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516 アルフォディトの落日

「起動した我がまず思ったことは。今度はどのような危機が国に迫っているのか、ということだった」



 神具の蹴り。


 単純な前蹴りだが空間を無として打ち付けられたそれは少女の鳩尾に深く深く突き刺さった。


 そこには彼女自らの右手が貫通することで生じた大きな傷穴がある。


 ごぽり、と腹の口から血が漏れる。



「アルフォディトは我に『おやすみ』と言った。『君はよく頑張ってくれた。私なんかよりも余程に。だから、ゆっくり眠ってくれ。私は君の休息を願う――だけど、もしも。また君の力が必要になった時は……どうかまたこの国を救けてくれないかな』。……奴の一言一句を、我は正確に覚えている」



 押された体が、落下を始める。

 しかして少女はすぐに跳び上がった。


 神具の放った権能、空間支配の力を蹴って再び宙に躍る。

 迫ってくる拳を少年が躱した直後、その勢いのままに叩き付けられる踵。


 横回転で放たれたそれに今度は神具の体が押された。



「我が目覚めるということは即ち、アルフォディトにではなく『アルフォディト』に危機が迫っていることの証左。だからこそ、唖然とした。『聖典』の内に眠りながらも長き時が経っていることはよく理解していた。アルフォディトがとうに死んでいることも、な。それは眠りにつく前から予想していたことでもある。人間ヒトと神の道具だ、同じ時を生きたとて、我らが重なり合う時間など一瞬でしかない。再び会うことはないと。互いにそう理解していた――だが」



 空震を発動。

 更に空間を無とする。


 絶対以上の足止めと瞬間未満の移動。

 それらを同時に行ったことで神具は動かずして少女の背後へと回り込んだ。


 が、そんな彼を少女の捻り蹴りが捉えたのはほぼ同時であった。

 伸ばしていた腕を足先で弾かれて、神具に微かな隙が生じる。


 それを少女が見逃すはずもなく、途端に半回転での回し蹴りが少年の脇腹に食い込んだ。



「っ……起きた我の前に、やはりアルフォディトはいなかった。それだけではない。彼女の血を引く者すらいなかった。様変わりした聖堂、機縁すら見覚えなき顔ぶれ。国ではなく保身を求める浅ましさ。それらを見せられ、まさかと我は思った。真相は、そのまさかだった。我が眼を通して観察してみれば、王城はなく、王の子孫すらもなく。『アルフォディト』はもはや我の知る国ではなくなっていた――姿形も、その中身も。かつて彼女が望んだ国とはまるで違うものが土地に鎮座している。そう知った瞬間に、我は紛い物の王城を破壊した。そして、真理の収束を待つことにした。人代の綻び。我が起動されたことも、貴様が落とされたことも。それが基理の導く果ての始まりなのだと知ったからには、試すしかあるまい。此度の時代はどちらを選ぶのか」



 勢い込んで追撃を仕掛ける少女の懐へ先んじて神具は潜った。

 驚いた様子の彼女へゼロ距離で権能を叩き付ける。


 大震動。


 ガチガチと歯の根が合わない少女の全身からは細胞の上げる絶死の悲鳴が聞こえるようだった。

 が、神具は情けを見せることなくそこへ更なる攻撃を加える。


 指先に集めた力を、砲撃として撃ち放つことなく直接その手で少女へとぶつけた。



「世を歪とさせたのは、我だ。少なくともそうなった起因を担うひとつが過去の行為にあることは、間違いない。そのせいで王家が途絶えたとさえ言える。皮肉なことだ。時代を護ったが故に、時代に潰された。アルフォディトの成し遂げた全てが今日に通じたのだ。無常であり無情。やはり縄を編む者にして世界を縛る者、四つの基理とは意地が頗る悪い。今なら我を作りし神が何を目論んでいたか、多少なりとも想像が及ぶ。こうまで人代が続いたことまでもが狙い通りであったかは、定かではないが……いずれにせよ我や貴様のように地上を動かす存在とは、得てして便利な駒でしかない。因果をいくつも左右するとはいえ因果そのものへ触れられるわけではない。目先の結末をどう変えたところで、行き着く先には基理の法則に沿った無謬の結果しか残らない。生にも、生物にも、時代にも。この世界にすらも。本質的な意味などないのだ――虚無。運命というもののまったくの無価値具合。己が役割というものを知れば知るほどに、たった一本の糸の中で足掻く無意味さも嫌というほど知ることになる」



 ――少年の手が、少女の胸を貫いていた。



 心臓を潰した。

 確かな手応えによってそれを実感し、これで決着。


 そう信じた神具だったが。



「!」

「……ごぽっ、」


 喀血の音。

 その後に聞こえた少女の声。


「それで、も……お、れは……」


「俺は――なんだ」


 がしりと。

 自身を貫く少年の腕を、左手で掴んで。

 血を吐きながら少女は言った。


「目先の、ことに……拘りたい……!」


「――!」


 力が、増す。


 握る手に込められた力が、そんな体力などどこにもないはずの少女から力が――溢れんばかりの力が。



「目の前の悲劇を、どうにかしたい! たとえ俺の行動に、助けた命に、なんの意味もなくたって! 遥か先の未来になんの影響もなくたって――それでも、俺は! 俺らしくありたい!」



 光。


 たった一瞬だけ、神具の眼ですらも直視できないだけの強烈な光を少女は纏って。


 それが止んだ時には。



「……! 貴様、傷が――」


 目を疑う、というのは。

 神具にとって初めての経験だった。


 腕力以外にはなんの力も持たないはずの彼女が――負傷を消し去ったものだから。


「ああ……戻った。戻ってきた・・・・・ぜ」


 失ったはずの右腕が。

 空いたはずの腹の穴が。

 自ら宝玉を埋め込んだ鎖骨の傷も。


 全身に負った大小さまざまな傷痕も、そして今し方胸を貫かれた痕すらも綺麗に失せて。


 五体満足の状態に回帰した少女は、左手で少年の右手を握りしめている。



「――……」

「……――」



 視線の交錯。

 薄紅と七色が混じり合う。


 距離は互いの腕の分。

 いずれにとっても必殺の間合い。

 少年と少女はしばし無言で互いを見つめて。


 そこに何を思ったか。

 そこに何を伝えたか。

 そこに何を願ったか。


 そこに何を、残したかったのか。


 長く短いやり取りを経て――そして。



「っ……!」

「――っ!」



 神力解放。

 再度己が権能の全てを一点に集約させて少女へぶつけんとする神具。


 それに対して少女は、いつも通りのことをした。


 即ち拳を握って。

 そして殴るだけ。


 右拳。復活したそこにあるだけを、ありったけを、ありのままを。


 想いを乗せる。



 ――意志の力と、神具は言った。


 ――この肉体を操るのが、俺の意志であるのなら。

 ――この力を使いこなすために、想いの力が必要ならば。


 ――だったら心折れない限り。

 ――どんな存在を敵に回そうとも。



 ――ナインおれに負けはない。



「ぅうぉおっらぁああああああぁあああああああああああああああああああああああああああぁっっ!!!!!」



 殴り抜く。

 神威も神力も権能も――向かい来る全ての力を破り、己が力を貫き通す。


 己が我を、貫き通す。


「がっ――――、」


 ありとあらゆる敵を打ち砕いてきた怪物少女の拳が今日もまた砕くべきを砕き。


 確かに神具へナインの全力を届けてみせた。


 権能を真っ向から破られて殴打を受けた神具は――やはり血を流すことはなく。


 されどふらりと、体から力が抜けたように揺らぎ。


「――ふ、ふ」


 それから彼は……ゆっくりと地上へ落ちていった。


 ナインはこれでようやく神具からダウンを奪ったことになる――付け加えて言えば、この初ダウンこそが。



 神具の『敗北』を表していた。



(ああ――すまない。アルフォディト。お前との盟約を、違えてしまった。我は必ずや勝利を齎す道具であったというのに。……しかし)


 地に落ちた自身の、すぐ横に降り立った少女を見て神具は。

 これが然るべき己の結末であるとすんなりと受け入れることができた。


 血も傷も埃も、一切の汚れをなくしてそこに立つ少女は。

 少年の眼から見ても非常に美しく得難き存在として映ったから――。



「この勝負は……俺の勝ちだ、神具」


「ああ……我の負けだ、ナイン」



 だから神具は、なんの不満もなくそう認めたのだった。


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