65 ゴリ押し潜入ミッション
活動報告にも書いたのですが土日だけじゃなくGW中は更新時間帯が不定期になりそうです。
毎日更新は続けるから読んでね!(幼女)
「先輩。本当にこれでいいんでしょうか」
不気味にも思えるほど大人しい猛獣たちへの餌やりを終えて休憩に入ろうとしていると、共に組んで業務をしている後輩がそんなことを言ってきた。
先輩と呼ばれた男が「またか」とうんざりして閉口していると、彼は聞こえなかったとでも思ったのかもう一度同じ言葉を口にした。
「本当にこれでいいんでしょうか。ねえ、先輩」
「――うるさいぞ。いいも悪いも、俺たちに何かやれることがあんのか?」
いい加減にしろという思いを込めて強めにそう言ってやると、後輩はぐっと口を噤んだ。彼も本当は分かっているのだ、自分たちにできることなど何もないと。それでも黙っていられないのはきっと……。
乱雑に頭を掻く。
それから後輩へ言った。
「ぐだぐだ言ったってしょうがねえだろ。俺たちはただ指示通りにするだけさ」
「でも、ここ最近のシルニコフさんはどう考えたっておかしいですよ。これまでに稼いだ金なんてもう使いきっちまったんじゃないですか? あれだけの動物たちを無理やり集めてきたりして……しかも変に元気がないですし。いや、元気がないっていうより意識が朦朧としているというか……気付いてますか先輩。あの動物たちの様子、偶に焦点の合わない目でどこかを見てるシルニコフさんにそっくりなんですよ」
ちっ、と男は舌打ちをした。
彼の苛立ちは後輩が意味不明なことを言っているから、というのが原因ではない。
むしろその逆だ。
いちいち己の不安を的確に言葉にしてくることに腹が立ったのだ。
「知るかそんなこと! お前はまだ団長のことをよく知らねーから妙なこと考えちまうんだよ。今までに団長が間違ったことなんて一回だってねえんだ。あの人についていけば間違いはない。お前、それが信じられねーのか?」
「そんな! 俺なんかを拾ってくれたシルニコフさんのことはそりゃ信頼してますよ! けど、だからこそ近頃のおかしさが目に付くんじゃないですか。俺たちどころか副団長にもなんの相談もなく話を進めているって聞きますし……それにシルニコフさんだけじゃなくて、段々具合の悪そうな人が増えてきているのも気になってるんです」
そう言って後輩は堪えられない寒気にでも苛まれているかのように身をよじった。
空調の調子でも悪いのか建物内は熱気がこもって蒸し暑いくらいだが、見れば彼の肌は極寒の只中にいるように総毛立っている。
「うちだけじゃなくて、シルニコフさんが動物を買い取る交渉に行ったアニマルランの人たち、みんなおかしかったですよ。ほら、俺たち一緒に動物を運ぶためにあっちまで行ったでしょう? あの時、向こうの従業員の人たち誰も表に出てこなかったの覚えてますよね? 俺あの時便所を借りに建物に入ったんですけど……そこにいた人たち、声をかけても全員が全員、固まったようにピクリとも動かなかったんです……まるで人形に話しかけてるみたいな気分でしたよ! 俺もう、気味が悪くて悪くて。シルニコフさんに動物たちを奪われたように感じて怒っていたんだろうと思ってたんですけど――いや、そう思うようにしていたんですけど、時間が経つにつれなんか違うような気がしてきて……ねえ先輩、俺の言ってることって変ですか? シルニコフさん、ここ四、五日でますますおかしくなってるじゃないですか? 同じようにキングビーストの中も外も、どんどんおかしくなっていってる! ねえ先輩、俺のこの疑問は、先輩の疑問でもあるんじゃないんですか?!」
堰を切ったように溢れ出す恐怖心の吐露。
怯えた表情をしている後輩に何と言えばいいのか分からず、今度は男のほうが口を噤む番だった。
言えるわけがない。後輩を相手に、
「俺だって本当は怖いんだ」
「怖くてたまらないんだよ」
「誰かに助けてもらいてえよ」
――なんていう本心を言っていいはずがない。
日常の歯車が軋んだ音を立てて少しずつ狂っていくような感覚に苛まれている赤心をここで打ち明けてはいけない。そんなことをすれば後輩はきっと心が折れてしまうだろう。せめて彼の前くらい、自分が面倒をみている後輩の前でくらいは、頼りがいのある強い男でいなければならないのだ。
「馬鹿野郎、お前がそんなんじゃうちの看板ビーストたちもシャキッとしねえだろうが! 今は休業してるが団長が一声かければすぐに公演を再開すんだぞ! しっかりと世話して餌を食わさねえとそん時になって副団長からどやされちまうだろうが――って、おい? どうした?」
「先輩、あれ……誰ですか?」
己を奮い立たせて後輩に一喝を、と思えば聞いているのかいないのか彼は廊下の先を見てそんなことを訊ねてきた。
誰とはなんだ誰とは、と男が視線を辿ってみれば、
「ああ? あれってなんだよ? 誰もいねえじゃねえか」
「え、嘘、おかしいな……今確かに誰かいたんですよ、見覚えのない子が」
「子? 子供かよ。どんなだ」
えーっとですね、と後輩が自分の見たものを思い返す。
どうせ怯えているせいで変な物でも見た気になっているんだろうと男も本気にはしていなかったが、落ち着かせてやるために話くらいは聞こうと彼が思い出すのを欠伸混じりに待った。
「とても小さな子でした。古い感じのローブを着てて、頭にフードをすっぽりかぶって顔は見えなかったんですけっ、…………」
「――あ?」
欠伸中、急に声が途切れたことを不審に思った男は後輩のほうへ振り返って――見た。
ぐったりと体から力が抜けて崩れ落ちようとしている後輩と、もう一人。
やけに古臭くサイズの合っていないローブを揺らし、フードで顔を隠した子供らしき存在を。
「え、」
戸惑いの声も半ばに、彼の視界は暗転する。衝撃らしい衝撃も感じないままに男は強制的に深い眠りへと落とされた。
なんだってんだ、いったい……。
自分の体が倒れる音と、歯車の軋みが大きく聞こえた気がした。
「悪いね、兄さん方」
壊れ物を扱うようにそっと男たちを床に寝かせてから、ナインはん~っと肩を回した。一般人を傷付けないようにするのは非常に気疲れをする。
「もうここらに人はいないんだよな?」
「それらしいのは感じないよ、ご主人様」
「ならよかった……つって一息つくこともできんけど」
ナインは不法侵入の真っ最中である。アニマルランド『キングビースト』の敷地内に潜入してから十数分、初めのうちこそ誰にもみつからずうまい具合に先へ進めていたが素人のスニーキングなど当然の如く長くはもたず、ここに辿り着くまでに何人かに目撃されてしまっている。
そのたびにこうして驚く暇も声を出す間も与えずに当身で寝かしつけているわけだが、大騒ぎにならずにいるのは奇跡と言って差し支えないだろう。広さの割にどこも人が少なかったおかげでここまで来られたようなものだ。
「にしても一瞬の衝撃だけで失神させるのはなかなか骨だな……慣れてきたけど慣れたくねーや」
「じゃあクータがかわる?」
「いや、俺がやるよ。クータには悪人でもない人を殴ってほしくはないんだ」
ご主人様……! とクータの目がきらきら輝くのでこそばゆくなったナインは、照れ隠しも兼ねて言った。
「それより早く行こう。無理に寝かせただけだから、最初らへんの人たちはそろそろ目が覚めてもおかしくない。青蛇、次はどっちだ?」
「じゃら」
左右に分かれた通路で青蛇は迷わず右へ曲がった。道案内を任せているのは潜入当初から青蛇が率先して前に立っている――這っているからである。
先日変装して潜り込んだというピナ・エナ・ロックその人から内部の大まかな位置関係を教えられたもののナインもクータも覚えきれなかったので出たとこ勝負の大博打をするつもりで来たのだが、嬉しい誤算である。
「いったいお前さんは何を感知してるんだ?」
「じゃらら」
いいからついてこい、と言わんばかりに先導する青蛇へ大人しく従うナイン。
蛇にはピットという熱を探知する器官があるというが、それならクータにも再現可能であるし、いくら熱を探ったところでルートの特定はできない。まるで目的地までの道のりがはっきりと見えているような進み方には何かしらの異能を感じるところだ――が、今はそれを過度に気にしている場合ではないだろう。助けてもらっているのだから結果オーライとしてこれからのことに意識を向けるべきだ。
「ここか?」
青蛇が動きを止めた扉の前で確認すれば、こくりと頷く。蛇が縦に大きく頭を振る姿は妙に可愛らしくて思わず指で頭部を一撫でする。ひやりとした触感が心地良い。そのまま二撫で、三撫で――
「……ご主人様」
「あ、いやごめん。こんなことしてる時間はないよな、うん」
ナインはぎょっとするほどの圧をクータから受けたことで我に返った。早くと言ったのは自分のはずなのに呑気してしまった。やたらと蒸し暑いので青蛇も調子が良くなさそうでもあるので、なおのこと急ぐ必要がある。
荒事に備え、ナインはフードを取った。
「中にいるな?」
クータと青蛇から肯定が返ってきたので「よし」と気を引き締める。
シルニコフのいる建物を見つけるのも一苦労(青蛇任せ)だったが部屋を見つけ出すのもまた一苦労(青蛇任せ)だった――しかしようやく目的の扉までやってくることができた。
後はグッドマーから言い渡された通り、実際にシルニコフと対面して洗脳の有無を調べるだけである。
「入るぞ。青蛇は休んでてくれていい、クータは通路の警戒頼む」
「じゃら」
「りょうかい!」
頼むからクータもうちょっと静かな声で返事してくれよ……と思いながらまあここまで来たらもう一緒か、とナインも堂々と扉を開けた。
鍵はかかっていなかったが、室内にいた人間は突然の来客に驚いたようであった。
「おや、お嬢さん。お初にお目にかかるが、どなたかな? この時間に人と会う約束はしていなかったと記憶しているんだが」