54 炎の踊り子
「心の準備って?」
「グッドマー氏は大変ナイン様に興味を持たれたようでしたから。何かしらのアプローチを仕掛けてくるのは確実かと」
「そりゃまた、どんなアプローチだい」
「さて、それはグッドマー氏のみぞ知ると言ったところですが。まず相談料として重い対価を要求することが考えられます。あるいは何も受け取らず恩で縛り、ナイン様と懇意になろうとするのか……逆にあえて敵対することを選ぶ可能性も十分にありますね」
ナインが眉を寄せる。到底理解しがたい話になってきた。
「待ってくれ、あえて敵対する? どういう意味だ、そんなことをしてなんになる」
「一筋縄ではいかない人なのです。グッドマー氏の行動を予測するのは誰にとっても難しいことです。しかし往々にして氏には人を試す癖があるように思われます。リュウシィ様と知己になる際にもそういったことがあったのを私は知っているので……おそらくナイン様にも相応の覚悟は求められるかと」
「覚悟が必要なことをしてくる、と」
「はい。その詳細については、会ってみなければなんとも」
だから『なんらかのアプローチ』などという意味深な言い方をしたのか、とナインは困った気分で考える。リュウシィからの紹介の時点で薄々まともな人じゃないことは察していたが、どうも想像以上に面倒なキャラをしているらしい。
そんな奴にちゃんと相談ができるか、というより力になってもらえるのか、にわかに不安になってきた。
「通常では知りえないようなことをどういう訳か承知している氏のことですから、ナイン様の力になってくれると思います……本人がその気になれば、ですが」
「協力してもらうには俺が頑張るしかないわけだ」
「そうなります。気を付けていただきたいのは、たとえナイン様の目からどう映ったとしても、それがグッドマー氏の本性ではないということです。きっと演技の中にさりげなく本音を混ぜてくることでしょう、見抜けとは言いませんが、決して信じ切ってもいけません。好感も悪感もすぐに取って代わるものとして一歩引いた視点を意識するのが吉です」
「……難しそうだな。けど、わかったよ。むかっ腹が立っても怒っちゃいけないし、煽てられても調子に乗っちゃいけない。そういうことだな?」
「ご理解いただけたようで安心しました。けれど私、そう危惧はしておりません」
「うん? わざわざ忠告するために待っててくれたんだろ?」
「ええ、念のために。しかし、ナイン様ですからね」
意味が分からず首を傾げるナインに、アウロネはメガネの奥の瞳を細めた。
「グッドマー氏はリュウシィ様を気に入っておいでです。その点に関してだけは、私と気が合っている。そして私は、ナイン様。あなたのことも『お気に入り』なのです」
「はあ」
「だからきっと、大丈夫でしょう」
「…………」
アウロネの自信は思ったよりも根拠に乏しい代物だった。ナインは思わず自らの額を押さえた。
彼女の言いたいことは分かる。グッドマーとアウロネの好みが似通っていることから、彼女が気に入ったナインに対しグッドマーも似たような感情を抱くだろうという算段。
納得できなくもないが、焼き肉が好きならステーキも好きだろうという乱雑な推論にも思えてナインとしてはどうしても同意しがたかった。
「まあ、とにかくだ。参考にはなったよ。ありがとうアウロネさん。直接会う前に教えてくれて助かった」
「いえ、礼など。お役に立てたのならばなによりです。では、私はここで失礼させていただきます。立ち話になってしまって申し訳ありませんでした」
「いやいや、時間を取らせたのはこっちなんだし構わないさ……リブレライトへ戻るのか?」
「はい。こう見えても私、それなりに多忙な身ですので。それにあまりリュウシィ様をお一人にするのも……」
と、アウロネは不意に言葉を止めてじっとナインを見つめた。
どうしたのかとナインが見つめ返すことしばらく、彼女は思いつめたように再度口を開いた。
「ナイン様」
「ん?」
「リュウシィ様のことを、どうかこれからもよろしくお願いします」
「はいっ? 急にどした?」
「リュウシィ様は友人が少ない。そうと純粋に呼べるのは、おそらく片手の指で数えられるくらいしかいないでしょう。ナイン様には是非とも新しい友人として、この先もリュウシィ様と懇意にしていただきたいのです」
「……えーっと」
「ナイン様、お聞かせください。あなたはリュウシィ様のことをどう思っておいでですか」
真剣な声音で問いかけるアウロネに、こいつは冗談は許されないらしいと悟らされたナイン。
少しばかり恥ずかしい思いもあるが、素直な気持ちを吐露する。
「俺だって、リュウシィのことを友達だと思っているよ。向こうはどうなのか知らんけど……俺はまあ、この先も仲良くしていきたいかな」
アウロネを気遣ったのではなく、これが本心。ナインは共に仕事をこなすうち、リュウシィのことを気の置けない相手だと認識するようになった。それはつまり、この世界に来てから初めてできた『遠慮の要らない友達』だということ。
クータもカテゴリーで言えば友人の枠に入るのかもしれないが、本人がペットを自称しているうえにナインも最近では保護者としての意識が強いので『友達』というのとはまた違う。なので現状リュウシィこそがナインにとって、最初にして唯一の友人なのである。
真摯な返事にアウロネは束の間瞼を下ろし、開く。
「そうですか。それを聞けて安心しました」
「ならよかった。言われるまでもなく、あいつとはこれからも付き合っていくつもりだからさ。……そうなるとアウロネさんとも長い付き合いになりそうだな」
「お気に入りに囲まれる。私にとっては願ったり叶ったりですね」
「アウロネさんて真顔でぶっこむタイプだね」
それでは、と踵を返そうとする彼女へナインは「待った」をかけた。すぐに振り向いたアウロネに素朴な疑問をぶつける。
「出発も遅かったし寄り道をしたとはいえ、空を飛んできた俺たちよりも遥かに早くあなたがエルトナーゼに着けたのは、何か秘密があるのか?」
その問いにアウロネは薄っすらと微笑を浮かべた。珍しい彼女の笑みに目を奪われたナインの耳に、涼やかな言葉が届く。
「一聞如何に絵空事でも実現せしめることでしょう。それが忍の技なりますれば」
それだけを告げて笑みを消した彼女は今度こそ去っていく。
雑踏に紛れるように足を踏み出した次の瞬間に、ナインはその背中を見失った。
(そういやあの人、忍者なんだっけか……うん、すごい人だ)
彼女も強い。
リュウシィやユーディアとはタイプが違うが、彼女もまた強者に他ならない。
ナインは手元の紙に目を落とした。そこには丁寧な筆致でピカレ・グッドマーが待つ場所が記されている。勿論アウロネが用意してくれたものだが、ひとつ問題があった。それは。
紙面を上滑りさせるように目を動かすナインの頬に、静かに汗が伝う。
「よ、読めない……」
そう、ナインには読み書き能力がない。
読み取れるものもあるにはあるが、それは『ドマッキの酒場』で覚えさせられた料理名や何故かナインが元いた世界と共通している数字やアルファベットくらいで、それだけで識字能力が備わっているなどとは間違っても自称できない。
彼女には丁寧なアウロネの文字がただの不可思議な記号にしか見えなかった。リュウシィの用意した案内メモは図での説明だったがアウロネの場合は文章。両者の性格の違い、ではなく、リュウシィはナインが字を読めないことを承知していたというそれだけのことだった。
ここに来てまさかの齟齬。
ナインに関する正確な情報のやり取りを怠っていた事実が発覚してしまったが、読み書き不可という下手をしなくとも恥部になりうるナインのありのままを、大っぴらに部下へ伝えるのを控えたリュウシィの良識を否定することは誰にもできないだろう。本人が明かすならともかく人伝にするようなものではない……という真っ当な判断が今こうしてナインを苦しめているのだからなんともやるせないことである。
だがそこに救いの声。
「じゃら」
なす術もなく硬直するナインの首元から顔を出した青蛇は、嘆息のような鳴き声を出してメモを眺め、それからするりとローブから這い出て全身を露わにした。
「あ、おい?」
「じゃーら」
勝手に人前に出るな、と言いかけたナインの言葉を青蛇は遮った。そこでナインは思い直す。この街の常に仮装行列でも行われているかのような景観を思えば、蛇の一匹や二匹くらいで騒がれることはないはずだと。
「ずっと首に巻き付いてるんじゃ息が詰まるだろうし、ここなら目立たないからいいけどさ。でも急にどうしたよ」
「じゃらら」
青蛇はメモへ視線を移し、それからナインを見る。その仕草はまるで――
「まさか場所がわかるのか? お前さん字が読めるのか」
それが本当ならいよいよ青蛇の知能はとてつもないことになる。
利口だとか賢いだとかそんなものじゃない、下手をすればナインやクータよりよっぽど頭がいい。
その可能性に衝撃を受けたナインだが、けど助かった。事が事――七聖具に関する事項――なだけに人に道を訊ねるのも憚られるところだったのだ。
またしても迷子になってしまうのを青蛇が防いでくれたのだから、感謝しないわけにはいかない。
「お前が来てくれて良かったよ、いやホントに」
「じゃーら」
どことなく胸を張ったような体勢になる青蛇にナインは笑う。こうして見ると愛嬌もあって可愛いやつだ。このまま何事もなく、成長しても大人しくしてくれたらいいのだが……。
「じゃら」
「ん? ああ、クータを呼べって言ってるのか。そうだな、そろそろ先方へ会いに行くとしよ……」
ナインは絶句した。
アウロネとの会話に集中してしばらく目を放していた間に、クータの芸はとんでもない域にまで達していた。端的に言うと口からだけでなく全身から炎を吹き出しながらブレイクダンスのようなものを踊るようになっていたのだ。
回る炎の軌跡が美しい。ダイナミックな体使いと相まって観客たちの興奮も最高潮だ。囃し立てる声や応援と重なって大歓声が巻き起こり、今やおひねりなのか金銭まで四方から飛び交っている。硬貨はともかく紙幣なんかはすぐに燃えてしまっていてなんとも勿体ない。それも含めて観客は盛り上がっているようだが、熱狂に包まれたその様子は傍から見れば異常なハイテンションにしか思えず、ナインはただドン引きすることしかできない。
「あれは……ちょっと呼べない、かな」
「……じゃら」
気後れするナインとそれに同意する青蛇。
両者の思いは稀に見るレベルでシンクロしている――即ちクータへの「何やってんだこいつ」という呆れである。
「あの金で上手いメシでも食おうぜ。ただしクータは抜きで」
「じゃらら」