幕間 教えてリュウシィ先生! 魔法ってなあに?
「魔法について、だって?」
リュウシィの言葉に頷きを返したナインは「正確には」と補足を加えた。
「魔法っていうのがいったいどういうものなのかを聞きたい」
「どういうものって……それは学術的な意味じゃなく、もっと一般的で基礎的な知識について訊ねているんだという認識でいいのかな?」
「そうそう。俺、本当に常識からして知らないんだよ。だからここらでリュウシィに、魔法ってものについてご教授してもらいたくってさ」
「教授できるほど私も詳しいわけじゃあないんだけど……まあ一般的なことでいいなら説明くらいはできるよ。休憩中の間でいいならいくらでも答えようじゃないか。さて、ナインは何が知りたいのさ?」
「まず、魔法ってのは何を指す言葉なんだ?」
「うん? なんでそんなことを疑問に思うんだい」
怪訝そうにするリュウシィに、ナインは自身の経験を照らし合わせて謎に思ったことをそのまま伝えることにした。
「例えば俺は魔法を使う人間と戦ったことがある。どこからともなく水やら光の矢を出現させていたあれは紛れもなく魔法だと思う。あんなこと普通じゃできっこないからな。超常なしでは再現不可能な不思議な出来事だ……でも、不思議な出来事というならモンスターだって同じようなことができるよな?」
「モンスターが?」
「ああ。森で出会った思い出したくもない昆虫型のモンスターの中には、酸性の液を吐く奴やもの凄い勢いで糸を吐き出す奴もいた。リザードマンは遠く離れていても臭気を嗅ぎ分けられるし、クータは元鳥だけどその頃から火を吹けた。疑問なのはこういうのは魔法に分類されるのかどうかってことだ。昆虫モンスターのやることは生来の特技と言えるだろうし、リザードマンだって単に鼻が利くだけとも言える……」
ははあ、とリュウシィは得心がいったように手を打った。
「そうか、つまりあんたはどこからどこまでが魔法と呼んでいいものかってことが気にかかっているんだね?」
「まさにその通りだ。不思議なものと一括りにするだけじゃよく分からなくてな。思い違いをしているようなら正してほしくて」
これは魔法というものが当たり前に知れ渡っている世界で生きていくには必須の知識だろう。知らなくてもどうとでもなるかもしれないが、常識を身に着けておくのはいざという時に現地人と齟齬が発生することがないという意味では重要なポイントにもなり得る。そう思ったからこそナインはリュウシィに質問をしているのだ。
「んー。別に間違っちゃいないけどねえ、ナインの考え方は」
「え、そうなのか」
「不思議なことを魔法と呼ぶのは正しいよ。ただし定義を言うなら、魔法というのは文字通りに魔の法――人間が使う『体系化された不思議』ということになるね」
「人間が使う……ということはモンスターが魔法らしきものを使っても、それは魔法とは呼べないのか?」
「ところが学者ならともかく大方の人間は、それこそ一括りに魔法と呼んじゃっているんだよね」
「ええ……」
ナインは困惑する。ちょっと話がややこしいことになってきている。
「それじゃ定義が崩れてるじゃないか」
「そうなんだけどさ。でも別にそう呼んで誰が困るわけでもないしねえ。むしろそう呼ばないと不便なくらいだよ」
からからと笑うリュウシィに、ナインは難しい顔をする。
これは異世界独特の感覚であり、余所者である自分には諒解しがたいものだと悟ったのである。
「モンスター……魔物や魔獣は人間のように学ばなくても生まれつき『不思議なこと』を起こせるのが大半だからね。人間が意図的に起こすそれを魔法と呼称して、いつしかそれが人間以外のものにも使われるようになった――流れとしてはそんな感じかな? 魔法が一般化されていない、つまりは浸透していなかった大昔は、魔術って呼び方をしていたんだよ」
「なるほど……人は学ばないと超常の力を得られない」
逆に言えば魔力さえ所持していて、学べる環境にあれば、人は誰しもが魔法を使えるということである。無論その効力は才能の有無に左右されるのだろうが……。
「勿論人間の中にも例外はいるけど、普通はなんの力も持たないものだ。危険な技を持つ虫や屈強で鼻のいいリザードマンに逆立ちしたって勝てない。そういう種族的な特性の差を埋めるためにも、人間は必死で魔力について研究を重ねてきたってわけさ。単に体を鍛えて武術を学ぶだけより、魔法で肉体を強化すればより効果的だし、そもそも魔法で火力は出せるしね。戦うために研究されたのだから魔法の大半は戦闘用のものだ。ただ、それが見直されてからは生活に根差した便利な魔法も随分と増えてきたように思うね。魔法は世につれ、世は魔法につれと言ったところかな。まあ根本的に魔力の有無ありきの話になるけどさ」
ふうむ、とナインは興味深い気持ちで聞く。
そうなると魔法のある世界、という認識よりも魔力のある世界、と言ったほうが正しそうだ。
ナインにはこの魔力についてもとんと理解がなかったがそこにまで突っ込むと話が脱線することは間違いないので、我慢する。
「ちなみに、リュウシィのそのパワーは魔法なのか?」
「ん、私? 私のは種族特性って言うのかな。特別なことをしているんじゃなくて単純に力の強い種族ってことだね。……まあ人間からすればこの怪力も魔法の一種になるかもしれないけどね」
「そうか……」
薄々感じていたことではあったが、今はっきりした。リュウシィはやはり人間ではないようだ。見た目は十代半ばの少女にしか見えないが、この言い方からするとただの人とはかけ離れた生物であるらしい。
……リュウシィからすれば他の誰でもないナインからだけは、そう言われたくないだろうけれど。
「それでさ、魔法で一番気になっていることなんだけど」
「なんだい」
「死んだ人を生き返らせる魔法――ってのもあるのかな」
「……どうしてそんなことが気になるんだ?」
「え」
急に声音を低いものに変えて、先ほどまでの世間話をしていたような態度を消し去ったリュウシィにナインは困惑の声を返した。いきなりシリアスになられてもついていけない。
「いやだって、それがやっぱり一番の奇跡っていうか……魔法ならひょっとしてって思うだろ? 誰だってそうじゃないのか?」
「……そうだねえ。誰だって奇跡を望むよね」
「で、あるのかないのか」
「ないよ」
にべもなく切って捨てられ、ナインは目を点にする。
「あ、ない」
「とも言えるし、あるとも言える」
「どっちだよ」
「それこそ伝説上の代物だよ、死者の蘇生なんてね……私もそんなものにお目にかかったことはないし、仮にそれを可能とする者がいたとしても、それが世に出ることはないだろうね」
「なんでだよ? 絶対に引く手あまただろうに」
生き返らせ屋なんてやったら一生食いっぱぐれはしないな、なんて軽薄なことを思っていたナインはリュウシィから冷めた目でじろりと見られる。
「引く手あまただからこそ、だろうに。死者を甦らさせることができるとなれば、世界中からその身を狙われるに決まってる。ある意味世界を敵に回すようなものだ。妙な組織に囲い込まれて自分の人生なんかなくなるのがオチだろうさ」
「あ、なるほど……それもそうか」
有用すぎる力は必ずしも本人にとって良い結果だけを与えるとは限らない。それが死者蘇生の能力ともなれば身に降りかかる危険は計り知れないだろう。自衛手段があるならまだしもそうでないなら……とそのことにまで考えが及ばなかったナインは少し顔を赤くする。金儲けのことしか浮かばなかった自分が恥ずかしかったのだ。
「だいたい、死者を呼び起こしてどうするっていうんだ」
「どうするとかじゃなくて……大切な人を生き返らせたくなるのは当然じゃないか」
「それはそうさ。だけど考えてもごらんよ、世界中の人間がそれを望めば、そしてそれが叶ってしまったら、どうなる?」
「……それは」
「安易に死が覆るような世界なんて地獄と変わらないよ。大切な人というが、例えば私たちが始末する悪人たちだって誰かからすれば掛け替えのない人物であることだろう。そしてその誰かからすれば私らだって悪人に違いない。さてこんな世の中でいったいどこまでを生き返らせる対象にする? 制限なんてかけられないよ、皆自分の大切な人だけは生きていてほしいに決まっているんだから」
「……そりゃそうだな」
ナインは同意する。
死人が生き返る世界というのはとんでもない混沌の坩堝であると。
「私はまだ子供だけど、人間からすればそれなりに長い時を生きてきた。その中で耐え難い別れというのも何度か味わってきている……叶うならもう一度会いたいし、生きていてほしい。そういう願いはあるさ、でもね……それでも私は、命には限りがあるべきだと思っているよ。だからこそ生きようとする意思が尊いものになるとね」
それはあたかもリュウシィにとっての信念や信条であるかのようだった。
彼女はきっと本気でそう思っている。
永遠の別れも、そしてそれを悲しむ気持ちも、それでも死者とは決別すべきだという思想も、そのすべてが偽らざる本心であることだろう。
そしてそんな彼女だから――
「だから私は、悪を許せないのさ。たったひとつの命、たった一度っきりの人生を我が物顔で汚す奴らが心底嫌いなんだよ」
そう言ってリュウシィが下を見る。
そこにあったのは、床に転がるいくつかの死体。
勿論街の治安を脅かしていた悪人たちである。
「……アウロネから連絡だ。あっちも制圧が終わったらしい。さ、私たちも休憩を終えて――次の悪をぶっ殺しに行こうか。潰して、調べ終えたら、ここは全部吹っ飛ばすからね」
「あ、ああ……」
壮絶な笑みを浮かべながら部屋を出て行くリュウシィの背中に、ナインは猛り狂う竜の姿を見た気がした。