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530 世界にとって

「あっはっは! 見事に勧誘失敗ってね!」


 とても楽しそうな腹の底からの笑い声を上げながら、にこやかな表情で少女は続けた。


「こりゃあ、あれじゃない? 無理矢理にでも拉致ってたほうがよかったんじゃないかー?」


 その物騒な言葉を受けて、対面する彼女。狐人女性の冒険者、ルナリエ・ル・ルールナは「はあ」とこれ見よがしのため息を吐きだした。


「まさかそんなこと、あの時点でできるはずもないでしょう? けれど、結果としては。外交問題を覚悟の上でも強引にあの子を連れ去るのが正解だったみたいね」


「こうなってしまっては、そうだねえ。アルフォディトにとっては損失だったろうが世界にとってはまず間違いなく、私たちの仲間になってもらうのが丸かったよ。真ん丸さ」


 親指と人差し指で丸を作りつつ手元の資料に目を通す――既にそこに書かれている内容は全て頭に入っているが――少女は口を小さく歪ませる独特な笑みを浮かべた。


「『王』の立ち上げ! ご丁寧に映像を添付させてこれでもかと件の怪物少女――ナインを『自分たちの物だ』と示している。いけないなあ、これは。英雄なき時代の英雄列伝……そんな埃をかぶった物語に相当惚れこんでいる、えらく脳みその古い連中がいるらしい」


「でも、そういうものに頼る気持ちはあなたにもわかるはずだわ。思った通り、アルフォディトには直に未来を視る能力者がいた。占術師として名を馳せたエーテラ・ロックが引退したと言うから、ひょっとすれば彼女が省お抱えの専属になったのかとも見ていたけれど……」


「時期が丁度そのくらいだったからね。でもうちの調査隊によってエーテラは本当に引退して人里を離れてしまっているらしい、と知れた」


 そう言って、別の資料を手に取る。少女がぴらぴらと振るそれには『水晶宮』の文字があった。


「さすがにこれには驚いたね。『収斂眼』? 恐ろしい眼だ。この世にあっちゃいけない類いのものだよ、こいつは。少なくとも使い方を誤る可能性がある奴の手元に置いておくのはよろしくないねえ」


「自分なら上手く使える、と言っているように聞こえるわね」


「そう言っているのさ。実際そうだろう? 私以上にアレに懐かれているのなんていないと、君もよく知っているだろうに。ま、別に私が持たなくたっていいさ。そこに拘るつもりはない。ともかく『國常連』の管理下に置かないことには危険だろうってことだ」


 君もそう思うだろ? と投げかけられた質問。それに対してルナリエはすぐには答えず、ふわりと六つの尻尾を動かして口元を隠した。


「……略奪は好まないわ。それが仕事なら私はとっくにナインを奪ってここにいることでしょう」


「はは、そりゃあそうだな。調査隊の報告を受けて私は四チームを派遣したけれど、首都以外を調べに向かったのは君たちだけだ。おかげで万理平定省の管理体制の杜撰さや種族差別が浮き彫りとなったし、ナインとも接触を持てた。実にグッドな仕事ぶりだよ」


 ――でも、わかっているだろうけど。


 と、微かに目を細めながら少女は続けた。



「こうもがっつりとナインを抱え込まれちまったのは確実に君のミスだぜ。いつでも完璧なルナリエらしくもない、甘々な見通しを立てたせいでこうなったんだ」



「ええ……まったくその通りね」


 事実を重く受け止めているのだろう、ルナリエは静かに頷いた。目元を伏せ、口を隠し、声を潜めて。そういった所作は彼女がクトコステンで下した自身の判断を心から悔いていることの表れに他ならなかったが、元から持つ魔性の色気と合わさって反省の仕草がそうとは思えぬほどに艶やかで、艶っぽい。


 あまりにも美人すぎる彼女のビジュアルに軽く吹き出しながら、少女は重苦しい雰囲気と一緒に手の中の資料を放り出して頭の後ろで手を組んだ。


「まあ、まさか直後に神具の暴走なんていう大事件が起こるとは――そしてそれにめげるどころか上手く利用して次の国家戦力にナインを掲げるとは、とても読めやしないよな。あるいは『収斂眼」の能力を精査できていればうちもアレを使って対抗できていたかもしれないけど。でもそれこそ後出しじゃんけんのたられば論だからなぁ。……あーあ。アルフォディトなんて滅びてよかったんだ。いらないよ、あんな国は。前々から上座とかいう馬鹿どもの相手をするのにもうんざりしてたしさ」


「彼らはもう誰も残っていないはずだけれど?」


「らしいねえ。でも変わるもんか。絶対とは言わないけど、どうせ一緒さ。新理再生省だっけ? 変わったのが名前だけ、なんてことはよくあるからね。大勢死んだみたいだが、新しい省を構成する職員は結局前の省からの生え抜きばかりだろう?」


「そうみたいね。けれど、うちとの交渉の記録を辿るに今度のトップはそれなり以上のやり手と見えるわ」


「まーね。それはそれで面倒だが馬鹿の面倒を見させられるよりは遥かにいい。だけどねえ」


 別の面倒も湧いてきてるんだよなあ、と。


 くるりと回転椅子を回して、ルナリエから己が背後へと向き直った少女は、そこの壁に写真付きで掲示されている三人の人物の情報をねめつけるように眺める。


「どーすんのさ、これ」


「それが、噂の求婚者・・・たちね」



「そう。海上国家『アクア・マリアーナ』の第七皇子スーラ。竜の国『ドラコニア』の次期王筆頭ガノンジーク。そして、『個人帝国』の皇帝エルグラッド……まったくとんでもない面子だ。与えられた『王』じゃない、マジモンの王族たちだ! そんなのがこぞって、この短期間に三名も――ナインを妃にしたいと打診してきている! 『國常連』を見合い会場か結婚相手の斡旋状ぐらいにしか思ってないよこいつら」



「もしかしたら今後もっと増えるかもしれないわね……」


「怖いことを言わないでくれよ。だってこれ、脅迫状みたいなものだよ? マリアーナもドラコニアも武力に関してはトップクラスだ。その上経済面でも他国に頼っていない。事を起こしてもいいんだぞ、と暗に告げている」


 正直な話。


 その矛先がアルフォディトだけに向かうのなら、どうでもいいというのが少女の本音だ。


 ただし、同じものを欲しがる国同士で争い始めた場合や、また『収斂眼』を持つアルフォディトが斜め上の対処をしないかといったような到底見過ごせない懸念がいくつかあり――加えて言えば、如何に王族たちの要求と言えども。


 ご機嫌伺いのため素直に差し出すには、ナインという供物は上質すぎる。

 たかだか一国の王候補如きには過ぎた『武器』である――。


 と、少女が眉根を寄せて壁を睨みながら考えているところにかけられる声。


「加盟国のマリアーナとドラコニアはまだしも……エルグラッドは何を考えているのかしらね。『個人帝国』は通称の異名というか忌み名であって、彼は王族の血筋を有してはいても国を統治しているわけではないわ。当然、彼の居座るあの土地だって地図上はただの空白地帯でしかないし、『國常連』に認められてもいない……それなのにどうしてこんなことを?」


「こっちからしたって今となってはお断りだが、そもそもあいつは加盟なんてこの先にも絶対しないだろうな。なのにわざわざこんな手紙を送り付けてきたんだ。他二国の、当たり前のように要求が通ると思い込んでいる王子たちとは違って――エルグラッドこいつだけは」



 ――宣戦布告をしているんだよ。



 低く呟かれたその言葉に、再度ルナリエはため息を零した。


「もう、嫌になってくるわね」


「まったくだ。これからのこともあるってのに、アルフォディトを中心に加盟国でごたごたを始められちゃ困る。しかしもう防ぎようはなさそうだな……けれど幸い、目下最大の危険物エルグラッドも今すぐ動き出そうとはしていないようだ」


「どうするつもり?」


「どうもこうも、防げないんだったらせめて、なるべくサクッと終わらせることだよ。そのためにもちょっとばかし個人的に手を打っておこうかなって」


「……言うつもりがないなら深くは聞かないでおくけれど。なんにせよ、全てをコントロールできるとは思わないほうが身のためよ?」


「忠告痛み入るね。だけど、それは私に言うような言葉じゃないな」


「ふふ……そうだったわね、ごめんなさい」


 口を歪めたいつもの笑い方。向きを戻した少女のその顔を見て、ルナリエは応じて薄く微笑んだ。


 それは信頼と、同情を感じさせる微笑。


 彼女から向けられる感情の意味を知りながらも、少女は何食わぬ顔でまた別の資料を手に取って話を続けるのだった。


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