504 これまでとこれから
「もう! なんなの、これ! これじゃあご主人様を助けにいけないよ!」
クータの苛立った声が響くそこは、首都の中心地――が封鎖されたすぐ傍だった。
元々は万理平定省の敷地だったその場所は今や濁った半透明の膜のようなもので完全に覆われ、クータたちが内部へ入ることを指先ひとつ分すらも許してはくれなかった。
「儂らの全力を容易く耐える防壁か。認めたくはないものだが――」
主様の下へは迎えそうにない。
と、ジャラザが言葉を紡ぐよりも先にもう一度クータの炎を纏った蹴りが膜の壁へ叩き付けられた。ガィン! と鈍い音。しかして壁は相も変わらず、びくとも揺らがずにいる。
「もう、もう、もう! なんで! クータはこんなとこにいちゃいけないのに!」
「――……」
リアクター出力の上限を取り払って全武装での一斉攻撃を限界まで試したクレイドールは今、スリープモードとなって――本当に眠っているわけではないが――空になったエネルギーの回復を図っているところだ。つまるところ現状だけを見れば彼女は何もしていない。スタミナに難があるジャラザも既に攻撃の手を止めている中、クータだけが玉のような汗を体中に浮かべながら未だに壁の破壊を試みていた。
ナインが消えた直後に全開飛行によって首都を目指した三人(+睡眠休養中の子悪魔)。あくまでも移動を陸路に拘るナインがいないので、存分に空路を活用できた彼女らのこの地への到着は早かった。元より首都にほど近い場所にまで歩を進めていたこともあって唯一飛行能力を持たないジャラザ(+睡眠休養中の小荷物)を抱えた状態でも、ごく僅かな時間で主の下へ馳せ参じることができた――のであればどれだけよかったことか。
場所はわかっている。
疑うまでもなくこのドームのような膜の中に主人はいる。
敵とともに閉じ込められて、たった一人で戦っている最中なのだ。
それがわかっていながら、これだけ近くにいながら、しかし傍には近寄れない。
悔しいどころの話ではない。ナインと繋がりを持つ三者には、たった今。主人が過去類を見ないほどに動揺し、心身ともに追い詰められていることが伝わってきている。そういった場面でこそ主人を助ける盾に、そして剣にならねばならないはずなのに――自分たちには何もできない。
こんなところで足踏みすること以外には、何ひとつ。
「くそ、クソ、クッソ――!」
身に着けたばかりの新技『劫炎』。……そんなものが使える体力もとうに尽き果て、気力だけでなけなしの火力を振り絞っている状態のクータ。ここまで攻め続けて微かな傷痕すらもついていない事実からしても、こんなことはただの無駄な悪足掻きに過ぎないと――そう確かに自覚していても、拳も脚も止まらない。止められない。
諦めてはならない。
主が戦っているのだから、どれほど絶望的であってもその応援に駆け付ける努力を放棄するわけにはいかないのだ。
ナインを救いたい一心で攻撃し続けるクータ――そしてその気持ちは残る二人も同様だった。
クレイドールは演算結果など度外視して、エネルギーの確保が済み次第再度のフルバーストを試みるつもりでいる。その横でフェゴールを預りながら肩で息をしているジャラザもまた、クータへ助力はせずともどうにかこの不可侵結界を侵す手段がないものかと目まぐるしいまでに頭を働かせていた。
三者三様の姿勢でとにかく主人を窮地より逃れさせようとしている彼女たちは。
「想像以上にお早いお着きでしたわね、皆様方」
「「「!」」」
聞こえたその声に、一斉に身構える。そこにいたのは女だ。見覚えのない顔――しかしその服装と声はハッキリと覚えている。
「ディトネイア、と言ったか。主様を連れ去った女よ……」
「ご記憶頂けて恐悦至極。ですが『連れ去った』という表現は遺憾ですわね。先ほども申しましたが私はこの内部におられる――」
くい、と顎を動かしてドームを示すディトネイア。令嬢然とした華美なドレス姿やその容姿にはとても似つかわしくない粗野な所作ではあるが、不思議と彼女にはそれを不釣り合いと思わせないような雰囲気があった。
「覚醒した七聖具に……いえ、『神具』様に申しつけられた遣いを自分なりに精一杯、果たしたに過ぎません。所謂ぱしりというやつですわ」
「ウソだったら、容赦しないよ」
常より遥かに小さく薄くなった、しかしそれでも確かな熱量を感じさせる炎を拳に揺らめかせながらクータが凄む。他の二人も無言のままにディトネイアを睨むが――彼女は臆する様子もなく、くすりと笑った。疲弊しているとはいえ卓越した実力を持つ戦士が揃いも揃って剣呑な目を向けてきているというのに、彼女は微塵のプレッシャーも感じていないようだった。
「ここで嘘をつく意味も意義もございませんでしょう? ナイン様へお伝えしたことは真実真実ですわ、ナインズの皆さま方。万理平定省が予知と七聖具の扱いを誤ったことも、そこに付け込むように私が『神具』へコンタクトを取ったことも。付け加えるなら私の行動は全て、心より首都と他の大都市、ひいてはこの国の未来を慮ってのものであるという点にもご理解を頂けるなら幸いですが――」
「クータはそんなことを言ってるんじゃない」
にべもなく。
そうとは思わせない朗々とした口振りで自己弁護を述べるディトネイアの台詞を刀剣もかくやというように切って捨て、クータは一際その視線を強めた。これにはディトネイアも少々意外そうに。
「あら……それではクータ様の仰りたいこととは、どういったなんなのでしょうか」
「お前が、ご主人様の敵かどうか。証明するのはそれだけでいい。それさえわかれば――」
――クータには十分なんだから、と。
「……なるほど」
得心いった、とディトネイアは頷く。そして彼女はナインズの面々、より正確に言うならクータへの評価を改めた。
公私問わずある程度はナインズというチームに関する知識を頭に入れている彼女だ。今の今まで、ナイン不在の場合にチームの指揮を執るのはおそらくジャラザ、次点でクレイドールだろうと考えていた。少なくともその候補に挙げられる順番としてクータは間違いなく最下位につけられるだろう、と。
しかしそうではなかった。
あるいは策を練ることや、論理的な思考を任せられるのが他のメンバーであったとしても。
リーダーたるナインが欠けたとき、その不足を補うのは他の誰でもなく――クータ。
この炎を操る赤髪の少女に他ならないことを、首ありのディトネイアは胸中で密かに認めた。
「そうですわね――クータ様の抱く懐疑の念はひどくごもっとも。お気持ちはよくわかります。客観的に見て私のような者に信用を置けるはずもないことは、私自身よく承知してもいます。しかし残念ながら確たる証拠を提示し、ナイン様を害する気がないことをここに証明するのは少々難しいかと。何せ私の内心を詳らかにお見せすることはできませんし、かと言ってどれだけ殊勝な態度を取ろうと真摯に言葉を尽くそうと、私の演技や舌先三寸を疑わないあなたたちではないでしょう? ですから――」
フォオウン、と間が抜けた出現音。
それはディトネイアの持ち上げた手の平の上に現れた、水色の板のようなものが奏でた音色だった。
「……それはなんの術だ?」
訝しむジャラザにディトネイアはあっさり「私ではなく友人の術ですわ」と打ち明けた。
「水晶魔法の応用のひとつ。まずはここに映る映像を元に、我が身の潔白を訴えると同時に……『これまで』と『これから』の話を、より具体的にいたしましょうか」
うふ、と女は微笑んだ――とても朗らかに、とても楽しそうに。
それはまるでわくわくを抑えきれない子供のような、途方もなく純粋な笑顔に見えた。




