505 vsリュウシィ・ヴォルストガレフ
(誤字報告ありがとう)
脳が潰れるほどの衝撃を食らってナインが瓦礫の山に埋もれている頃――同じくクータたちが首都へと辿り着いた頃に、彼らは万理平定省跡地を覆うドームの天頂より姿を現した。
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
あらゆる者の侵入もそして脱出も阻むはずのそれは、唯一神具にとって言えばなんの影響もないただの空気も同然である。当然のように半透明の膜をすり抜けたまったく同一の恰好をしている五人の少年たち。彼らはひと塊となったまま一定の高度にまで達したかと思えば、それぞれ一言も言葉を交わすことなく天蓋の上で散って別の進路を取った。
空に示される不吉なる五方。
五体の神具の目指す場所が五大都市であることは言うまでもない。
そして、そこで何をするつもりでいるのかもまた。
神具は途方もない速度で移動を開始する。主の下へ急いだナインズの飛行速度には凄まじいものがあったが、神具の飛び方は優にそれを上回る機動力を見せている――いや、正確に言えば神具が行っているのは『飛行』ではないのだ。
七聖具に空を飛ぶ機能などない。それは力量に欠けた者が所持者となった場合の備えとして自律行動を可能とする『聖冠』が、防護膜の変形という手段によって地を駆けるための立派な脚を手に入れはしても、しかし流石に翼までは習得できず――ナインとの戦闘においても終始制空権を取ろうとはしなかったことからも明らかだろう。
他六つの聖具に関してもそれは同様であり、『聖典』に内臓された神造の人格である神具という存在が如何に聖具の全てを統べる権能を持とうとも、元から有していない力を得ることは叶わない。
ではいったい、彼はどうやって空を自在に移動しているのか。
答えは神具という道具の本質にこそあり、飛行という結果を得てはいてもその手段が飛行に準じる行為であるとは限らない……つまり彼は『飛びながらにして飛んでいない』のだ。
まるで認識論や禅問答の類いのように聞こえるかもしれないが、こう言い換えれば理解しやすいだろう――ナインに対して行っている力の使い方を、今の神具は『自身に適用させている』のだと。
要するにナインの腕を捥いだ空間支配の能力を、破壊ではなく移動に応用しているということ。
瓦礫を大量に浮かせたのも、ナインにではなく空間そのものに力を働かせて距離を取った芸当も、一様に飛行ではなく支配の作用であるからして――神具は現在それと同じものを、己にもそして己の周辺空間にも適用させている。
故の、この速度。飛ぶというよりも目的地と自身を近づけていると表現したほうがおそらくは的確だろう。
物理的な移動ではなく観念的な移動。
理を操る力を所有している超越者特有の圧倒的存在感によって他存在へ微々とは言えない影響を与えながら、神具の一体はあっという間に長距離を征すことでいざ目的地へ臨まんとしていた――神威。
神ならぬ神の道具たる彼が、しかし確かに放つそれは脅威の一言だ。不運にもそれを感じ取れる者が空を往く神具を偶然にも目にしてしまっていたのなら、彼ら彼女らは一人の例外もなくその場にへたり込んでいることだろう。神話に起源を持つ伝説と呼ぶに相応しいアイテム。それが本格的に起動するということは即ち、どんな不都合や大被害がそこに生じようとも否応なく人は屈服せざるを得ないということであり、だからこそ神具は隠すともなく神格としての己を剥き出しにしながら移動しているのだが……しかし。
彼の持つ圧倒的な気配は、常人にとっては問答無用なまでに崇拝と畏怖の対象であったとしても。
一部の非常人にとっては決してそうではなく。
その神威にこそ反応し、屈服とは真逆の選択をする者もいた――。
彼が圧倒的だからこそ、然るべき能力を備えてさえいれば先んじての『捕捉』が容易でもあった。
◇◇◇
「来たようだぞ、局長。正確な方角と速度を君に教える」
「どうもありがとう副局長。君にはいつも助けられてばかりだな」
「結構。それが一応は私の仕事なもので――礼など元から不要だ。そちらもそちらで仕事を果たせばいい。くれぐれもあんなものをこの街に近づけてくれるなよ」
「わかっているさ。何がなんでも退けよう。今回は最初から話が通じる相手じゃないと判明している分、気が楽でもあるくらいだよ」
「――死なば諸共なんていうつまらない策を、まさか勘定に入れてやしないだろうな?」
「さて、そいつはどうだろうね」
「冗談じゃないぞ。そんなことになっては君の懐刀がどんな暴挙に出るか知れたものではない……それに。私がトップになった暁には、君をただの戦力として使い潰すと決めてもいる。ここで死なれては困るよ」
「ふふ。いついかなる時であっても苛烈で優しいねえ、副局長は。おかげで安心して背中を任せられるってものだ。――これが座標だね? そろそろ迎撃に向かうよ。もしもの時は、決めた通りに。ま、なるべく死なないように頑張るつもりだけどさ」
「まったく、仕方のない人だ。……武運を祈りますよ、局長」
◇◇◇
「!」
リブレライト。
五大都市でも首都に次ぐほどの敷地面積と人口数を誇るその街を神具が視認した瞬間、それはやって来た。
上空より凄まじい速さで飛来した影。接近する只事ではない気配へ神具が目を向けた時にはもう、既に攻撃が開始されるところだった。
「悪いね。ここから先は通行禁止だよ」
言葉と共に、思い切り殴りつけられる。頭頂部を強かに打ち抜かれた神具が地上へ墜落する様を、異形と化した彼女は観察するように見ていた。
こめかみには角、背には大きな翼。口からは見るからに硬質な鋭い牙が覗く。
――リブレライト治安維持局が局長、リュウシィ・ヴォルストガレフ。その『竜化』した姿がそこにはあった。
「おっと、これはこれは……。いつかの誰かさんを思い出すような感触だな」
剣の血を払うような仕草で拳をひと振るいした少女は、ばさりと翼をはためかせて神具の落下地点にまで飛び、そこに着地する。彼女の目の前には地に落とされながらも倒れることなく、なんてことのないように両の足で立っている少年がいた。
「――やあ、七聖具。それとも神具と呼んだほうがいいかい? 有名物を歓迎したいところではあるが、君の目的は知っている。リブレライトに入れてやるつもりは、ないよ。回れ右をして帰ってくれるなら何もしないが……そうは問屋が卸さないんだろうな」
「貴様は、竜人か。随分と奇妙な育ち方をしているようだが」
「おや、話を聞かない道具だね。ただまぁご明察と言っておこうか――そうとも、私は竜人だ。種族で言うなら間違いなくそれだよ。と言っても、今はただの人間種として生きているつもりだけどね」
「その通り、アルフォディトは人間の国。リブレライトも人間の都市。何故竜人たる貴様が我の『邪魔』になる?」
「……それがそんなにおかしなことかな?」
表情を変えず、しかし瞳により強く戦意を顕すリュウシィ。凄む少女に、神具のほうは少しも調子を変えずに応じた。
「是だ、おかしい。道理に合わないと言ってもいい。戦場に立ち弱きを背にする誉れを解そうと、竜人種とはプライドの種族。他種族のおもりなどまかり間違っても担う者たちではないはずだが……。我が眠る数百年の間に変異でも起きたのか。――それともこの眼が示す通り、貴様という個体だけが異常なのか」
竜国はどうなっているのだ、と。
本当に興味があるのかどうかも判然としない、七色に光りながらもまったく色味のない目付きで問いかけてくる神具に、リュウシィは「ハッ」と笑った。
「よりによって私にそれを訊ねるか」
「ふむ……そうか。面白いじゃないか。つまりは『はぐれ』のようなものか。珍しいことだ。流れ、紛れ、そして人間に拾われ、絆されでもしたか竜人よ」
「だったとしたら、どうした? 竜人崩れ……それが人の都市を守ろうとして何が悪い。恩義に報いようとすることの、何がそんなに面白い」
「非だ。貴様の志すところに水差す謂れなどない。そして興味も、ない。しかし我が前に立ち塞がる行為の愚かさを知るべし。――これは忠告でもある。我が本体が望むは必要数の削減、今はただそれのみ。貴様が個として優秀なのは見て取れる……故に問おう。通行禁止の言葉を撤回するつもりは?」
「ない」
「なら死ね」
即、圧縮。返答からノータイムで空間ごと少女を圧し潰さんとした神具に対し。
「――ハァッ!!」
竜気の解放。普段は独自の戒術によって体外へ漏らさぬようにと完全に封じ込んでいるそれを、リュウシィは永らく使用してこなかった全力で以って周囲へと放った。
練り上げられた少女の竜種にのみ所持することを許された黄金に輝く気は、本来なら不可避不可逆であるはずの神具の空間支配の権能をなんと押し返しまでして――。
「竜でもなく、竜人でもなく、そして人でもなく! されどこの身は都市の守護者リュウシィ・ヴォルストガレフ! 神の道具だろうが神の遣いだろうが、たとえ神そのものだとしても! 父より託されたリブレライトへ、断じて手出しをさせるものかよ!」
竜皇砲。
以前竜人として同年代にあたる【崩山】ことガスパウロ・ドウロレンがナインを相手に披露した強力な技を、彼以上の強大さでリュウシィは撃ち出した。
竜人少女の口腔より放たれた竜気の砲撃を真正面から浴びて神具は――。
ガスパウロと同年代と言っても20歳くらいはリュウシィのほうが歳上です、たぶん




