7 不審者からの尋問
一本道というのは非常に助かる、と方向音痴の少女はてくてく歩きながら誰だか知らぬが道を整備してくれた者へ心からの感謝を捧げた。均された地面は剥き出しの土などとは比べものにならないほど歩きやすく、そして左右に分かれない道は危なげなく少女を目的地まで導いてくれる。
(地図は貰ったけど、山とか挟んでたら絶対迷ってたよな……くわばらくわばら)
てくてくてくてく、と見た目こそ可愛らしい少女の散歩然とした歩みだがその速度はかなりのものだ。歩幅は小さいはずなのに、先を急ぐ気持ちが少女の身体能力を十全に活かし普通ではありえない行進速度を実現させていた。
別に急ぐ理由はないのだが、街に寄せる期待がナインの歩調を速めているのだ。
まだ昼にもならないうちに目的地まで残り道半ばという中間地点に差し掛かっているのがその証拠だ。いや、彼女の速度からすればもっと進んでいてもおかしくないはずだが――その歩みを遅くするものがあったのだ。
少女は一人歩きながら、自身の過去を振り返っていた。元の肉体、元の世界。そこに置いてきたあらゆるものを思い返していた。
父や母。姉に弟。友人たちに、読みかけの本や楽しみにしていたテレビ番組。好きな歌手が久しぶりに出した新曲もまだあまり聞けていない。そのすべてが、もはや自分の手には届かないものとなった。
(……本当にそうか? 何か、戻る手段はあるんじゃないのか? あっちからこっちに来られたのなら、こっちからあっちへ行くことだってできるんじゃ?)
しかしその手段は今のところ、まったくの不明だ。それにこの「ナイン」としての肉体はどうなるのか、おそらく生命活動を終えたであろう元の肉体へ戻ったところでそこには死しか待っていないのでは、と無視するには幾ばくか大きな疑問も多く――そもそも。
自分が戻りたいと思っているのかどうかさえ、少女には分からなくなっていた。
(過去のこと……そうとしか思っていない自分がいる。昨日までの俺の生活が、すべてもう「終わったこと」に感じているんだ。もっと言えば、前世のようにさえ思っている。こりゃいったい、何故なんだ?)
それはやはり、明確な己の死を感じ取ったからなのだろうか――あの瞬間にスイッチが切り替わるように、この肉体へと意識が、命が移ったのか。
だとしても。
(こうまでも戻りたいと思えない……願えないのはおかしい。これじゃまるで、どうやったってあっちへは戻れないことを俺自身が確信しているような――)
「っ……!」
思考の途切れたナインは、急いで振り返る。今しがた自分が通ってきた道を眺め、左右に視線を動かした――が、何も見つからない。
「あーもう、またかよ……こっちはこっちでなんだってんだ?」
ナインの歩行を遅れさせるもうひとつの要因がこれであった。
村を出てからというもの、ずーっと誰かに見られているような感覚があったのだ。
それはうなじがちりちりと焦げるような不確かな感覚。最初は気のせいだと思っていたし、実際に後ろを確かめてみても自分を見つめる何者かはどこにもいやしなかった。
だからやはり気のせいなのだろう、体が変わっていろいろと過敏になっているのだろう、ぐらいに結論付けて歩みを再開させてきたのだが――。
「いくらなんでもおかしいよな」
嫌な感覚に耐え切れずに背後を確認したのは一度や二度じゃない。もうこれで五回目だ。これだけ続くとさすがにナインも気のせいと済ますことはできず、「何かがいる」と思わずにはいられなかった。
「…………うーん」
しかし。
絶対にいる、と決めつけて後方をぐるりとつぶさに見やっても怪しい何かを発見することはできなかった。やっぱり俺の考えすぎなのか……と確信を揺らがせつつも、半ばやけくそ気味にナインは声を大にして叫んだ。
「おい! いるのは分かってんだぞ! 誰だか知らないがこそこそしてないで出てこいよ!」
シーンと。
耳に痛い静寂。誰も何も応えるものはない。
空しく響いた自分の声に激しい羞恥を覚えるナインだった――が。
「やはり気付かれるか。馬鹿力だけの怪物ではない、ということだな」
「!」
返事があった。それは自分の後方、つまりは進行方向から聞こえてきたものだった。
バカな、と思いつつも体を反転させると、いた。フードを深く被ることで顔を覆い隠している小柄な人影がそこにはあった。ローブで全身を覆ってもいるので、顔だけでなく体型なども一切外部に知らせない不審者全開の格好……ではあったが、似たような出で立ちであるナインにはその服装へ疑問を呈す資格はないだろう。
そんなことよりも。
(なんだこいつ……どっから、いつの間に? さっきまでは確かに道の向こうまで無人だったんだぞ!)
じっとこちらを見つめてくるローブ姿の不審者。声の高さや背丈の低さからしてあちらも少女なのでは、と思うものの不気味な出現の仕方には警戒心を抱かずにはいられない。
「お、俺をつけてたのはお前か? いったい何の用だよ」
「何の用か……それを聞きたいのは、こちらのほうだ」
「はあ?」
びしっ、と少女(らしき者)はナインを指差して詰問調で訊ねてくる。
「この先には街がある! 貴様が街を目指すのはどんな目的があってのことだ?」
「え、目的って……なんでそんなこと見ず知らずの相手に答えなきゃいけないんだ」
「いいから答えろ!」
やたら偉そうだなこいつ……と不満を覚えながらもナインは大人しく質問に応じることにする。
「別にこれといって明確な目的があるわけじゃないんだけど。強いて言うなら観光? になるのかな」
「観光だと……?」
ああ、とナインは頷く。しかし、謎の人物は強固な態度を崩さない。
「……思った通り、嘘をつくか。隠さねばならんやましいことがあるんだな?」
「えぇ? やましいことなんてないって。ってかなんで嘘って決めつけるんだよ!」
「貴様のような者の言うことが信じられるか! 言ってみろ、貴様の正体を!」
「しょ、正体だって?」
一瞬ぎくりとしつつも、ナインはなるべく冷静を装って胸を張った。
「そりゃあ人間だよ。どっからどう見ても普通の人間でしょうよ俺は」
いやまあ、このやたらと美少女な新ボディがただの人間とは明らかに違っていることは、自分でもよく分かっているのだが……それでも彼は人間以外の何かになったつもりなどなかった。正真正銘、身も心も人間として存在している自負がある。
堂々と言ってのけたナインはこの自信満々の態度が相手を怯ませるだろうと期待していたのだが、あいにくとそんな効果はなく。
ローブ姿の不審者はフードの奥で目を細めるのだった。
「ほう。オーガを一撃で屠りさる貴様が普通の人間だと?」
「うっ。なんでそれを……」
「私は訳あってあの村を調査していたんだ。異変の原因が特殊なオーガだと判明したかと思えば、それ以上の怪物が引っかかった――貴様のことだ! さあ、隠しても無駄だと悟ったろう。素直に貴様の正体と目的を明かすことだな。キリキリ吐け!」
痛い目に遭いたくなければな、と俄かに剣呑な雰囲気をその身から立ち上らせる不審者に根負けしたように、ナインは両手を頭の横に上げた。
あの場面を見られていたというのなら、確かにもう隠しようはない。どうせ隠せないのならここは相手の言う通り、言える範囲で素性を知らせるしかあるまい。
「分かった分かった。いま見せるよ」
「見せる?」
「ああ」
上げた両手でフードに手をかけたナインは、そのまま頭から下ろした。ふわり、と輝くような白い髪が白日の下に晒される。外気に触れたそれはそよそよと風に揺れるように広がり、その眩さをこれでもかと周囲へ振りまいている。まるでナインそのものが輝いているかのように、その場が一段と明るくなったようにさえ感じさせられる――
が、そんなことよりも不審者が注目したのはナインの瞳だ。薄いが紅い瞳。それから異様に思えるほど白く透き通った肌。最後に、ナインの容姿が気味が悪いほどに整いすぎていることに気付き、呻く。
「貴様……純血のヴァンパイアか……!?」
「俺の名前はナインだ――って、はあ? なんて?」
ナインの名乗りにも反応せず、不審者は一層の警戒を露わにする。
それもそのはず。ナインの特色とも言える独特な瞳や肌の色、そして美貌。すべてが吸血鬼の特徴に一致しているのである。
純血の吸血鬼であるのなら、あれだけの怪力を発揮することにも納得がいくというもの。なるほどな、と不審者は口の中で呟いた。
「要は食糧調達、という訳か! 街には貴様の餌だらけだものなぁ!」
「待て待て待て! とんでもない勘違いしてるぞあんた! いいか、俺はヴァンパイアなんかじゃない。生まれつき……そう、生まれつき、ちょいと力が強いだけで、れっきとした人間だ! 血なんか吸わないから!」
「戯け!」
「たっ、たわ……!?」
「そんな戯言が通じるとでも思ったか――だとすれば、随分と安く見られたものだな!」
そこで不審者はついにローブを脱ぎ去った。現れたのはやけにぴっちりとしていて窮屈そうで、どこか陰気な印象を受ける黒装束に身を包んだ幼い少女だ。幼い、とは言っても見た目はナインよりいくつか上に見えるが……ナインの精神年齢からすれば子供にしか思えない。
妙に顔色が悪いのが気になるがやっぱり女の子だったか、とその外見からどうしても若干気が緩んだナインであったが、それとは対照的に少女は険しい目付きで腕を向けてきた。その瞬間にざわりとした感覚がナインの胸に広がった――このざわめきは、害意あるものの気配!
ナインは目の前の少女が「戦闘に移ろうとしている」ことに気が付き……なんでこうなるんだ、と空を仰ぎたい気分になった。
怪しい奴から怪しまれる主人公の図