63 街に差す影
(要はロックさんでも見通せないことがある、っていうのを証明できればいいんだから……物は試しだな)
「ロックさん。少しだけいいですか?」
「ん? 何かしら?」
グッドマーには刺々しい物言いだったピナが、ナインに対してはかなり柔らかい口調になった。
割と子供好きな人なのかもしれない、と印象を新たにしつつナインは自らのフードを剥いだ。
エイミーと再会した時やロパロへ謝罪する際にも被り続けていたフード。それを取ることで、一同へ自身の素顔を晒した。ナインの眉目秀麗な顔立ちを初めて目にするロパロとピナは大きく目を見開くこととなる。
「俺を見て何か感じますか?」
「……すごく、綺麗だとは思うけど」
「あ、いえ、そうじゃなくて……審秘眼から見て、という意味で」
そこまで言えばピナにも意図は伝わったらしく、多少眉を顰めて何かを言おうとした――ところで、グッドマーの声が機先を制すようにかけられた。
「その分の料金は私が払おうじゃないか。是非ナインくんの言う通りにしてみてくれないか、ロック嬢。正式な依頼として頼みたい」
「……あなたから報酬だなんて、ゾッとするわ。いいわよ、タダで見てあげる」
ピナはナインを真っ直ぐに見つめて、息を整えた。するとすぐに変化が生じる。彼女の眼球が震えるようにして動き、虹彩が幾何学模様を描き始めたのだ。紋様のようになったその眼こそが彼女が審秘眼を発動させている証なのだろう。
「あら、貴方どうして蛇なんて……」
「あ、それはいいんです」
蛇? と首を傾げるロパロやエイミーを無視して他に見えるものはないかと問いかければ、ピナは首を振るのみだった。
「特にこれといって気になるものはないわね」
「分かりました、どうか今しばらくそのままでお願いします」
彼女の眼が本当に何でも見通せるのなら、自分に反応しないはずはない。ナインにはそういう確信があった。だから、すべきことは実に簡単だ。
「……っ!!」
ピナは絶句した。何事もないただの子供、幼いながらに美しすぎる容姿ではあるがそれ以外には何も感じなかった目の前の少女が、一変したのだ。
薄紅色の瞳が発光し、ナインの全身から圧力のようなものが放たれる。
それを受けたクータが、青蛇が、エイミーが、ピカレが、ロパロが、その場の一同がまったく同じ心地となる――即ちナインに抱く「圧巻」へと心情が強制的に染め上げられる。
やはりこいつは普通ではないと思うエイミー。
何が起こっているのか理解できないロパロ。
目を見開きながらも笑みを深めるグッドマー。
この場で最も小さな少女に誰もが圧倒される中、審秘眼を使用しているピナだけは少々違うものを視ていた。否、視させられていた。
「な、……んなの、あなた、は……?」
果たしてその眼を通して彼女が何を目の当たりにしたのか、それはピナ本人以外には知りようがない。ただ、その重く掠れて引きつった声に、歯の根も合わず大量の冷や汗をかいている様からして、詳細は察せずとも何かとてつもないものを目にしたことだけは誰にとっても明らかであった。
それをしかと確かめたところでナインは元に戻った。
彼女が言うところの戦闘モードから日常モードへと意識のスイッチを切り替えたのだ。
「俺はナイン、人より少し頑丈なことだけが取り柄の……まあ、どこにでもはいない子供なんですが。俺のことをロックさんはその眼で見抜けなかったことになるんですよね」
「……そう、ね。認めるしかないようね。私の眼は貴方に通用しなかった。こんなことは生まれて初めてだわ……ある意味貴重な体験ね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! どういうことだ、ロックの眼でも見通せないなんてことがあり得るというのか!?」
「そうなるね、ロパロ。つまり捜査は振り出しに戻ることになる。私たちの前にナインくんというロック嬢の眼を出し抜ける存在がいる以上、シルニコフが洗脳されていないなどと誰に言うことができようか」
価値観が覆ったことでかなりの動揺を見せるロパロとは対照的にグッドマーはとても楽しそうだ。
まるでこの展開がすべて彼女の予想通りであるかのように思えるほど一切驚いた気配がなかったが、しかしピカレの性分についてよく理解しているロパロたちが反応を示すことはない。
「信じがたいが目の前で証明されてしまっては仕方がない――しかし、ならばどうする。ロックですらも欺いてみせる何某の偽装をどうやって暴くというのだ」
「それなんだが、エイミー。ひとつ手がないでもない」
「ほう、さすがに脳の回転が速いなグッドマー。言ってみろ、その手とやらを」
「ナインくんさ」
「なに?」
そこで再度ナインに注目が集まった。いそいそとフードを被りなおしていた彼女は自分の名が出たことに「え、なんです?」と困惑している。
とても先ほどの重圧を放っていた少女と同一人物とは思えない姿だったが、グッドマーはお構いなしに話を続けた。
「ロック嬢を出し抜いた相手というなら、君も同じだ。つまり君がシルニコフ氏と直接会うことで何かしらの手掛かりを掴めることも、十分考えられる。私たちが策を弄するよりもよっぽど可能性がある方法だと思わないかい?」
なるほど、とナイン以外の全員が頷いた。
立ちっぱなしなのが幸いして長話でも舟をこいでいないクータまでもが深く納得している。
それだけグッドマーの言葉が説得力を持っていることになるが、それは言うまでもなくナインが先んじて己の力の一端を明かしたことが何よりの誘因となっている。
「どうだろう、ナインくん。是非とも我が友人であるロパロのためにも、君の力を貸してくれないか」
「えっと……それはつまり、シルニコフさんと面談して、操られているかどうかを俺が判断するということですか」
「そうだね。ついでに言うなら、もし本当に洗脳状態にあるならそれを仕出かした犯人も検挙してくれるとありがたい」
「……そりゃちょいと求めすぎってもんじゃないですか」
「不思議と君ならできるような気がしてね」
きらん、と歯を光らせていい笑顔を見せるグッドマー。基本的に給仕か力仕事しか経験のないナインには彼女からの信頼がとても重かった。
(ああ、やっぱり妙なことになっちまった……荒事じゃないなら俺の出番にはならないかと思ったのに、結局お鉢が回ってきたよ)
人が誰かに操られているかどうか、そしてそうであるなら誰が下手人か。
そんなことを調べろと言われてももはや勝手が分からなさすぎて自信があるともないとも言えない。
いや勿論自信なんてないのだが、しかしこの状況。
全員がナインに期待を込めた眼差しを向けてくる状況!
中でもロパロからの縋りつくような視線は特にナインを揺さぶった。
これでは断ることなんて、とても無理だろう。
ナインは基本的に流されやすく、そしてお人好しでもあるのだから。
「やってみましょう」
頼みをきくことを決断したナインに、ロパロが表情を明るくする。
「ありがとう、ナインちゃん! 何だか私も、ナインちゃんになら任せられる気がしてきたよ」
「うんうん。まあ大船に乗ったつもりでいたまえ」
「何故お前が偉そうに言うんだ、グッドマー」
「こいつはそういうやつよ。構うことはないわ」
「ご主人様、たたかうの?」
「いや、どうだろうな……よくわかんない」
どうなることやら、とナインは心中で息を漏らす。
クータの言う通り争いになることも想定されはするが、ナインにとってはそちらのほうが幾分かやりやすく気が楽でもあった。
まあ、件のシルニコフと顔を合わせても何も分からず終いで帰路につく可能性のほうが遥かに高いだろうが……その時はその時だ。とにかくやってみるしかないだろう。もう引き受けると決めたのだから、今から成果が上がらなかった場合のことなど考えたって仕方がないというものだ。
しかし……とナインはふと辺りを見回した。
日がな一日デートに時間を費やしたことで、時刻は夕方になろうとしている。斜陽が建物の影を細く長く伸ばしている光景。見慣れているはずの夕暮れ時の光景……なのに。
ナインはどうしてだか、その引き伸ばされた影にそこはかとない不吉な予感を覚えた。
まるでこの街に暗く影を落とすどす黒い闇を見てしまったような気がして――自分でも何故そんな風に思ってしまったのかまるで分からず。
得体の知れない薄ら寒い感覚を、ナインは頭を振って追い払うのだった。
不穏さを醸し出していく




