幕間 少女たちのお風呂事情
ナインの体には不思議がいっぱいだ。
飲食不要でありながら飲み食いできる。老廃物とは無縁のくせに汗をかく。髪も爪も伸びないし、睡眠も必要ないし、なのに生活スタイルは元の世界で男子をしていた頃と同じように朝起きて夜に寝る、というリズムでないと妙に肩がこる気がする。
とかく人間らしさとかけ離れておきながらほど近い位置に留まるような奇妙な肉体ではあるが、ナインとしては別に不便があるわけではないのでそれで何が困る、ということでもない――。
いや。
ナインが新ボディになって切実に困っていることがひとつだけあった。
それは汗をかく、という点に由来するもの。
それが果たして通常人と同じように不要の老廃物が排出されたものなのか、ということに関しては議論の余地があるところではあるものの、当人としては汗をかいた感覚がある以上、どうしても「体が汚れた」という結論へ思考が行きつく。
体が汚れたからにはすることと言えば、それは勿論「体を清める」一択だろう。
即ち風呂である!
自身の快適さのためにも身だしなみのためとしても逃れえぬ清潔感を保つという行為――入浴!
ナインを深く悩ませているのはそのものずばり……。
女湯での死闘についてである!
◇◇◇
井戸で水を汲むことで生活水を用意する必要のあったエルサク村とは違って、リブレライトは国最大の都市の名に恥じず上下水道が完備されている。広大故にエリアごとに上流、中流、下流の階級に分かれるようにして都市構造は成り立っているが、生活インフラに限って言えばリブレライト中のどことどこを比べても差はない。
さてそんな整備の行き届いた水道によって恩恵を受けるのは生活する者すべてがそうであるが、あえて言うなら男性より女性のほうが「助かる部分」というのは多くなるだろう。
なんなら二、三日くらいは体を洗わなくたって気にしないのがこの世界の男というもので、しかし女性はそうもいかない。やはり最低でも日に一度は丁寧に体を清めたいところだ。
だからリブレライトのとある『銭湯』は、いつだって女性客で賑わっている――それが余計にナインを苦しめるのだ。
「今日もまたいっぱいだ……」
「いっぱいだねー、ご主人様……やっぱやめる?」
げんなりしながら脱衣所でロッカーを探すナインに、半歩後ろをとことこついて歩きながらクータが入浴の中止を発案した。確かに一日程度入浴を怠ったところで何も死ぬわけではないのだ、人が多くて面倒だと思うのであれば今日のところは引き返すというのもひとつの手ではあるだろう――が、しかし。
ナインはじとりとクータを見やる。
「そうはいかんぞクータ。お前がただ風呂に入りたくないだけだってのは分かってるんだからな」
「うにゅー……」
「あざとい。一瞬帰ろうかと思っちゃったけど、やっぱダメだ。だって昨日もそうやって風呂を延期したんだからな」
さすがに二日連続での戦略的撤退は避けたい。不潔が過ぎると接客業に支障が出るし、何より単純に女子としてそれは見過ごせるポイントではない。自分は最悪それでもいいのだが、クータには清潔でいてほしいというのが彼女の保護者としての当然の願いであり、監督義務でもあるとナインは思っている。
「ほら、脱ぎなさい。前みたいに俺が引ん剝くとまた変な目で見られちまう」
「りょうかい……」
いつもより元気のない返事でクータは渋々といった様子で服を脱ぐ。人間態への変身時に異次元からやってくる彼女の服は、着脱可能な代物だ。ただし脱ぐと消滅してしまう。
俺に負けず劣らずクータも不思議だ、と手元でぽんと霞のように消え失せる服を見てナインは改めて感心した。
自身も全裸になり、すぐさまタオルを巻いて固める。
あちらもそちらもつるんとしていて作り物めいた体の造形を一般客に見られてはならぬ、と彼女は用心しているのだ。
反対に一糸まとわぬ姿を惜しげもなく披露しながら堂々と洗い場へ向かうクータの背中を見て、ナインは心から賞嘆する思いであった。
他の女性客はこの場に同性しかいないと思っているので――女湯なのだから当たり前なのだが――クータと並び無防備に裸体を晒す者も少なくない。
そういった大胆な客は高齢だったり年配の女性が多いが中には年若い乙女もいたりして、ナインは間違ってもその体を見てしまわないように足元だけを見ながら進む。精神的には男の自分がさも女性面をしながら眺めては犯罪になる、と彼女は十六歳男子としては驚異の自制心によって銭湯に来るたびに己の欲求を封じ込めているのであった。
「よし、隅のほうが空いてるぞ……あそこへ座ろう」
クータを誘導し、うつむいているせいで良好とは言えない視界の中でどうにか人のいない洗面所の前につく。クータを座らせ、蛇口をひねって熱くなり過ぎない程度にお湯を出す。
初めて利用した時は(エルサク村とのギャップもあって)すぐにお湯が使えることに感動を覚えたナインであったが、回数を重ねるごとに感慨はなくなっていった。
きっと彼女が水道のありがたみを思い出すのはまた野宿したり井戸水の世話になった後のこととなるだろう。
「洗うぞ、クータ」
「うん……」
「…………」
クータの背中。そのきめ細やかな肌を見てナインは少し言葉を詰まらせる。
鳥の姿だと抵抗が激しくて洗うどころではなくなってしまうので、クータを入浴させる際は必ず人間態になってもらっている。そして自分で洗わせると烏も真っ青の行水具合でさっさと出ようとするので、彼女の洗体はナインの役目となっている。
すでに経験済みのことではある、しかし、ナインはたじろがざるをえない。
繰り返すが体はともかくナインの意識は完全に男なのだ。
クータとのスキンシップやひとつの寝具で眠ることに関してはまだ冷静でいられるナインだが、全裸のクータが目の前にいて、それを自分が洗うという状況には未だ慣れなかったし、どうしても――こう、クるものがあった。
「よし、いくからな……」
雑念を振り払うようにしながら、自費購入の固形石鹸を泡立て、お湯を被らせたクータの体へ手を伸ばす。
「ぅん、あっ……」
「っ!」
艶めかしい声。普段溌剌としたクータにこんな風に悶えられると、聞いているこっちが恥ずかしくなる――と、ナインの顔は真っ赤になる。
肩、肩甲骨、背骨、腰……背中全体へ泡を広げながら、ナインはなるべく無心になろうとするが……箇所を移るたびにクータが「あぅ」とか「うぅん」とか「ぃやっ」とか喘ぎとも取られかねない声を漏らすものだからたまらない。
だんだん自分が何をしているのか判然としなくなってくるナインだが、今はそのほうが都合がいいとも言える。
混乱を元に戻そうとはせず、とにかくクータの身体中へ手を沿わせる。当然、大事な部分にも。
「あっ、そこ……! ご主人様ぁ、そこは、うぁっ、だめ……!」
ますます誤解を禁じ得ない言葉を零すクータだが、幸運にも傍に人はいない。
このまま洗い切るしかない――!
ナインは怪物じみた肉体のスペックを如何なく発揮し、手を加速させる。
手先は清流のように優しく、それでいて手捌きは濁流のように荒々しく。
「~~~~っ!!」
クータの一層激しい身悶えを最後に、どうにか体を洗い終える。
「つ、疲れた……」
落ちかけていた自分のタオルをしっかりまき直し、今度はクータの髪をわしゃわしゃと洗ってやるナイン。こちらは気を持たされることはないので楽ちんだ、と人心地つく思いで赤い頭髪に手を入れていると。
「ねえ、ご主人様……」
「ん、なんだ?」
しばらくぐったりと力が抜けていたが、そろそろ回復してきたらしいクータがぽつりと呼んでくるので、なんの気なしに訊ね返す。
「クータね、決めてたんだ」
「うん? 何をだ?」
「いっつもクータが洗ってもらってばっかりだから……今日はクータも洗うって」
「そ、そうか……洗うって、なにをだ?」
猛烈に嫌な予感がし始めたナインは、頬を引きつらせ。
薄々答えを察しつつも疑問を口にした。
するとクータは、洗面所に備え付けられている鏡越しに、ナインへにぱっと笑って――
「つぎはご主人様を、クータが洗うね!」
そう言った。
その瞳が、まるで燃え盛る炎のように爛々と強く、しかしどこか湿り気を帯びて煌めいているものだから……ナインは自身に逃げ場などないことを悟らされた。
「あ、あはは……。どうかお手柔らかに頼みます……」
「まかせて! クータもご主人様を満足させるからね!」
その後、女湯から少女のあられもない嬌声が響いたとかなんとか……事の真偽は定かではない。
かくしてナインは今日もまた、女湯での死闘を終えるのであった。