509 vsカマル・アル
亜人都市クトコステン。それはつい先月に起きた『交流儀大規模テロ』の被害が色濃く残る街。しかしてその悲劇を機に種族の垣根を越え、ようやく都市体制がこれまでの閉鎖状態から脱却しようとしている最中でもある、様々な意味での復興の只中において。
街が立ち直ろうとしているところへ、容赦なくトドメを刺すべく向かっているのが神具の一体だった。
彼には悪意も慈悲もない。ただ淡々と神具としてのすべきことをするだけなのだから、そこに人間のような感情めいたものを差し込むような理由などなく、故に住民たちの如何な善行悪行を問わず、力場に住み着いている者ならばのべつ幕なしに滅ぼすのみである。
「――む」
パチン、と。
クトコステンも目前となったその時、不意に小さな青い稲妻が視界の端で瞬いた。テレズマ。それが起きたということは即ち、雷の本体が間もなくそこに落ちるということ。そして神具の眼はそれが決してただの自然現象ではないことを見抜いていた。
そも、天気は晴天。
雲は白く小さく、千々に散見される程度。
天候に妙があれどこの空模様で、ここまで大きな落雷などあるはずもない。
「――にゃはは」
果たしてピシャン! と鞭を打つような雷鳴と共に出現したのは、一人の猫人であった。獣人種は人より成長が早く、年若いようでいてもその実とっくに成人しているような者も多いのだが……どうやらこの猫人少女においては、少なくとも獣人換算でもまだ子供の範疇にいるようだった。
「どーも。私はカマル・アルだにゃ。よろしくね、七聖具!」
「猫人が我になんの用だ。……と、聞くのも馬鹿らしいな」
「そうだにゃ。だって私は、お前が何をするためにクトコステンを目指しているのか教えてもらっているから。……最初は半信半疑だったけど、信じてよかったにゃ」
「『教えてもらった』。そして『信じた』、か。やはり奴らは我よりも……ふん。人間はいつの世も食えんものだ」
「にゃっは、只人は頭が回るから油断しちゃいけないにゃ――でも今回はそれに助けられた」
「まだ助かっては、いまい。そして都市が助かることも、決してない」
「そんなことはないにゃ。だって私が、お前を止める。街を守って、ナインの助けにもなる。早速この力を使うような敵に出会うとは思ってもみなかったけど、考えてみると丁度いいにゃ。これを以って少しでも恩を返そうってね!」
「貴様も理由は感傷か。否定まではしないが……下らんことだ」
「あ、前の私と同じこと言ってる。にゃはは。言うだけ言ってろ――『偉雷門』!」
バリバリバリバリィッ!!
ガラスを数千枚という単位で一斉に叩き割るような強烈な撃音。それがこの一瞬で生み出された雷群より発生したものであることに、神具は「ほう」と感心を見せた。
「『万雷』!」
殺到する一万の白き雷。回避も防御も通常なら絶対不可の圧倒的殺意を前に、少年は。
「――」
す、と正面に手を翳すだけ。呆気なさすぎるレスポンス。それでどうやって対処するつもりなのかとカマルが注視すれば――そこには彼女にとって信じ難い光景が広がった。
「にゃ……!?」
万の雷が、逸れていく。
ひとつ残らずまるで神具を避けるかのようにその進路を変えて明後日の方向へ曲げ、そして意味もなく落ちていく。
平野に一面の焦げ跡を生むに留まった己の術――そこに起きた干渉の感触に、カマルはたらりと冷や汗を流した。
「まさかこいつ――空気を、曲げたにゃ……?」
神具のやったことは単純だ――雷の通り道を作ってやっただけのこと。
雷とは人からすれば回避しようのない激しく恐ろしいものだが、それと同時にひどく繊細なものでもある。どれだけ強大な雷でも地上へ落ちる際には僅かな風や空気の流れといった気流によって大きく影響を受け、容易く進行方向が折れ曲がる。無論、カマルの生み出す雷は術式によって制御されているものだが、元来の性質までもが変わるわけではない。如何に術師が制御しているとはいえ空間へこれ見よがしに誘導体の如くに気流の道を生み出されてしまっては――しかも神力によってそれが操作されてしまっては。
雷門の申し子カマル・アルとて、明確な不利は避けられない。
「人の身には過ぎた力だ。――とはいえそれも、我に通じることはないが」
「にゃうっ……!」
カマルは突如、見えない壁に四方を囲まれたように息苦しくなってしまう。ぎちぎち、と身体を締め上げてくるこの力は……間違いない、雷を逸らしたのと同じ能力が自分を掴んでいる!
「にゃ――『雷神モード』!」
そうと理解したからには、じっとしてなどいられない。雷光によって全身を輝かせた少女は、みるみるとその肉体を変化させた。
「なんだと……?」
上背が増し、四肢は太く逞しく、顔付きも遥かに獰猛に。
更には全身から青々とした雷の残光を放ちながら。
元が子猫のような愛らしさを持つ少女だったのが、あっという間に化け猫も同然の姿を取ったこと。
これにはさしもの神具も大きく目を見開いた。
「それは……なんだ。貴様は猫人ではなかったのか――いや、この眼は確かに」
猫人という種族にはあり得ぬはずの、変態能力。
これが竜人であれば『竜化』という戦闘形態に変身したのだと納得することもできるが――そんなものを持つはずもない、獣人種としては一般的に脆弱な部類に入るはずの猫人が、何故このような。
「……突然変異にしても異様だが。まあ、いい。背が増そうが雷を纏おうが、我の手よりは逃れられ――」
「ちょっと待てにゃ! ここからが私の真骨頂――『真雷化』! にゃ、があああぅ!」
「――なに」
雷を纏う、ではなく。
雷と化す。
完全雷化を果たした少女の腕が振るわれ、突き破る。
生身でも、たとえ雷の肉体だろうと脱出不能であるはずの空間の檻より――カマルが解放された。
想定外の出力に意表を突かれた神具へ、一筋の閃光と化した少女は。
「猫式八艘――『日進』!」
「ぐ、」
すれ違いざまに爪掌打を一発。傷こそ与えられはしなかったが、確かなヒットを神具より奪った。
「……なんとも、速いな。障壁の展開が間に合わんとは」
「こんなもんじゃあないにゃあ――私の速さは、これからだっ!」
神具の周辺を跳び回る。少女の言う通り、虚空を一蹴りするごとにその速さは増していくようだった。超雷速。雷を超えた生ける雷となっている今のカマルに追いつける者などそうはいない――それは事実だが、しかし。
「――ふん」
たとえ雷速を超えようとも、ただ速いだけであれば神具の眼は見逃さない。彼はしっかりとカマルの挙動を捉えていた。機を窺いながら縦横無尽に移動を重ね、そして満を持して向かってこようとする猫人へ。
「我が手に及ぶは、あるもの全て」
「っ……!」
そのタイミングへと合わせた、権能の発動。少年の体より放射状に広がる空震が体を通り過ぎたとき、超雷速は完全に静止した。
空間ごと止められたのだとカマルが察した次の瞬間。
「!」
「震撼せよ」
距離を――否、空間を詰める。
無動作で眼前にまで迫ってきていた神具の手が、そっとカマルへ添えられて。
大激震。
細胞レベルで与えられた超振動が、カマルの肉体を破壊すべく駆け巡る。生き物がこれを食らえば一秒と経たずに泡状となって死に至るという『万雷』にも劣らぬ殺意の塊のような攻撃法。それを直接食らってしまったカマルだったが。
「が……っ、にゃあっ!」
「おっと――」
口から多量の血を吐き出しながらも、しかしすぐに動き出して反撃を繰り出した。「ふむ」と爪の一振りを軽やかに躱した神具は、例の無機質な眼で猫人の損傷具合を確かめていた。
「完全雷化。やはり物理的な破壊力ではあまり用をなさないか」
「……、」
神具の言葉にカマルは閉口する――本来『真雷化』発動中の彼女は槍で貫かれたとてダメージを受けることはない。かの『破壊』の力を宿す七聖具がひとつ『聖槍』に刺されても大して痛みなど感じなかったぐらいなのだ。雷門の麒麟児が行う完全雷化がどれほど優れたものであるかは今更説明するまでもないだろう。
――それがたったの一撃で、吐血を許すほどに傷付けられたこと。
このことは偏に、それだけ神具の能力が超越的で、途轍もなく凄まじいものであることを意味している。
「――にゃは。それがどうしたにゃ。七聖具が不思議なパワーを持ってることなんて、元から承知の上。その元締めと戦うんだから、こんなことは想定内でしかない。素手で私を殴ってきたナインと比べればまだまだ温情だにゃ!」
「…………」
無表情に眺めるだけの神具へ、ぐいっと口元の血を拭ったカマルは好戦的な姿勢を崩さずに言った。
「ちょっとは体も温まってきたし! ここからが私とお前の勝負にゃ、七聖具!」
「七聖具ではなく――神具、と呼べ。猫人よ」
「わかった。じゃあそっちも、私のことはカマル・アルと呼ぶがいいにゃあ!」
――究極の雷術たる『神雷』と、神具の絶大なる神力とが正面から火花を散らせた。




