いた後に零された、ユーディアの諦観の吐息。
「はは、笑っちゃうわね。まさかこんなにも歯が立たないなんて……」
砕け散った槍は網目が解けるようにして消えていく。その断片を投げ捨てるようにしてユーディアはその場に座り込んだ。
丁寧に武器だけを破壊された意味を彼女は過不足なく受け取っていた。
容赦しないなどと言いながらきっちりと手を抜いたナインに、もはや侮辱を受けたとも思いはしない。
ただただ自分が弱かっただけのこと――そして、ナインが強いというだけのこと。
自分では何にもならない。何もできやしない。そう悟らされた。
ナインにも、姉にも、ぶつかり合う二人にも、まったく手出しができない。
――自分は舞台にすら立てない。
「……どこへなりと行ってしまいなさい」
「いいのか」
「だって私じゃ止められないんだもの、しょうがないでしょう? 好きなだけ暴れるがいいわ。……それで姉様に勝てるものなら、勝ってみなさい」
「ああ、勝つさ」
なんの含みもなくそう言ってのけたナインにユーディアは苦笑を漏らす。彼女に対してのものではない。おかしくなっている姉を、あるいはこいつならば。そんな風に思ってしまった自分に対しての苦笑だった。
それは自嘲と、そしてある意味「決別」の笑みだったのかもしれない。




