506 vsクシャ・コウカ
「ち……やっぱりこの程度じゃあ、効きやしないか。わかっちゃいたけど腹立たしいな」
竜皇砲によって一面を消し飛ばされ焦土も同然と化した剥き出しの山肌。しかしてそんな惨状にありながらも、ごく一部においては被害を免れた場所もあった。
「――ふむ」
そこは当然、かの神具が佇む位置であった。足元の大地と同じくまったくの無傷でいる少年は、何かを確かめるようにひとつ頷いて。
「歪だが強い。上位個体か。……しかし、弱い。実力よりもまず格が足りていない。まったくもって不足している――舞台に立つには、未だ遠く及ばない」
「なんの話かな」
「定められた役を逸脱したところで、役者は舞台から落ちるだけ。……否、落とされるだけ、か。どこまでいっても貴様では、特異点足り得ないのだからな」
ふ、と。
目の前にいたはずの神具が消えた。
「――!」
油断なく敵を見据え身構えていたのに、動き出しを見逃した。そのことに目を見開きながらもリュウシィは即座に対応する。勘を頼りに自身の横手へと翼を強かに叩き付けた――そこにはやはり、いつの間にか距離を詰めていた神具がいた。
いやそれは、距離を詰めたというよりも。
まるで距離そのものをなかったことにしたかのような――。
「!」
確かに生じた違和感。その謎を解明する間もなく、翼を受け止めている神具の手に尋常ではない力が集まった。神力。空間を自在に曲げ伸ばしする彼の権能が輝き、そして。
一瞬にしてリュウシィの片翼が引き千切られた。
「ぐぅっ――カァ!」
だが、翼が捥がれたのは何も神具の力によるものだけではない。掴まれたと認識した瞬間にリュウシィは翼を捨てることを決意したのだ。敵に奪われたというよりも自らの意思で千切ったのだと言ってもいい。その即断によって一部位の犠牲だけで神具の魔の手より逃れた竜人少女は、旋風の如く素早く身を翻して。
「『龍撃拳』!」
「七重障壁」
放たれた絶拳。を、神具の障壁が防いだ。びきりと多層壁の一層目へ罅を入れるに留まったリュウシィに、神具が何か言おうと口を開きかけて――それよりも先に。
「『王龍撃拳』!!」
「――、」
続けざまに振るわれた一発が罅割れた一層を難なく粉々にして破壊。それだけに留まらず、残る六層の壁をまとめて打ち破って神具の体にまで突き進んだ。
確かに届いた、竜人の拳。
――だがしかし。
「……貴様の評を『最上位固体』と訂正しよう。だが、それでもまだ、まるで足りていないがな」
「嫌になるね、まったく……これでも効かないのなら。――もう数千発くらいは殴られてもらおうかな!」
牙と殺意を剥き出しにした荒々しい相貌でリュウシィは、それとは対照的に涼やかな表情を崩さずにいる麗しき美貌の少年へ打ち掛かっていった。
◇◇◇
「やーれやれ、うっかりと寝過ごすところだ。中途半端に待たされるのはどうも性に合わなんだ――否さ単に、他人から指図されることが己には我慢ならんというだけなのかもしれんが。……とまれ、こうして間に合ったのだからまあ良しとしよう」
リブレライト近郊での防衛戦。それと似たような光景が、エルトナーゼ近郊でも繰り広げられていた。
到着目前の神具を尻尾で遥か遠くにまで打ち返したのは一人の猿人。
――元森羅拳聖にして九代目武闘王クシャ・コウカ。
亜人にして武人にして仙人である戦闘狂が、大都市を守るべくして神具に立ちはだかっていた。
大した気負いもないように己が前に立ち塞がる彼女を見て、神具は。
「また『邪魔』か。……猿人にしては、随分と長く生きているようだが」
「うん? 判るのか、流石は神具だな。確かに生まれた年から言えば己はとんだ年寄りもいいところだろう。しかし生憎と、途中の百年ばかしをすっ飛ばされたせいで正確な年頃は自分でもよくわからんのだがな――はっはっは!」
大口を開けて、呵々大笑。
とても楽しそうにしながら、しかしクシャは。
「だがそんなことはどうでもいい。何年生きたかではなく、どう生きたかこそが己にとっての全て。別段、大都市を守る義理もないんだがな……けれどこの国には長く世話にもなっている。そして何より最も新しい戦友の助けになれるという。ならばこうすることに、なんら迷いなどない」
隠し切れない闘志を、隠すつもりもない闘気を全身に漲らせて。
意気軒昂と攻めの構えを取った。
「――嘘をつくな。貴様は自分の欲のために我へ挑もうとしている。その他の理由など、些末。どうだっていいのだろう」
「おおう、見事にバレたな! 言っておくが友人を想う気持ちに嘘などないとも。しかし折角巡り合わせた機会なんだ、これを楽しまない手はないだろうよ。手前だってそうだろう。なんの障害もなく目的を達せたところで楽しみなどあるまい?」
「元より楽しむつもりなど、ありはしない。邪魔があろうと、なかろうと。我はただ我が本懐を為すのみ」
「なんだそうか、つまらんな。手前とは話が合いそうにもない」
――じゃあ、始めるか。
そう口にしたクシャが虚空に躍る。遊ぶような挙動と表情で、しかしその実恐るべき破壊力を伴って彼女の脚が空を裂いた。
飛び足刀。本物の刀剣を遥かに超える切れ味を持ったそれが、目標に命中しなかった。躱された、と認識した瞬間クシャは「そこ」を見もせずに己が腕を突き出した。
「!」
死角へ移動した途端に首根っこを掴まれた神具は、猿人少女の六感と動きの鋭さに驚かされる。感覚だけを頼りに大雑把にでも翼を打ち込んだリュウシィもそれが間に合うだけ並ならず卓越していたが、しかしこうも正確に居場所と急所を捉えられる彼女の闘技者としての勘というものは、もはや軽く人知を超えていると言っても過言ではない。
――とはいえ少年は神具である。
初めから人知に許された範疇など一顧だにしない正真正銘の神域の存在。
急所は急所足り得ず、人の手に押さえられたところで人の手で抑えられるような軟弱さなど持ち合わせてはいないのだ。
「む、こいつは……」
掴んだ喉をそのまま捻り潰そうとしたクシャは自身の意思とは裏腹に、握ろうした指が逆にググッと広がって――そして仲良く五本ともにべっきりと反対側に折れ曲がったことで。
ニヤリと笑った。
たったこれだけでも彼女には敵の力がどういったものなのか、なんとなく想像がついたようで。
「これはいい……神やその膝元に座す本物とはやはり、強力な能力を有しているものだな」
「余裕だな、猿人。果実の皮を剥くように、貴様の指を全て剥いてやってもいいが」
「いや何、それには及ばんとも」
痛みになど気をやらず――全身に『気』を纏う。
折れた骨もなんのその、自前の握力と腕を包み込む気の力でクシャは強引に神具の支配から逃れ、そしてそこに拳を形作った。
「この身を操るは常に、この己の意思だけよ」
――『剛螺貫拳』。
腕の内と外で二重螺旋を描く気功によって強化された殴打が神具の腹を打ち据えた。
「――ッ、」
無論神具は七重障壁を展開していたが、クシャの螺貫拳とはそういった壁や盾といった障害をぶち抜くことに特化したもの。
これがただの気功術であったならそれでも神具に通用する道理などなかっただろうが、されどここにいるのはクシャ・コウカ。
獣人種としては異端の強さを求める猿人という種族内でも一際熱心に一層執心に飽くなき修行と鍛錬へ傾倒する『秘望郷』の集団、そこにいる数多の強者をも差し置いて幼少より頂点の位についていた過去を持つ、まさに生まれながらの超戦士こそが彼女だ。
「はっはぁ!」
壁を破り、到達させ、振り抜く。
五指はぐしゃぐしゃのはずだがそうとは感じさせない堅固な拳で、クシャは確かに神具へ渾身の一撃をヒットさせた。
これにはさしもの神具も大きく押されて――しかしすぐにも踏みとどまって。
「……あえて、へし曲がったほうの手で殴ってきたか。貴様もまた狂人だな」
「褒め言葉にしか聞こえんなぁ。……それとも本当にそのつもりで言ったのか?」
「どちらでもない。我は事実を述べたに過ぎない。――だが、奇妙だな。僅かにだが我の眼を介しても見通せないものがある。特異点には及ばずとも因果の連なりが確かに貴様にもある……。珍しくはあるがしかし、それは稀少という言葉の域を出ない。それが何故こうも……」
「それはそうだろうな。己はその昔とある変わった桃を食っていてな。それ以来この身はただの肉体ではなくなったのよ。手前が読み切れんという理由もおそらくはそこにあるに違いない」
「なるほど。無謀にも神域へ手を届かせんとするだけでなく、既に貴様は――」
「応ともさ、何を隠そうこの己こそが『神殺し』よ。獣性神や神界の使い魔、果てには手前のような本当の意味での神の愚作もいくつか壊してきた経験がある。はっは、どれも今思い返しても実に心躍る素晴らしき闘争の記憶よな。その新たな記述として、今日という日も加わるわけだ」
「……分の弁え方をまったく知らん辺り、所詮は猿。貴様の無駄に連なった因果。我が手によってようやくの終止符が打たれると知れ」
「ほほう! それはまた楽しみなことだ――土門・『三重珍鉄玉鋼』!」
「十四重障壁」
示し合わせたように万全と言えるだけの守りを固めた猿人と神具が、しかし共に守勢ではなく攻勢に出ることを選んで。
目にも留まらぬ速度で動いた両者は激突し――。




