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517 神具とナイン

「これが敗北か。初めて味わうものだ。我は神具あれかし――何者を敵としても、敗れることなど決して許されぬはずが。……しかし存外に、気分がいい」


 罅割れた身体で大の字になって地上に伸びる少年は、台詞とは裏腹にやはり感情というものを覗かせない無表情のままであったが……けれどもどこか、その顔には笑顔に近いものが浮かんでいるようにも見えた。


「…………」

「なんだ、ナイン。何か、言いたげな顔をしているが」


 自身の傍に立つ少女を見上げながら神具は、


「――おかしなことだ。何故勝利したはずの貴様が、そんな顔をする? この神具が敗北を認めているのだ。貴様の勝利を、認めているのだ。少しは嬉しそうにしても神罰は下らないぞ」


「……勝って喜ぶばかりが戦いだってんなら、俺だってもっと素直になれるんだがな」


「そうではないと、言いたいか」


「当たり前だろ。ひとまず、これ以上の死人が出ることは防げたが……万理平定省が地図から消えた事実に変わりはない。そしてどういう形であれその代わりになれたはずのお前を、今度は俺の手で壊しちまったんだ」


 物憂げに首を振るナインに、神具は横になったままで頷いた。


「そうか、そうまで国を憂うか。本当に貴様は、人間ヒトらしい怪物だ。だから就中都合がいい――この決着もあるいは、それを示唆しているのやもしれないな」


「都合が、いい?」


「ああ。糸の因果にとって。そして人間ヒトにとっても。……助力するのだろう、貴様は。我を倒した責任を取るために、身を粉にしてでも『アルフォディト』のために尽力するつもりでいるのだろう」


「……」


「沈黙は是だ。やはり貴様はそういう性分」


 そこで少しだけ長く瞬きをして、次に瞼を開けると彼は。


「神具としてではなく。同じ特異点として、貴様に言っておこう。どんなに個として強かろうと、そんなものはちっぽけなもの。我らは確かに人間ヒトの上に、高みにいる。しかしそれでも我らのような存在は……ただ利用されるだけなのだ」


 ひどく実感のこもった言葉で、彼は再びナインを真っ直ぐに見上げて――。



人間ヒトとは、恐ろしい生き物だぞ」



「……人に使われてたはずのお前が、そんなことを言うのかよ」


「だからこそだ、ナイン。我と出会い、所持者となったアルフォディト。思えば奴もまた、巧みな利用者だったのだ。本人にその自覚はなかったことだろうが、な」


「お前にとってもその人は、特別な相手なんだろう」


「是だ。そうでなければ使われはせん――しかしあの時代を振り返って。そして今、この時代で目覚めて。やはり人間ヒトの世は盤石。神にも英雄にも成し遂げられなかったことを、最も脆弱なはずの存在が成し遂げている事実。利用する側のしたたかさ。弱くあっても、否、それが故に貪欲に。ありとあらゆるものを我が物顔に使うことで時代までも留まらせる。そういうことを、奴らは可能としてしまう」


「時代が留まる……それが淀みの、そして揺り戻しの原因か。大昔のお前が初代の王様と一緒に戦ったらしいことも、その一端だと」


「流れは塞き止められている。他ならぬ我こそがそれを起こした。無論。人間ヒトにしては珍しく、手に手を取って滅亡へ抗ったその時代の住人たちがいたからこその結果、然るべき収束ではあるが――やはり不自然は不自然。不安定は、不安定。少なくとも大陸はあそこで滅んでおくべきだったのだろう」


「人代の終わり……もしも今後そいつが来ちまったら、次はどんな時代が始まるんだ」


「さてな。因果の流れを読めたところで我の眼は時代までは越えられん。そも、先を論ずることに意味などない。人間ヒトが死なぬ限り本来の未来は訪れない。今日、たった今の貴様が案ずるべきはやはり――、」


「……? やはり、なんだよ」


 急に口を閉ざした神具へ、ナインは怪訝な目を向ける。だがその視線の先では、神具のほうもまたどこか挑戦的な瞳をナインへ向けていた。


「いいのか、ナイン。はしため・・・・とそのともがらは、何もかもを承知しているぞ。貴様という特異点の、『上手な使い方』というものを。運命に踊る我らが邂逅と決着は、奴らからすれば思い描き、そして願った通りのものだ。貴様の奮闘も畢竟、利用者を喜ばせたに過ぎない。そして今後もそれは変わらない――貴様が貴様の在り方を覆しでもしない限りは、永劫に。もしくは。貴様が破滅・・を迎える、その時までは」



 破滅。


 神具の口にしたそれが、ついさっきまであんなに恐怖していた『死』よりもよほど悍ましい何かを意味していることは、ナインにもよくわかった。



 ――怖くないと言えば、嘘になる。

 何が起こるかまでは判明しておらずとも、何かが起こることは確実なのだ。

 人に、国に、そして運命に縛られる予感と共に――もうひとつ、それらとはまったく別の予感をヒシヒシと受けている少女だ。

 自分が進もうとしている道が、果たして本当に正しいのか。



 そんなものは死んでからじゃないと、わからない。



 神具との戦闘で改めてそれを強く実感したナインは、だから。



「鬱陶しいあれやこれを、気持ちよく無視できたんならそれがよかったかもしれないけどな。だけど、そういうものをずっと気にしながらでも俺は……やっぱり俺のなりたい俺を目指そうと思うよ。やれることはやれる範囲で、やれるだけを頑張るさ」



「その志を。貴様の意志を。有象無象に利用されてもか」

「別にいい。俺だって、ただ使われてやるつもりはないぜ」

「……、」


 少女の決意は固いようだと、神具は認めて。


「感謝すべきなのだろうな。我を打ち破った貴様が、この国を見放さないことを。もはやここは我の知る『アルフォディト』ではないが……だがここは、間違いなく奴の守った――守りたかった土地なのだから」


「守ったのはお前もだろ、神具。守りたかったのも、きっとそうだ」


「ああ。違いない。盟約も途切れ、もはや我がその役目に就くことは不可能となったが。しかし貴様がいるのなら。賢しくもひ弱な、ひ弱ながらにしぶとい、人間ヒトと共に手を結べるのなら。これから先に待つ真理の、果てへ。『アルフォディト』もまた導かれるのかもしれないな」


「これから先に……いったい何がある? 何が俺たちを待っている?」


「無論、戦いだ。待ち受ける敵がどういった存在であるかは不明だが。しかし貴様が貴様である以上、それは必定なのだ。……もう少し近くに、寄ってこい。そして耳を貸せ。時代を生き、次代を生きる特異点の『ナイン』。敗北した者として我は、貴様にどうしても伝えておかねばならないことがある――」



◇◇◇



「ご主人様ー!」


 どれだけ攻撃を重ねてもビクともしなかった、不可侵の膜壁。ドーム状になっていたそれがふっと幻だったかのように、急に消え失せた。それを確認した瞬間にクータは仲間に一言だけを残して一人で先行し、大急ぎで主人の下へと駆け付けた。


 省の建物がいくつも並んでいたはずのそこは、もはや物と言えるようなのは何も残っていない一面の更地で。


 その中心で何やら跪いていた様子のナインがすっくと立ち上がったところを丁度、空からクータが見つけた。


「クータ! 早いな、もう来てくれたのか」


 自分を呼ぶ声に反応して顔を上げたナインの目には、クータの疲労と焦燥が見て取れた。それを申し訳なく思って謝ろう――とするよりも先に肩を掴まれる。


「ご主人様、敵は!? 神具はどこに……あっ、ケガはしてない!?」

「うぉ、ちょ、ちょっと落ち着け。大丈夫だ、この通りどこにも怪我なんてしてない。それに敵だってもういない。間違いなくこれまでで一番の苦戦をさせられたが、ちゃんと勝ったぜ」

「そっかぁ、よかったぁ~。クータ、すっごく心配だったんだよ。ご主人様が負けるはずないって信じてたけど!」

「はは、そうだな。お前たちが信じてくれていたからどうにか勝てたようなもんだ。ありがとな」

「え? うん、どういたしまして?」


 何故礼を言われるのかよく分かっていないままに返事をするクータに少しだけ笑いながら、「行こうぜ」とナインは告げた。


「もういいの? ご主人様、今ここでなにかしてなかった?」


「そいつは終わったからな。ここで俺がするべきことはもう、何もない」


「……ご主人様のすることって?」


「ああ、まずは……お前たちと一緒にいるディトネイアから話を聞くのが、手っ取り早そうかな」


「わかった、クータが案内するね! ご主人様疲れてるでしょ?」


 じゃあ頼む、と頷いた主人の肩を、鳥形態に戻ったクータが脚で掴んで飛ぶ。久々のこの形での移動にクータは上機嫌で、自然と脚には必要以上の力が込められた。こちらも久しぶりに味わう万力めいたクータの握力を痛みと共に感慨深く味わいながらナインは――自分と、国と、この世界の今後のことを考えていた。


次の章こそ第1部の最終章となります


ブクマ等お待ちしておりまする

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