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500 掌上

本編500話目やー

ハヤイ!


 空の中を駆ける。宙に浮いた瓦礫を足場に少女はひた走る――自分を圧し潰さんと飛来する大量の瓦礫から逃げるために。


 飛行を封じられた彼女には足しか頼りがない。こうも不安定な足場において、脚力のみで周囲を囲う超物量から逃げ切ろうとするのは並大抵の身体能力では追いつかない――いやと言ったほうが正確か。



「……」



 しかし少女は、ナインは未だに捕まらない。遊星の如く動き回る瓦礫の狭間を、蹴って跳ねて飛び回る。ほんの一瞬でも判断が、そして動作が遅れればどうなってしまうかは分かりきっている。故に止まれない、止まらない。片手を失くした少女はその喪失を感じさせないだけの機敏さでこうも懸命に逃げ続けているのだ。


 通常、人体とは左右対称であることで自然と均整バランスが保たれている。

 意識せずとも人は両足による支えだけでなく両手の拮抗した重みを左右に置くことでより安定した重心を得るものだ。


 なので、急に片腕を失くした人間がその後すぐに「走る」などという高難度・・・の動作など取れるはずがなく、ましてや――無論怪物少女ほどの超機動は別としても――「跳ねる」などもっての外。精神的ショックを除いたとしてもいきなり体の片方が軽くなった場合において人間は驚くほどの不安定さを見せる……が、それは言うまでもなく常人を例とした場合の常識的な例え話。



「…………」



 神具が指摘した通りに、止血と気つけのために腕が千切れ落ちた傷口を自ら握り潰してしまったナインだ。確かに零れる血液の量で言えばそのままにするよりもいくらか減らせたことは事実だが、そんな行為がよもや医療行為などと呼べるはずもなく、実質的に少女は傷へ塩を塗る以上の追い打ちを自分自身にかけてしまったようなものだった。


 強引に腕を奪われた時点で想像を絶するような苦痛を味わっていただろうに、それすら超えるような、いっそ死を与えることが目的とも思えるような拷問めいた激痛を、己が意思で己が肉体に課した。


 ナインの顔に浮かぶのは険相だ。それは四方八方の瓦礫から着地も許されぬままに逃げ回らねばならない現状こそが最大の原因ではるものの、滲む汗の全てがそれだけが理由だとはとても言えないだろう。そこには少なからず自傷行為の影響が尾を引いていることは確かなはずであり――だが、そうだとしても。


 少女はやはり、捕まらない。



「………………」



 潰した傷口からも激しく動いているせいでボタボタと多量の血を垂らしながら、しかして鮮血が瓦礫を濡らす頃には別の、次の、そのまた次の瓦礫へと飛び移っている。見事な挙動だ。神具から見ても素晴らしい、人間ヒトの限界を超越した身体機能を少女は確かに誇っている。


 右腕を失うという言葉通りのハンディキャップを物ともしない、むしろその分だけ体が軽くなって動きやすくなったとでもいうように、巧みに瓦礫の檻から逃れていく。


 戦う者としての単純な戦闘力コンディションで見た場合、やはり部位の欠損とは手痛い・・・――否、それどころでは済まない絶望的な要素となるだろうに、けれどもそこは怪物少女の面目躍如。



 動揺はあろうに、気落ちはなく。

 苦悶もあろうに、立ち止まることをせず。

 絶望があっても、それ以上の希望を胸に抱いて。



「………………ふむ」



 真っ赤な血の軌跡と深紅の瞳の残光を宙に描きながら熱心に駆ける少女を、少年は静かに見つめていた。


 仕掛けようと思えば他にいくらでも手段を持つ彼があえて少女をケージへ閉じ込めた実験動物が如くに走らせ続けるのは何故かと言えば――そのものずばり、実験こそが目的だからだ。


 彼は知りたがっている。


 最初にして最後の所持者アルフォディト。


 彼女が身命を賭してまで興し存続させたこの国……初代女王の血筋すら欠けた今のアルフォディトという国が、これより先に果たしてどんな真理を集わせることになるのか。


 人の都合で各地に散らばった彼の運命を嘲笑うが如く始まった大戦、そして滅びた旧体制。戦禍の後に蘇った『アルフォディト』はもはや神具の知るものではなくなっていることは彼自身とうにわかっていた――だからこそ。


 今再び神具として起動した自分。


 と、戦うことを決定づけられた特異点。


 ――『来訪者』ナイン。


 基理が何を以ってしてこの存在を寄越したかは定かではなくとも、これが定めであるとは理解できている。


 自分と彼女は決して相容れない……道具として割り切っている自分と、ヒトとして割り切っている彼女とでは、根本から相反する。考えるまでもなく激突は必至だった。神具が神具として国を守ろうとし、少女が少女として人を守ろうとすれば、そこには不可避の対決が定められる。



 ――故に、神具は。



「見せろ来訪者――魅せろナイン。現状どう足掻こうと届かないその小さな力を、どうにかして我に届かせてみせるがいい」


 神具が腕を上げる。

 上向きに開かれた手の平が、ぐっと握られる。


 すると。


「……!」


 無秩序に押し寄せる瓦礫の移動速度が格段に跳ね上がった。これまでをセスナの遊覧飛行とするなら今度のはひたすら目的地へ急ぐジェット機のような速さで――。


「ぐぅっ!」


 いや、もはやそれは飛んでいるというよりも――吸われている。

 ナインを中心に、まるでブラックホールに飲み込まれる小惑星群のように多大なる物量が絶大なる速度そのままで、一斉に密集していく。


 どこからどう瓦礫が降りかかってこようと抜群の機動力と空間把握能力でするりするりと鮮やかな挙動で躱してきたナインだが、さすがに全方向から隙間なく押しかけられては今度こそ先んじての脱出が叶わず。


 ――結果、あえなく潰されてしまった。


 宙に浮いたままで密集し球体となった、それ自体が星のような巨大物体の中に閉じ込められ、そして。


「さあ……貴様の持つ『力だけの力』で、どう生き延びるのか」


 神具の握った手に、更に力が込められる。――そして起こる超圧縮。これ以上ないというくらいに積み重なりひしめき合っていた瓦礫の集合体が、限界を超えて縮まった・・・・


 何が起きたかは単純明快、神具が自身の持つ権能を発動させたというだけのことだ。


 土地を守護するという神具本来の『使用法』。『聖典』に宿るその力はしかし、彼の用途をそれだけに限定するものではなく、反対に彼をあらゆる点で応用の利く利便性の高い道具に仕立て上げるだけの出来の良さに通じるものだった。


 空間を意のままとする神具の技法は、七聖具がそれぞれ持つ能力が組み合わさって構築された対策不可能の絶技に他ならない。九割九分。ナインの腹にただの冠も同然となった『聖冠』本体が未だに留まっている分だけ力を落としていることは確かであるが、けれど神具がほぼ全盛と言っても差し支えないだけの圧倒的な権能を手にしていることも確かな事実。


 だから自身と同じ特異点として数多くの真理を背負うナインを相手にも、容易くその腕を捥ぐことができるし、こうして瓦礫の染みにしてしまうこともできる――。



「……ん?」


 ピクリと。


 もしや勢い余って殺してしまったかと偽の星を見上げる少年の閉じられた拳が、ほんの微かに揺れて。



 ドッガンン!!



「ほぉ……それぐらいは、できるのか」


 内部より爆発し、粉々になった星。


 そこから飛来するひとつの影――超圧縮の過程で負った全身の傷が惨たらしくも、それでもひと片たりとも闘志を落ち込ませないままでいるナインが、少年の前に立った。


 興味深そうな少年の視線を受け止めるナインの背後で、砕かれたことで引力の支配から逃れられなくなったかのように……あるいは『別の力』による支配からようやく逃れられたかのように、星を形成していた瓦礫群がまとめて地に落ちていく。


 ……結局のところ、神具の術は最後まで怪物少女を捕まえる・・・・ことは叶わなかった。


「ぺっ……、どうしたよ。お手玉はもう終わりか?」

「ふむ――、ふむ」


 口からも鼻からも血の筋を垂らしながら、なのに不敵に笑うナイン。


 そんな彼女と、強制的に開かされた自分の手を交互に見て――神具はひとつ頷いた。


「悪かった。貴様の言う通り遊びはもういいだろう。……これは付き合わせた詫びと、礼の代わりだ」

「? ――っ!」


 何かが背後より迫ってくる。

 それも、途轍もないスピードで。


 そのことを認識した瞬間にナインはそれを躱すために身を翻そう――として、そこを抑え込まれた。


 神具の操る見えざる手によって、全身を掴まれ動けなくなる。


「あの女に首を返したように、貴様の腕も返してやろう。なに、遠慮は、しなくていい」


「づっ……!!」



 神具の言葉に何を言い返す間もなく、少女の腹から。


 先ほど千切られた己が右腕が――勢いよくはらわたを突き破って生えてきて。


 その手の中には、まるで死したように宝玉から赤い輝きを失わせたまま沈黙する『聖冠』が、しっかりと握りしめられていた。



「――我も取り戻すべきを、取り戻すのだからな」



ツヨイ!

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