524 『王』の五人④
「ナ、ナイン……!?」
「てめえっ、関係のねえ奴が何をしゃしゃりやがる!」
売り言葉に買い言葉。
まさしくその体現で場を弁えず戦闘行為に及ぼうとした二人――を、止めたナイン。
両者の頬を割と加減なくはたいた彼女は、元々は半円状だったのが無惨に破壊され残骸も同然となってしまった机が散乱する中で、自身の左右に立つスクラマとカマルへじろりと視線をやって告げた。
「関係ねえことないだろ……ここでは暴れんな。次やったら叩き出すぞ」
「にゃふん……、」
「こいつ……っ!」
叱られたことに頭の上の猫耳を倒して素直に落ち込むカマル。闘志を引っ込めて完全にしょげてしまった彼女とは違い、スクラマはむしろ闘志を更に激しくさせながら怒りの笑みを浮かべている。その表情からして、彼が目の前の少女を一人の敵と認定していることは明らかであった。
猛りをぶつける相手をカマルからナインへと変えた。誰が見てもそうとわかる彼が、実際に行動に移そうとした時――まるでその機を見計ったかのように「ぴゅう」と軽い口笛が響く。
それは傍観を決め込んでいた猿人少女の口から奏でられた音である。
「はっは――やるじゃないかナイン。速く、それでいて静かだった。腕を上げたな。手前はあれからも良き闘争に恵まれたと見える」
「あぁ。お前と別れた後も戦い通しだったんで、そう言ってもらえると嬉しいね」
苦笑に近い表情でそう言った少女にうむと頷いて、クシャはスクラマへと口を開いた。
「どうだ、そちらもやめにしないか。闘争心の疼きとは、とても耐え難いものだが。己にもそれはよくわかる――しかしここに座すは有象無象の雑魚にあらず、皆一流よ。一時の感情に任せて台無しとするには、少々勿体なさすぎる場だ。手前さんもそれは実感したことだろう?」
「……、」
そう言われ、スクラマは見る。
戦いかけたカマルと、それを制止したナイン。
カマルとスクラマは睨み合った後、まったくの同時に仕掛け合ったように見えたが実はそうではない――間違いなくスクラマのほうが先に動いたのだ。しかし超速の反射神経でカマルは易々とそれに追いついてみせた。コンマ数秒にも満たない刹那の世界だけに覆しようのない機先というものを、カマルは「後の先」といった一流の武芸者がやるようなあえて敵を先に動かせる戦法などとはまったく関係なく。
ただ単純に、相手の挙動に反応して後から動いただけ。
それだけのことで、なのに彼女の肉体は抜群の加速によってしかとスクラマの一撃へ合わせてきていた。彼とて全力だったわけではないが、冗談抜きで潰してやろうとしたのは事実だ――つまりは完全に手を抜いていたというわけでもない。
このことからもカマルの実力、特に速度面における卓越性というものはよくよく察せられるが……そこを評価するにあたって、なんと彼女を上回るほどの、信じ難いまでの行いをしたとスクラマをしても素直に認めざるを得ないのがもう一人の少女、ナインだった。
何せ彼女は、後から動いたカマルよりも更に後から動いた。
しかもカマルと火花を散らせながらも油断なく残る三名の王候補たちの動向へ目を配っていたスクラマの記憶する限りでは、席についてはいてもいつでも動けるように身構えていたカマルと違って、ナインはまったくの素の調子で。体のどこにも力を入れてなければ重心の偏りもない実にフラットな座り姿勢だった。……そんなスタート前から既に周回遅れにも等しい状態から、彼女は行動を起こして。そしてそのうえで加速力でカマルを悠々と超え、激突しようという二人の間へ体を滑り込ませたのである。
しかも両者の頬を打ち抜くというその行為からは、彼女がただ速いだでなく超速の行動の最中でも動作の正確さを失わないだけの優れた動体視力と思考能力、そして精密性を有しているのだと見て取ることができる。
――強い。
ここまでのことをしたナインは当然、自分に追いついてきたカマルも十分以上に。
獣の如き闘争本能とその桁外れの強さから【霊獣】と名のついたスクラマ・トゥッティをしても、掛け値なしにそう思わせてくれる類い稀な強者たち……。
「確かに、ここで終わらせちまうには惜しいかもなぁ」
クシャへ、というよりも場にいる全員へと向けられたスクラマの言葉。それは同じ王候補と言えども横並びなどとは認めていなかった――自分以外は皆(見た目は)年端もいかないような少女ばかりだということもあって――他の面子への認識を改めたが故のもの。
少なくとも。
自分の動きもカマルの動きも、ナインの動きも目で追っていたクシャや。
一連の出来事に動じていない、どころかまったく興味の欠片も見せないサイレンスも。
――この俺様と同格の存在だと雑魚共から認定されるだけのことはある、と。
あくまで上から目線ではあるものの、彼はたった今そう認定した。
「へっ。邪魔が入って若干白けたってのもあるが。いいぜ、ここでは見逃してやるよ猫人。運がよかったとせいぜい喜んどきな」
「むっ、それはこっちのセリフにゃ! ナインがいなかったら猫人体術で今頃お前なんてボッコボコに」
「カマル」
「にゃふん」
「……どういう関係なんだてめーらは」
名前を呼ばれて窘められただけで耳も尻尾もだらりと下げて分かりやすいくらいに意気消沈するカマルへ呆れながら、スクラマは。
「ただし、そっちの猫は見逃すが……てめえは別だぜ」
「……、」
僅かに眉根を寄せたナイン。そこには「なんで」と「やっぱり」という相反する思いが透けて見えた。諍いに口と手を出した時点で半ばそうなると予感していたことではあったが、案の定ターゲットを移されてしまったことに少女は面倒臭さを感じているようだった――それをスクラマは読み取れているのかどうか、いずれにせよナインの心情などお構いなしに続けた。
「いずれ決着はつける。舐められっぱなしは俺様の沽券に関わるんでなぁ……『王』としてどっちが上なのか、白黒決めようじゃねえか。そんときゃ大人しく面ァ貸せよ」
「わかった」
「……」
すんなりと了承した少女にスクラマは少しだけ目を大きくさせた。
彼にとってナインの返答は意外なものだったらしい……あるいは決闘の誘いに対し返ってきた反応が想像したよりも淡泊だったので肩透かしを食らったのかもしれない。
が、ナインもまたスクラマの期待になど構うことはなく。
「でもしばらくはちょっと無理だな。目途がついたらこっちから連絡するから、それから細かい日時を詰めてこう。てかコールセクト持ってる?」
「あ、あぁ。あるぜ」
「じゃあ連絡先交換しようか。えーっと、馬鹿なげえアドレス書いた紙どこやったかな……交換の機会増えそうだから大量に用意しといたんだが。あれっ、よりによって今日忘れてきちまったかな」
「…………、」
テンションの差が、著しい。
これでは普通に友人になろうとしているかのようだ。
自分ばかりが意気込んでいるようにしか見えない状況にスクラマはなんだかとても言語化し難い、羞恥にも等しい妙な感情を抱かされてしまった。
「あー、あったあった。よかった、ちゃんと持ってきてたよ。はいこれ。俺のアドレスな」
探し物を見つけ、スクラマへ手渡すナイン。それを受け取りながらスクラマは、フードで隠れ気味になっていたナインの顔を見て。
生で、しかも間近で目にしたその美貌に少しばかり気後れをさせられた。
「――、」
「? どうした。あんたのアドレスも書いて寄越してくれよ」
「お、おう……」
スクラマ・トゥッティ二十二歳。
これまでの人生で異性との交際経験……否、交遊経験ゼロ。
という経歴を持つ悲しき霊獣が唯々諾々と少女の指示に従っている姿を見て、一同はなんとも言えない生温い視線で彼を眺めていた――。
「……場も落ち着いたようなので再開しよう。改めて言っておくが今後も君たちが何度衝突を繰り返そうと、私はそれに一切関与しないので悪しからず。――では続いて超法規的措置以外で『王』へ贈られる個人ごとの副次待遇についての話をしよう」
◇◇◇
そんなこんなで、癖のある者だらけの会合は進み。
その後にも質疑応答や悶着が重ねられ、ラルゴラは都度眉間を揉みながらそれに対応し、そして胃の痛む苦労も度々に重なって。
ようやく、本当にようやく、全員からの不満なき合意が得られて話し合いは終わった――けれどもしかし。
「……一人だけ残ってもらって済まないな、ナインくん。だがどうしても君とは、個別に話しておく必要があってな」
「構いませんよ。これは俺のほうから頼んだことでもありますし」
ラルゴラと、ネームレス。
そしてそのついでの置物のように佇むサイレンスと向かい合って、ナインだけが室内に残されていた。




