514 神具vsナイン③
「な――」
「しゃぉあっ!」
「――!」
打ち下ろし掛け蹴り。先は命中しなかったそれで、たった今打ち抜いたばかりの少年の顎を再度叩く。二連蹴りで同じ箇所を攻められた神具が、しかし倒れることを忌避するように大きく足を開いた――そこへ少女の頭突きが叩き込まれる。
「がふっ……、」
顔面に突き刺さる額。急所だらけのそこへ怪物少女の全力の頭突きが当たれば、人ならどれほどの強者であっても耐えられない。だが神具は人ではない――見目麗しい少年の姿を象ってはいてもそれはそう見えるように造られたに過ぎず、人体における弱点の要素などその身には適合されていない。
数歩後退した少年は。
だが血の一滴も流すこともなく、衝撃に耐えて。
そんな己とは正反対にだくだくと体中から血を流している少女を、強く睨んだ。
「ナイン……!」
「はっ、はっ、はっ――あぁあっ!」
荒ぶる呼気を吐き出しながら少女は脱力して――からの超瞬発。
静から動への極限までの落差。
神具がどんなに目を凝らしても、その模倣された小人の眼でいくら捉えようとしても、影すらも追い切れぬほどにナインの動きは鋭かった。
「こうまでもか怪物よ……我が声は未だ聞こえているのか?!」
神力を指先に収束。そして即座に放つ。目にも留まらぬ速さで敵へ接近した少女は大雑把にしかし何もかもを消し飛ばすだけの破壊力を伴って広がるそれを真正面から食らい、だが強引に乗り越えて。
その先で待ち構えていた神具の手を、またいなしてみせた。
「……! 偶然では、ないようだ」
いなしざまに振るわれた回し蹴りを彼も逸らしながら、確かに実感する――少女の果てなき成長、神具すらも先の見通せぬ底なしの潜在能力。
それらが如何に怪物を怪物足らしめているか――特異点を特異点足らしめているか。
真理が引き寄せられたのは、まさにこのことなのだと。
基理が導いたのだとすればそれは、まさしくこれを期待してのことなのだろうと。
そう確信させられる。
「どこまで先がある――どこまで貴様はその意志で辿りつけるのか!」
ゆらりよろめいて。
あたかも出血多量で意識を失いかけているような覚束ない足取りで、すんでのところで神威の集う手から逃れたナインは。
そんな頼りない動きのままに、されどインパクトの瞬間にだけは神にも類する剛力を生み出して。
「っふん!」
「ぐぅ……!」
左拳が少年を強く押し込む。だがすぐにも彼は空間支配を実行し、間を置かずに解き放つ。無の一条――それが通った後には何も残らぬという絶対破壊の砲撃を至近距離から少女へ浴びせる。
「――っ!」
とん、と。
回避の間に合うはずもない距離とタイミングで、ナインは尋常ならざる反応と反射でそれを躱した。
虚空に舞うように自身の真横へと躍り出た少女が繰り出した高速のフックを、神具は己の肘を打ち付けることで弾く。そしてもう片方の手を彼女の顔面に翳し、権能を行使。ドズンッッ! と頭部に空間支配の力をぶつけられて激しく回転する少女。
だがそれは彼女が自ら地を蹴って回ったに過ぎず。
「!」
逆らわずに流れ、被害を最小限に。
それでいて推進力とするように敵の力を利用した少女の足刀蹴りは――ギリギリで少年に避けられてしまう。
結果としてはただの空振り。
だがそこに神具は何かを感じたのか……ひょっとすればそれは、恐怖の感情にも近いものだったのかもしれない。
何をしようと攻撃が止まらない、急成長が止まらない、ついさっきまでは自分に手も足も出なかったその存在を前にして彼は――。
「――不愉快だ。糸に持ち込まれた特別とはいえ我が意にそぐわぬ貴様がこうも強いことは、『神具』としてどうにも不愉快だ。――しかし愉快だ。糸に持ち込まれた特別とはいえ真実対等なる存在と戦っている、そのことが『我』にはどうにも愉快だ。……証明できる強さを、望んだ。貴様はそれに、応えてみせた。国と命の遵守、我が曲がらぬ本懐と貴様の歩まんとする道が交わらぬことは、とうに理解している。故にこうして場を設けた。それは我が選んだことであり、選ばされたことでもある。いずれ訪れる破滅なら、真理の赴くままに任せてもいいだろうと。貴様と我、どちらが生き残るべきかを、明らかとするためにな」
「……んで、結論は出たのかよ」
穏やかさすら感じさせる薄紅の瞳。その目に映り込む自身の姿を七色の瞳で眺めながら、神具は少女の言葉に首を横に振った。
「非だ。我も貴様も、まだ立っている。ならば結論はまだ先」
「あくまで、どっちかが倒れねえといけねえのか」
「是だ。我もまた貴様と同じ、止まることをしない物。国を再生す。そのために破壊は必須なのだ。それが我慢ならん貴様は、我を倒して我を通すしかない。折衷はない。折衝もない。必要なのは――求められるのは。ただ、相手の意を折ることのみ」
力でな、と。
七色の瞳が零す色鮮やかな輝きを見て、少女は少年の言葉に首を縦に振った。
「そうだろうな。わかっちゃいたさ。お前も俺も、結局やろうとしているのはそういうことだ。これまで通りで、これからもそうさ。俺がナインとして生きるために諦めちゃいけないもんがあるから。そのためには、神具。お前をどうしても野放しにしちゃおけねえから――見過ごすわけにはいかねえから」
「だから戦うと。それが本当に、貴様の意志だと証明できるか?」
「証明する必要性を、感じないな。お前みたいなトンデモ野郎に勝てたなら……それでもう充分に示されるだろ?」
「やはり合理的ではない。だが、貴様なりの理を通した結果がそれならば、我は否定をしない。我もまた、貴様と同様に。貴様を傅かせることで、我が天主の威を示そう」
そう言い放った直後。
空間を無とした瞬間、神具の眼には血の軌跡だけが映った。それが伸びていく方向へ腕を振るうことで神力を解放する。そこ一帯を薙ぎ払うように駆け抜ける空間支配の力。それよりも速く駆けた少女は回り込み、跳び上がり、超速の背足蹴りを神具の延髄へとぶつける。
が、その足を掴まれていることに気付いた瞬間にぶんと振るわれ――権能の重圧と共に思い切り地面へ叩き付けられる。めぎり、と身体を押さえつけながら捕らえた片脚を裂こうとしてくる少年。彼の一切の容赦を知らない攻撃に、ナインは思わず慄く……ことはなくむしろ、
昂った。
「!」
ズドォン!! と爆発。
少女が地面を殴りつけたことで生じた爆風は神具の体を押し流し、支配から少女を自由の身にさせた。
無茶な力をかけられて傷んだ脚もなんのその、一瞬で体勢を反転させて少女は捻り蹴りで逆さまのままソバットを行なうという常人には体勢の真似だけでも再現不可能な動きで、それ以上に再現不可能な絶大な威力をそこに打ち付ける。
「がぐっ――ッ、」
神具は足元の瓦礫を巻き込みながら大きく吹き飛ばされる。だが、それでも倒れはしない。ガリガリガリッ! と地を削って勢いを殺し、なおも彼はそこに立ち続ける。
「はっ……そいつは神具としての矜持なのか? 絶対に地面に転がらねえってのはよ」
「然り――否、非だ。そこまで気取ったものではない。偏にこれは、我の単なる意地というものだ」
「意地……そりゃあまた、随分と人間臭い言葉に聞こえるが」
「それこそ然り。我は所持者に『不屈』を約束した。言ったはずだ、盟約はまだ生きていると――彼女が死してもなお我がこの約束を破ることはない。これは『神』に誓って、嘘ではない」
「……そんなに大切かよ。初代の女王との約束が、『神具』にとっては」
「是だ。付け加えるなら大切などというものではない。これこそが我にとっての存在理由だ。ナイン、貴様なら理解できるだろう。己が正義を為すことのみが生きる道である貴様なら――貴様が意志によって永らえる怪物なら」
「ああ、分かるとも。きっと誰よりもお前を、今の俺こそが正しく見ることができる……でもな」
「言わずとも、よい。我もこれ以上口を挟むつもりはない。論ずるは、痛みに同じ。ならば痛むるを我らが主上の命題とせんために」
「いいぜ。俺だって後悔だけはしたくねえし――」
――させたくもねえからな。
神力の鳴動。
肉体よりも先んじて感覚でそれを受けた少女は、実際に攻撃を食らうよりも一足先に素早く跳ねた――。
その肌でもうひとつ。
この戦いに確かな決着の時が迫ってきていることを、感じ取りながら。




