515 神具vsナイン④
神具は浮いた。
殊更に足に頼らない移動方法は元より同様のものであったが、しかしこれまでと変わって彼が常に地面から離れたポジションを取ることにはまだしも特別な意味があった。
ナインは飛べない――『聖冠』の補助を失っている現在の彼女は飛行能力までも失っているのである。
制空権とは勝負において絶対と断じるに相応しい要素だ。空を飛べない相手に対して飛びながら攻めるというのは正攻法かつ確実な勝利を手に入れる最適解と言えるだろう。よほどの実力差でもない限りは敵の頭上を取れるほうが勝つ。そんなのは誰にとっても明らかなごく当たり前のことでしかない――ただし。
ことナインを相手としては。
上に位置取ることが多少なりとも意味を持ったとしても、しかし有意義どまでは言えず。
頭上から攻める真っ当な策に少なからず効果はあれど、しかし効果的とまでは評せず。
とまれ制空という本来ならば勝負を決定づけるだけの条件が、なのに絶対的有利にはならないだろうと……この時の神具には予測がついてもいたのだが。
「――『無の七条』」
「……!」
空から降り注ぐ大砲撃――それが七本連続で自分を的にして曲がってくる。
太く速く強いそれらを生身のままで避け切れるはずはない。
通常なら、そうだ。
しかしナインは迷わずに跳んだ。
後方にではなく前方へと。
そうやって臆することなく、迫る大砲撃に自らの意思で近づいていく。
「……やはり」
独り言ちる神具の視線の先では、ナインが光線の隙間を縫って移動していた。彼女は確かに何もない宙空を足場として蹴って上空へ、否、神具の下を目指して駆け上がっていく。
ここにきてまさか怪物少女は、人間の戦士が好む移動魔法『エアステップ』をなんの脈絡もなく習得してみせたのか――それもまた怪物らしいメチャクチャさではあるが、流石に自前の魔力を欠片も持たないナインではそんなことは不可能だ。
では、いったいどうやって彼女は当たり前のように空を跳ねて『無の七条』を掻い潜っているのか? ……神具にはその謎が解けていた。
彼の眼は、しかと映している。
ナインが――自分の力を利用しているのだということを。
「我が力を足場代わりに、か……まったくもって」
無の一条は空間支配の力を極限まで高密度にして体外へ撃ち放つ絶対破壊の技だ。満ち満ちて凝縮されたそれは発射に伴い自然と光線状の形を取ることになるが、正確には目に映る範囲を超えて周囲に影響を与えてもいる。ナインが今蹴っているのは、まさにそれだ。強大過ぎる力が故に余波として砲撃から零れた残滓とでも言うべき目に見えぬ力の欠片を、ナインは自身が移動するための足場として有効活用しているのだ。
これでは『無の七条』という滅殺の大砲撃を正しく七倍にした大盤振る舞いの攻撃も、つまるところはナインが機動力を活かすための足場を神具自らがわざわざ増設してやっただけにも等しく。
「権能を踏み付ける。論を待たない怪物の所業……ふふ。なるほど、貴様らしいことだ」
上空からの一方的な連続砲撃。その攻略法としてこれほどまでにナインらしく、また相応しいものもないだろう。
自らの持つ神より授かった権能を足蹴にされたことへ怒りを抱きつつも、神具の口元には偽らざる笑みが彩られていた――。
その瞳が、今一度強く七色に煌めいた。
「来るがいい。貴様と我。それ以外には何もない、この空で終の決着をつけようぞ」
神具の張った神力で形作ったドーム――支配圏は、とても広い。万理平定省の敷地をすっぽりと覆ったそれは横の長さだけでなく縦方向にも相当な幅があった。
かつては展望会議室で老人たちが首都を見下ろしながら政策について議論を交わしていた、地上九十九メートル。
それよりも遥かに高い位置で少年と少女は激突する。
「「……っ!」」
全力で振るわれた拳を、神力が込められた手が受け止める。
彼と彼女の衝突のエネルギーは広大なはずの支配圏を指してあまりに狭過ぎると言わんばかりに極めて刹那的に、破壊的に、何よりも圧倒的に。
互いの存在理由を懸けたその力で満たしていった。
◇◇◇
かつて。
大戦時代が始まるよりも遥か昔、本来なら人代の過渡期とされるはずだった、今を生きる人々がとうに忘れ去ってしまった時代において。
ある国を興した――起こさざるを得なかった一人の女性がいた。
選ばれし民である彼女、アルフォディトはその善良さと使命感から、まず人々の幸福を願った。
超常と神秘が減り、良きものも悪しきものも等しく遠かりしかの時代に彼女の願いを妨げる存在など、どこにもないはずだった。
けれどメシアムや流れ着きの森といった特殊な神秘の秘められた土地を巡り、またそれを守る者たちと出会い、論じ、見識を深める内に、彼女は自分の考えが易きに過ぎたことを悟った。
敵は、いる。
そしてそれは悪意の有無にまったく関わらず、その意志にすらもまるでかからず、自然と人を滅びの道へ誘う普天の存在であると。
糸の法則、理の真意。
人からすれば純なる悪意にすら思える世界の仕組みに気付いた彼女は――時を前後して『出会った』ばかりの七聖具の力を頼った。
数えられぬ神が片割れ、光神。
メシアムにおいては身を削ってまで人を庇護した変わり者の巨神がいたが、こちらもそれに劣らず、あるいはそれ以上の変性で以って属性神の中での一番の変わり者だと評せられる。
光の属性を冠しながらに何も照らさないかの一柱は、眷属神すら満足に持たぬ身で権能を付与した一級の神具を作成し、あろうことかそれを放棄するも同然に人間へ与えてしまった。
神の道具とは言うまでもなく人の手には余るもの。
だが七聖具は七つがそれぞれに起動しながらも揃って初めて神具としての力を発揮するという工夫の凝らされた代物だった。
なんの力を持たぬ人間にも馴染むように調整されたそれらは先の時代において光神の期待通りの活躍をするのだが、それ以前に語るべきは唯一神具を神具として扱うことの許されたアルフォディト。
彼女が如何なる想いで如何様に神具を使ったのかという点であろう。
直接ではないが光神より譲り受けた武器である神具。
それを彼女は国を護るための道具として起動させた――この時に両者の盟約は成り、神具は土地の守護を目的にするたった一人に使われるための道具として己を自覚するようになった。
人の世を終焉へ向かわせる混沌の軍団の台頭。それを事前に察知していたアルフォディトの英断により当時の大陸は一丸となって敵へ対抗し、これを退けることに成功した。言葉にすれば短い歴史の一点だが、当然その時代の当事者たちにとっては長く苦しい戦いだった。アルフォディト指揮の下に存分に活用された神具の一騎当億の力がなければ到底乗り切ることはできなかっただろう。
そう、神具は、戦ったのだ。
人を護るため、国を護るため、時代を護るため。
忙しなく敵を退け続けていたその時の彼には、少しも視えていなかった。
――しかし仮にそれを目にしたとしても、たった一個で知ったとしても、アルフォディトとの盟約を違えることが選択肢にない以上、結局彼は同じことをしていただろう。
光神の思い付きで備わった小人の眼の模倣品。
あらゆる存在の真理を視るその瞳であっても、見ようとしなければ何も映らないのだ。
……かくして彼は所持者の願った通りに、あるいは創造者の思惑通りに働いて、時代を繋いだ。
混沌の手勢との戦いも終幕を迎え、国土全体を制定し直すために神具は七聖具となった。『聖典』に宿る意思として眠りにつき、残りの六つはアルフォディトが信を置く六人の仲間へと託され――この者たちが後の王家直属官の始祖である――そして後に国中へと散らばることとなったのだった。
――時は流れ。
王位は何代にも受け継がれ、国は力を増し、貴族が優遇され、王家はそれ以上に絶対的な地位を確立させて。
けれど過度に膨れ上がった風船が破裂するように……得てして小さな穴が大きなものの崩壊を招くように。
数を増した直属官、その起用に王家の力を示すように他種族まで選定の対象としていた当時。新たに王城入りしたとある獣人の仕出かしたことが覆水不返の機となり、大陸中に広まり始めていた大きな争いの渦中へ国全体が巻き込まれてしまった。
大戦時代。激しくそして巨大過ぎるその渦は、たとえ直属官獣人の失態がなくともいずれ国を捕え離さなかっただろう。初代女王アルフォディトの時代以来安寧の時を過ごしていた大陸の数多の種族は各地で頻発する争いを発端として数を大きく減らすこととなった。
止まらぬ悲劇、止まない死の雨。誰もがそれを予感した、否定のしょうもない終末の時代。――今度こそ人の世は終わるはずだった。しかしアルフォディトが中心となってそれを回避したかの時代とは逆に、今度は団結ではなく強き個の力によって時代は再び繋がれた。
時代そのものに抗うように八面六臂の活躍をした『王』と称された彼ら彼女らは、ともすれば碌に国民を護れなかった当時の国々の王を揶揄するためにそう呼ばれただけなのかもしれないが、それでもその呼称に強者への純粋な敬意がなかったと言えば嘘になる。
多大なる感謝と、それと同じだけの恐怖。
偶然にしろ必然にしろ『王』によって救われた人々は皆一様にそういった感情を彼らの背中に向けていた――そして悲劇を胸に刻んだまま、帰らぬもの思いながら、次代へと命を紡いでいった。
そうやってまた人の世が守られて、またしても時代が移ろって。
大戦の経過で王家が滅び、やがて貴族階級も撤廃され、生き残りの為政者を中心に新たに生まれ変わったアルフォディトが復興を目指し、それを成し遂げ終えたと国中枢の者が堂々と頷く、『今』という時代にまで時は流れて。
ついに『今日』という日が訪れて。
そして、久方ぶりに目覚めた神具は――。




