503 どんなにそれが怖くても・転
「これは神ならぬ我の御許へ必要を寄り添わさんがための行為である。命に重きを置かずとも軽んじるつもりもない。秤はただ等々の価値を示すのみ。故に治世とは必要な犠牲を経ることによってのみ訪れ、またそれを保つために欲されるものも然り。目覚めた当初こそ膨れ上がったこの国には眉を顰めたくもなったが……手頃と言えば手頃。神具たる我が人間に手本を示してやるのも吝かではない」
「な――何を、言ってやがんだお前は」
「『定め』の話だ、ナイン。これも因果の業にして妙。貴様という存在あってこそ待とうという気にもなったが、しかし本来の順序を変えてしまったのも貴様だ。――理解が及ぶように言えば。我らはたった今から、アルフォディトの『主要地』たる五大都市の全てを滅ぼす」
「……!」
最初からいた一体――本体の神具の背後へ、精確に計ったような等間隔で整列する新しい五体の神具。
それらは全員が平等に美しく、平等に無機質で、そして平等に恐ろしかった。
「言うまでもなく人間の術にある分身の類いとは異なる。我が分体は皆一様に我だ。まったく同等の力を持つ――はずだったがな」
ちらりとナインの剥き出しの鎖骨、そこについた小さな穴のような傷を見て彼は続ける。
「未回収が与える影響か。一体少ない上に、僅かではあるが力や格も我に劣っているようだ。……なに、それも人間からすれば誤差のような違いだ。地脈を擁して土地に蓋する『邪魔』を排除するに、なんら不足などない。いずれは確実に起こること。それが今より起こるというだけ。実際のところどれだけの真理を背負おうとも、それぞれの因果の起因など大して重要ではないのだ。なるべくしてなる――なるべかずしてならず。どれだけの力を持とうとも、所詮は地上を空滑るひとつの駒なのだから」
す、と神具の視線がナインから外される。後ろから襲われることをまるで警戒していないかのように少女へ無防備な背中を晒しながら――向かい合うは己が分体、同じ顔をしている五人の少年たち。
それだけで次に神具がどんな台詞を口にするのか、ナインには察しがついた。
「や、やめろ――」
「行ってこい神具たちよ。再び『神具』の盟約に従い、時かけの護国を行うのだ」
「「「「「心得た、神具よ。アルフォディトに守護の導きを」」」」」
「っ……!」
当意即妙――以心伝心。
否、それはおそらく分裂魔法『ディビジョンアバター』よりも完璧な、群体にして個体の完全なる自己の分裂。元より彼らに意思疎通の必要などないのだろう。統制された返答は齟齬の発生する余地を一切感じさせない重なり揃えられたものだった。
数が増えようとも其は神具。国を守護する道具としての一個。元より七つのアイテムをひとつにすることで起動する特殊という言葉でもなお表現しきれないほどに特異な魔道具なのだ。だからきっと神具は、あえて。臍を噛むナインが見せる動揺を誘うために――それを観察するためにこれ見よがしに指令を下すシーンを作ったのだ。
ナインは頭のどこかで、おそらくは考えるともなくこのことを理解していた。
意地も気味も悪い美しき少年が、こちらへ執拗なまでに無力感を与えようとしていること。
ここで彼の想定通りの行動を取る行為がどんな結果を招くか、分からない少女ではなかったが。
しかし「都市を滅ぼす」などと言われては。
こんなにも出鱈目な力を持つ神具が、五大都市の全てに襲来するのだと宣われては。
五人の神具がこちらに見向きもせず、それぞれが別の方角を見据えるのを目の前にしては――ナインに許された選択肢はそれしかなかった。
「そうは――させるかぁっ!」
飛び出す。左腕に可能な限りの力を込めて、今にも飛び立とうとしている神具へぶつけるために。
一対一でもこれだけボロボロなのだ。全身に数え切れないほど負っている怪我は言わずもがな、特に深刻なのが右腕の欠損と腹部を貫く大穴だろう。自ら鎖骨の内側まで穿った傷痕を勘定に入れずともここまで凄惨な姿にされているナインである。これで六対一の状況に持ち込まれては、いったいどうなってしまうというのか。
まだしも勝機を掴む努力をするのなら、ここは分体など放っておくべき。
五大都市のことなど見過ごしておくべきなのだ。
増えた戦力を自分に向けてこないことを幸運と喜び、都市が滅ぼされるまでの時間を有効活用してこの厳しい戦いにどうにか光明を見出す――それこそが最適な解答。
だが。
リブレライト。
エルトナーゼ。
スフォニウス。
アムアシナム。
クトコステン。
各地の思い出を今一度紐解けば。
それらの戦いはやはり辛く、苦しく、傷付けられてばかりだったようにも思えるが――それでも懸命に戦い、守りたいものを守ってきた記憶が、その時に抱いた想いとそこに残してきた希望が、確かに胸の内にはあるから。
見過ごせるはずが、ないのだ。
たとえどれだけの苦境に立たされることになろうとも。
だからナインにはこうするしかなく――。
――神具は思った通りであると頷いた。
「そうするとも、ナイン。これは神具の決定なのだ」
横手を駆け抜けていく怪物少女。突風よりも突風めいた驚異的な速度の突進へ難なく照準を合わせ、神具は腕を振り抜く。
神力。
超常の頂点たる神が注ぎしその力を――欠片の容赦もなくそこへ打ち込む。
「ガッ……!!」
「我から意識を逸らすとは、なんとも豪胆。そんな真似が叶うほど貴様は強いか?」
ぐしゃり、と。
脳が揺れる、どころか潰されたような感覚。
それほどまでに激しい衝撃を頭部に食らってナインは吹っ飛んだ。
放り投げられた手乗り人形のような、何かしらの冗談にも見える勢いでうず高く積もった瓦礫の山に頭から激突する。「っ……、」ガラガラと崩れ始めたその中からどうにか這い出ようとする少女だが、その時にはもう手遅れだった。
五人の神具たちは既に飛び立ち、五大都市を目指して出発してしまっていた。
「分体は往った。間を置かず主要地はひとつ残らず落ちるだろう。都市を発展させることで地脈の結界を強固にする当代の防護陣も、我が居るのだからこれにて用済みだ。……一旦。発展を更地に、繁栄を後置に。贅肉を削るように国としての余分を排し、完成された新にして真なりし――我の護るべき『アルフォディト』を錬成し直す」
「その、ために……何百万と殺すのか! 護国を本懐と言ってのけるてめえが、よりにもよってそんなことを、躊躇いもなくやっちまうってのか!?」
「既に言った通り。貴様の思う国と我の護る国はまったく違う。故に、我らに相互理解はあり得ぬ。どこまでも平行線――あるいはそれも基理の提示の一環か。やはり真理の収束はこの場での決着を促している……そしてそれは我にとっても大いに望むこと」
「てめえだけじゃ、ねえ……! そいつは俺にとっても!」
「望むところだと言いたいか。しかしだ、来訪者」
足の下にある山を蹴散らすようにして飛びかかってくる少女を、するりと躱して。
またしても彼女の頭部へ手を向けながら神具は。
「数多の因果。時代と次代の真理を背負うには、貴様は些か惰弱すぎるようだが」
放たれる神力。術式を介さずに空間を直接支配する神具の人知を超越した一撃が少女を捉え――ることはなかった。
「ふぅっ……!」
「!」
野生の獣を彷彿とさせる身のこなしで。
そして獣をも超える反射と速度で、ナインは異様なまでに素早い身の捻りを見せた。
神具の攻撃と同時に――いやそれより刹那だけ早くに身体を翻した彼女は、一寸の差で支配の権能に囚われるのを回避し、かつ自身の勢いを殺すことなく。
「があぁっ!!」
激突。拳を構え直す時間すらも惜しいと「体当たり」などという幼稚な攻め方をしたナインだったが、しかして怪物少女の身体能力で繰り出されるそれは技巧を凝らした技の数々よりもよほど効果的に相手を追い詰める代物であり。
数日前の戦闘で、ただ掠っただけでも呆気なく腕部を消失させたヤハウェが証明するように、ナインの全速力とは単にそれだけでも恐るべき攻撃方法となる。
――だというのに。
「……異なことだ」
「っ……、」
依然神力は、少しも揺るがずに。
相も変わらずの無表情のまま七色の瞳で少女を見下ろす少年だった。
「学ばないな、ナイン。我が絶対の十四重障壁は貴様と貴様の意志を決して通さない。たとえどれだけ果敢に、あるいは野蛮に。貴様が精の限りを尽くして我に縋りついたとて。――それもまた全てが無駄なこと」
決まっているのだ、初めから。
と、神具は言った。
「がっはぁっ?!」
頭上より打ち下ろされる神力。巨大な手に押しつぶされるようにしてナインはそこへ沈み込む。神具へ手を伸ばすことも叶わず強制的にに地に伏させられた少女は、メキメキと己が肉体の上げる悲鳴を聞きながら。
ナインとなって以来初めての、真の絶望というものにじわじわと胸中を染めあげられながら――。
「っ、――?」
ふとその耳に、別の何かが届いた気がした。




