529 そう怒鳴らないでくれ姉上
「荒野かどっかの、とにかく人も動物もいないようなところで話し合えたらそれが一番だったんだが……他の参加者の手前そんなわけにもいかないしな」
「間違っていない。候補者一人の要望で僻地へ呼び出すとなれば会合を開く難度も相応に高くなっていただろう」
「…………」
難度がどれだけ上昇しようと安全を第一にしてほしかったというのがラルゴラの偽らざる心情だ。図書館を会合の場に選んだのは自分であるし、ナインが『聖冠』の宝玉を有していることも事前に聞き及んではいたものの、まさかそれがこんな危うい状態に収まっているなどとは夢にも思わない――如何に用心深い人物であろうともそんなの、予想がつくはずもない。
それに対してネームレスはナインと宝玉の状態を予期していた節がある。多少なりとも観察の気配が窺えることから、彼にとってもナインの今の姿は興味深いものであることはわかるし、翻って宝玉の危険度についても正確に把握していたわけではないのだろうが、少なくとも。
その卓越した魔法的技量で『無限の魔力』の片鱗を感じ取っても、またナインが自ら胸襟を開いてそこに埋まる赤い玉を見せても不気味なほどに感情を揺らさない態度からはどう考えても――大方の予想がついていながらも彼が、省とその情報を共有しなかったという事実がここに浮かび上がってくる。
「何故、知らせていただけなかったのか聞いても?」
「確定的ではないからだ。それに君の推測通り危険度についてはまったくの不明であった。今こうして、ナインが宝玉を見せるまでは。私ですらも十全には読み切れていなかった――転じてそれが君の欲する安全の材料になる。完璧ではなくともここまで隠し通せるのならば、まだ不安はない。いずれどうなるかという見通しが立たない懸念はあるものの、現状のナインについて評価するなら言うほど逼迫した状況でもない」
「まだ猶予と余裕がある、ということですか。だが、いつそれらが失われるかはあなたでも予測できないと」
「その通り。窮状とまでは称せずともいつそうなってもおかしくない……となれば君が安心できないのは当然だ。しかし、手はある」
「それはどのような?」
――言われてラルゴラの頭に浮かんだ「手」は外科手術だった。少女の体を切開し、内部にある宝玉を取り出す絵図……奇妙な光景だが治癒院でも治療行為として近代から導入され実行されている手段である。機能不全の臓器や体内の混入物を摘出し、その後に治癒の術を施す。あるいは宝玉に対してもそれと同じ対処法が取れるのではないかと考えたラルゴラだったが、すぐにも自身でその考えを否定した。
そんな方法で解決できるのならばそれこそ、埋めた時と同様に自らの手でナインが宝玉を取り出していることだろう。神具の一部、七分の一を占める伝説のマジックアイテムが『聖冠』なのだ。よもやそれが、ただの混入物などと同等の扱いで片付けられるはずもない……ましてやナインの肉体の一部も同然になっているとなれば尚更に。
そうやって僅かの間に打ち立てたラルゴラの推量は正しかったようで。
「うむ……実を言うと私も、現状の宝玉について予測できてはいなかった。何せ前例のない事態だ。ただでさえも神具に関しては謎が多く、大戦時代の直前に意図的に歴史から葬られようとしていたと推察される代物でもある。資料不足に実験不足。君同様、『聖冠』の宝玉のみ未返納という事実を聞かされても私には宝玉とナインの癒着など到底想像できなかったとも。……不可解そうだな、ラルゴラ君。勿体ぶらずに何故私がこうも落ち着いているのか教えよう。その理由は実に単純。省長殿のところのご令嬢。彼女を通してナインから相談を受けていたからだ」
その言葉に、思わずラルゴラは少女のほうを見た。
「――条件、というのは」
「そうです。俺が提示した相手は、ラルゴラさん。あんたたち省に対してだけじゃない。まあ、別に大した内容じゃあないんですけど。単にマジックアイテム絡みのことならネームレスに相談するのが最適だろうと思っただけのことで……俺の知り合いじゃあこいつが一番、そっち方面に強そうなんでね」
「なるほど、そうだったのか……」
納得しながらも、ラルゴラは少女の言い分を真に受けてはいなかった。彼女が省に対して条件という形で突き付けた要求の中にはとてもとても、重たいものもある。
それは省にとっての負担とも少女にとっての負担とも言える、どちらにとっても軽々しくは口に出せないような、そういった類いのものだ。
最終的には省長デュノウの「構わない」という簡素な一言で決定が下されたが、仮にラルゴラが彼の立場であったならその判断はできなかったかもしれない――遥かに悩み、同じ決断をするにしてももっと時間がかかったことだろう。そして会合の開催も伸び、結果的には全ての工程に遅れが生じていたはずだ。だがこれは即断即決を実現できるデュノウが異端なのであって――とそこは置いておくとして。
とにかく省に持ち掛けた内容が内容だけに、そして断れやしないと踏んで堂々とそこまでの要求を行なえる少女の胆力――ネームレスが言うところの『王』の風格――を前に、おそらくはネームレスに対しても似たような条件をいくつかつけているとラルゴラを推察する。そう思えば、【星輝】のサイレンス。弟子たる彼女への命令権を少女に与えた際のやり取りも、また違った見方ができる。
「……それで、相談を受けてあなたが用意した手立てとは、いったい?」
生じた疑問を今すぐ解消したい欲求に駆られながらも、ラルゴラはそれを無視した。結局のところ彼が――省が彼女に求める役割はただひとつ。それさえ守ってくれるなら大抵のことは看過するのが賢いやり方というものだ。政策として彼女を求める自分たちと違って、求められる側の彼女のほうがいったい何を求めて下々からの懇願に応えるのか、その真意までは読めずとも。
不動姫の眼に、収斂眼に適ったナインという少女を疑ってはいけない――否。
信じる以外のことをしてはいけない。
アルフォディトを前に進めるためには。
「無能を晒すようで心苦しいが、私には宝玉をどうすることもできない。迂闊に魔力を使ってはどんな作用を引き起こすか知れたものではないからな。それがナインに対する攻撃だと受け取られた場合は最悪だ……なるべく神具については関わらないようにしていたツケが回ってきたとも言えるか」
「君ほどの魔法使いであっても手が出せないのか」
「とてもデリケートな問題だ。ただ間違いなく、強引な手段は凶と出る。まだしも私以上に神具、と言うよりも七聖具の扱いに詳しい知人もいるにはいるが、そちらとはまた連絡が取れなくなっている。よって私に残された選択肢はひとつのみ……いや、一人のみとなった。今のナインに必要なのは、私以上に優れた魔法的技量と指導力を持つ者だ」
「君以上の魔法的技量と指導力を持つ人物……まさか、それは」
以前明かされたネームレスの出自。それを存じている故にラルゴラは、一足先に彼の言う者がどこの誰を指しているのか察しがついた。
「マギクラフトアカデミア名誉校長。あなたの姉である『大魔法使い』アルルカ・マリフォスのことか――!?」
「ああ。我が姉を除いて『無限の魔力』という爆発物への対処を叶える者はいないだろう」
そこでネームレスは、重々しくため息をつきながらナインへと視線を移した。
「君のためを思って、私のほうから姉上へ接触した。直接ではないがな。しかしこれで私はもう逃げられなくなった」
「なんだか変に渋ってたのはそれが原因かよ。姉弟仲でも悪いのか?」
「そういうわけではないがな……」
「どっちみちあんた、省のアドバイザーになったんだからすぐに居場所も割れてたろ。アルルカ・マリフォスが創設した『マギクラフトアカデミア』はこの首都にある国内最大最高の魔法学校で、省とも縁が深いって……あんたが言ってたことじゃないか」
「言う通りだが、私自ら連絡をしたというのが何よりの問題なのだ。その機微を察することだナイン」
「いや知るもんかよそんなの……で? 俺はマリフォスさんとこ行ってこれを見てもらえばいいのか? それともこっちからもアポを取ったほうがいいのか」
「話は通っている。君はその足で魔法学校へ向かってくれればいい。……それと、認識を訂正しておきたい」
「うん?」
はだけた胸元を直しながら首を傾げる少女に、ネームレスは淡々と言った。
「埋まった宝玉の解決手段として実現可能な範囲で最も現実的なのは、それそのものへ触れるよりも所有者たる君自身が成長することだ。つまり沈黙し補助機能を失くした聖冠の権能を己が力で操れるようになること……それこそを目指してほしい」
「えーっと、要するに?」
「要するに。偉大なりし大魔法使いの下で修業を詰め、ということだ」
――かくして、怪物少女の魔法学校での研修が決まったのだった。
諦めきれなかった学校編へのフラグ
当初とは展開もかなり変わりましたが




